神仏にお願い事をするとき、
『何事もなくみんな笑顔で、
無事で過ごせますように…』
なんてお願いしたことありますよね?
私はあります。
でも、本当に何事もなく、
笑顔で無事に過ごせることが
幸せなことなのでしょうか?
そのように無難に過ごせて来た人たちが、鬱などメンタルをやられている
ケースが多いように感じます。
(実は親類にもいます)
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」
なんて聞いたことあると思いますが、
自分から買ってまで
苦労するような次元の高い人は
なかなかいないですよね。
でも最近、
その意味がわかるような氣がします
若いうちは苦労に耐えられる
体力も氣力もある。
若いうちに悩み苦しむことで、
この世の真理や生きる意味に
早く氣付くことができる…
かもしれない!?
かもしれない!?のは、
せっかく苦労していても、
そのことを卑屈に捉えたり
拗ねたり、愚痴ばかりだったり、
人のせいにしているうちは
氣付くことはできないからです。
物事をもっと俯瞰して、
高い視点を持てた時、
その苦労が感謝に変わります。
全ては自分を成長させてくれる
『糧』だったんだと。
私も20代〜30代はそれなりに
苦労しました。
早くに父親を亡くしたり、
生きているのが辛いと思うほどの
身体の不調や、
意思疎通が難しい夫婦関係など。
でも今は全てに感謝しかありません。
大人になって父とお酒を飲みながら、
色々話したかったな…とは思いますが、
父は幼い頃からスキーやハイキングなど
自然と触れ合うことや、
親はいつまでも生きている訳ではない、
だからこそ生きている母を
大事にすることを教えてくれたし、
身体の不調は今でも少しはありますが、
それでも気分良く、特に心配をせずに
普通に生活できることが
どれほどありがたいことか…
結婚生活では、
この世で一番大切な娘を授かったこと、
私とは最重要事項が違う元夫と
その親のお陰で、
強く逞しくなれたことに
感謝しています。
そして、
思い悩みながらも、生きる意味とは?
自分とは?と本を読み漁ったり
自問自答して、
ほんの少しわかってきたかな…
という時に算命学に出会えたこと。
これは本当に大きかった…。
算命学を学んだことで、
全ての点と点が繋がったような氣がします。(いや、まだまだ全然わかってないですけどね💦死ぬまでにわかればいいけど難しいかな〜😇)
もし何不自由なく、
無難に生きて来れたなら
自問自答したり、
生きる意味も考える必要もなく、
算命学にも出会えなかったかもしれません。
でももしかしたら
何不自由なく無難な人生を送る人の方が、実は難易度の高い人生なのかも?
と書きながら思いました…
だって幸せに氣付きにくいから。
当たり前にあるものに感謝するのって
すごく難しいですよね。
当たり前のように出てくる
お母さんが作ったご飯や、
綺麗で暖かい布団や、
雨風しのげる家があることや、
それを無くすか、
無くなるかもしれない…
と思わない限り
なかなかそのありがたみに
氣付けない。
だからといって、
自ら不自由な環境に身を置くのは
修験者や修行僧レベルだし、
そもそも、その必要性に
氣付くことも難しい。
結果、幸せも不幸せも何も感じず、
心が病んでしまうのかもしれません。
もし身近な人が、
そのようになってしまっていたら
登山をおすすめします⛰️
山は異世界なんて言われたり、
山岳信仰があったりしますが、
ただただ、
畏敬の念を感じさせる存在です。
その山を登ることで
まず五感が刺激されます。
圧倒的なまでの威厳と
この世のものとは思えないほどの
美しい景色。
森の中の草木の香り。
枯れ木や草や石を踏む音や
鳥たちのさえずり。
汗をかいた肌に、冷たく心地良い風。
冷たい湧水の美味しさや、
やっとの思いで登頂した後に飲む
ビールの美味しさ!!🍺😆
(普通に飲むビールの何倍も美味しい💕)
山を登っている間の
ほとんどの時間はキツイ、辛い。
(最初の15分は特に辛いです)
そして色々不便なことが多い。
だからこそ、『生きている』
という実感を持てると思うのです。
つい先日、サッサン(パートナー)が
日本で一番危険とも言われる
奥穂高〜ジャンダルム〜西穂高の
登山に行き、死にかけました💦
足場の悪い山頂付近で、
森林限界の木がないような場所で、
ほんの少しの差で、
サッサンに雷が落ちていたかもしれない

(雷が落ちて髪がアフロになって口から煙が出るやつなら見てみたいけど笑…って無事に帰ってきたからこんなこと言えますが💦)
もちろん初心者は、
いきなりそんな危険な場所には
絶対に行ってはダメですよ💦
(熟練者のみ行けるルートです!サッサンはその日ジャンダルムで滑落した方を見たそうです。後からそのニュースを見つけました。お亡くなりになったそうです。ご冥福をお祈りします。)
私も富士山や南アルプスにある北岳、
八ヶ岳にある赤岳など、
日本の最高峰に登ったからこそ
わかるんですが、
辛い苦しい思いをして
やっとの思いで登頂し、
果てしなく続く雲海から登るご来光や、
ため息が出るほど美しい山の稜線を
見た時、魂が喜ぶような…
心にエネルギーが満たされるような
そんな氣持ちになりました。
自然の中に身を置き、
山や木や草花や岩や川が放つ
あるがままの自然な波動を
全身で受けると、
不協和音を起こしていた人の
波動調整をしてくれる…
そんな氣がします。
だって、
私たちも自然の一部ですからね。
何不自由なく過ごせているのに
氣持ちが晴れない…
つまらない…
という人は山に登ってみてください。
一度登って何も感じなかったら、
何回も登ってみてください。
山小屋に泊まって、
大自然の素晴らしい景色と
満天の星空を見てください。
今まで味わったことのない
魂の喜びを感じられるかもしれません。