あの頃
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あの頃、私の家族旅行といえば「海 or 川?」の選択がほとんどだった。
釣りバカの親父。
その親父に連れられ二十数年前、東京から千葉へと越してきた。
年中釣りがしていたい、ただそれだけで。きっと。
これは当時の私にとって漠然と 「失う」 だけのできごとだったのを覚えてる。
転入先では子供ながらに環境を作ろうと尽くしたが、
どこにいても馴染めない気がしていた。
ましてや未来など楽しみになんて思えやしなかった。
親父に似て、オレには環境適応能力というものが欠けていたんだな。きっと。
その後、親元を離れ一旦は外へ出たものの
釣りバカ親父との死別を期に、再び千葉で暮らすことを決め、12年前にこの店を始めた。
この街が好きか?と言われると素直に頷けはしないが、、
自らの意思を持って旅をするようになれば、何の事はない。どこへでも行ける。
どこでもいける
そして、2児の父となった今もここに暮らしている。
私はここを選んでいる。
あの頃とやってることはそう変わらない。
でもあの頃とは違う。自らが選んだ道を歩み、その先で負った傷は大した痛みも、"失う"こともなかった。
私は多くのご縁と共に、私の中にようやく"故郷"ができたのだと気付いた。
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あれから
今やりたいコト。
仕方、タイミングですら寸分違えばちっとも届かないんだな。
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あの頃を経て、振り子が幾度も振れた今だからこそ
ようやく自分を知ることができる。
子供の成長を眺めていると、つくづくたくましく思える。
私の何倍もたくましく見える。
その姿を見て何かを捨てては拾い、できることなら追いつきたいと願う。
親父もそうだったんかな。
全ての人は鏡だ。
子供の顔を見れば、今世界がどんな状況にあるかを知ることができるという。
顔を見て話しすらできないようでは終わってる。
鏡に映し出されたその姿を真っ直ぐ見つめることは、他人を愛することと同じ。
環境に作られた私
と、同時に環境を作り出す私。
私は凡人だ。
まだどうにでもされてしまう彼女等が
この船に乗ったことを後悔しないか?
子供達は私と同じ歳になった頃、同じように思うのか?
心配せずとも勝手に育つことくらいは知っているつもり、 でも。
兄弟のいないオレはいつも不安だった。
欲しかったのは最後の最後に、
帰えってこれる,、分かち合える、「故郷」だった。
今は釣りこそしないが
あの頃の記憶のほとんどは、 明るい。
「故郷」を少しでも明るくできるのは、少し先に生きる
私達の他いない。
それくらい覚悟して生きなきゃ。
今年もありがとう。 クリ