自分史9
完全に借りてきた猫状態の平日…。
常連客の女性が1人で来る事も良くある。彼女が来た瞬間、ハズレや…的な残念そうな顔が今でも忘れられない。
彼女が来るのが恐怖だったけど、壁から逃げれば逃げる程、壁は追いかけて来て、さらに追い討ちをかけて来る事を経験から学んだので、立ち向かう事にした。
当時は女性と話すのすら、苦手意識が強かったけど、いつの間にか打ち解けて、その彼女がニックネームをつけてくれた。
やっとスタッフとして、認められた気がして、めちゃくちゃ嬉しかったし、少し自信もついた。
壁に背を向けるのでは無くて、立ち向かえば、その壁は意外ともろかったりする。
壁は超えてもいいし、迂回しても、突破してもいい。少し哲学的な話になって来たので、話しを戻そう。
週末はイベントスタッフが思ったよりも在籍してて、金曜日はスタッフ3名、特に土曜日は5名で100名近いお客を迎える。
この店はクラブではなく、Barなので箱貸しする事はない。
コレによって、PARTYのクオリティが保たれ、いつ来てもハズレが無く、オーナーがDJする事によって、毎週末100人前後のお客でごった返し、狂喜乱舞する。
オーナーは十代後半からUKに移住し、クラブでDJ修業して来たツワモノ・・。
平日は世界中のヒットチャートをチェックし、週末に店で最新の曲をプレイする。
外国人が顧客の大半を占めるのもその為だ。
お客はいつも23時頃から続々と入り始め、オーナーDJの登場を待つ。
いつも決まって24時を過ぎた頃にオーナーDJがやってくると、PARTYが始まる。
風貌も半端なくて、両乳首にピアスが貫通し、金髪オールバックにブルーのコンタクト、両腕にはTATOOが彫られ、一見ヤバそうだが、本当にヤバイ!
少なくとも月1回以上は大乱闘になり、警察沙汰というのも珍しくなかった。
まるで、西部劇の酒場そのものだった。
1人で行くのは危険とか、彼女を連れていってはいけないとか、なるべく行かない方がいいとか、そんな噂も絶えない店だった。
一番酷かったのは、オーストラリア出身のボディーが、酒に酔ってトイレから持ち出したモップを店内で振りまわし、辞めさせようとオーナーが止めに入ると、勘違いした別のアメリカ人がオーナーに殴りかかり、居合わせた本物のヤクザが止めに入るも、ヤクザのサングラスを壊され、ヤクザは発狂!!
流血の乱闘騒ぎはもう止められない!!!
他のスタッフは皆酔い潰れていて、ホールの女性スタッフをカウンターに避難させ、自分も乱闘に加わって、応戦した。返り討ちにあったけど…。
警察は来るは、アメリカ人は逃げて居なくなってるし、ヤクザは毎週3カ月くらいそのアメリカ人を探しに来るわで・・事件に発展しそうな勢い・・。
ある時は、オーナーと彼女が喧嘩を始めて、彼女がグラスを床に叩き付けると、オーナーも逆上して、そこら辺のグラスを軒並み叩き割ったりとか、もうその程度の事は日常茶飯事・・。
まだまだ一杯あるけど、書ききれないし、書ける内容でも無かったり・・。
まあ色んな経験して、度胸もつきましたよ。
でも、大音響の中でお客さんが踊り狂って、スタッフが酒を提供する。
なんか、めっちゃ楽しい!!
学生時代はいじめられっ子、社会人になっても冴えない自分が、
そこで働く自分が誇らしかったし、この店で働く事は名誉な事だった。高校デビューじゃなくて、自分は30歳デビュー(笑遅すぎるよね(照
夜中2時を過ぎると、毎週ロシアンパブのおネエちゃん達が、ピンヒールにミニスカ、T-BACKでカウンターの上でお尻を突き出して踊り、外国のパブそのものだった。
フロアは都会の満員電車以上で、立ち呑みは当たり前。
煙草もお酒も皆、頭上に保って、スペースを確保するくらいの密度で、何よりフロアスタッフは店の端から端まで行くのに10分はかかった。旧オリジンより一回り小さい店なのにね。
店に入るのも行列、トイレも行列、凄まじいエネルギーに満ちた店だった。
平日は、お客もまばらで、相変わらず自分1人で店を守り、外国人の友達も増え、休みの日に一緒に遊んだり、コミュニケーションが取れるようになった。
勿論、昼間はカクテルの本を読み漁り、がむしゃらに勉強した。
未経験の世界で、全てが目新しく、楽しくて仕方なかったが、Barにはマニュアルがないから、見て覚えろ!と、まるで職人の世界だった。
興奮に包まれた店内で、唯一殆どお酒を口にせず、オーナーの動きや、視線、仕草、先輩スタッフの動きに神経を研ぎ澄まし、仕事を覚えていった。
休みの水曜日は、お客としてカウンターに座り、やはり先輩スタッフの動きを注視して吸収していった。
大音響の中でも、グラスの割れる音を聞き分け、ホウキとチリトリを持ってダッシュ!
悲鳴が聞こえたら、バケツとモップを持って、ゲロ処理にダッシュ!
室内の温度管理もそう。エアコンの温度も人が沢山入れば一気に熱くなるので、小まめな調整が要求された。
少し暑いくらいでないと、売上に響く。
タバコの煙も半端なく、換気すれば音漏れの問題がある為、DJと連携しながら動く。
DJブースとドリンクブースは離れているし、大音響の中、司令塔(オーナー)のジェスチャーで、全てを把握しなければならなかった。
テキーラが飛び交い、酒を求めるお客がカウンターに群がり、
目が回るような忙しさの中、五感を研ぎ澄まさないと務まらない。
どんなに呑まされようが、酔っている場合ではないし、お香とキャンドルは常に絶やしてはならなかった。
余裕が無くなると、注意力が散漫になる。
それを見抜くバロメーターとして、オーナーはお香やキャンドルでスタッフを試していた。
また、オーナーの威圧的な暴力で辞めていくスタッフも絶えなかった。
2か月もすれば、少し余裕が出てきた。前回の出版社での給料で念願のマイホーム!?忘れもしない家賃25000円のワンルームに住む事が出来た。
私文書偽造に使った、憧れの物件だ。夢は叶うんだね(笑
契約時に、身元保証人の件で不動産屋から実家に確認の電話が行ったのが、
親に勘当されて半年後、初めての自分の行方を知らせるものだった。
ホームレスからめでたく脱却し、まともな生活!?が出来つつあったので、本来の目的の海外脱出の件は脳裏の片隅に追いやられて行った。
オーナーに結果を出せ!!いつも言われていた。結果とは、売上げの事である。
地元でもないし、飲み友達もいない。
自分の給料は自分で稼げ!というのがこの世界の掟だった。
オラオラ営業が主流だったが、自分らしくないし、コレだけはしたくなかった。
なので、日曜日は、テニス大会を企画して打ち上げしたり、
外国人が多いだけに、平日は海外旅行好きや、憧れるお客さんを集めて、写真を持ち寄って座談会的なPARTYしたり・・いわゆる企画モノで売上げ実績を作っていった。
5年目の店だったが、誰よりも、過去最高の給料を貰う事が出来るようになっていた。
しかし、そんな頑張りも虚しく、やっと手にした普通の生活もピリオドが迫っていた。
入店して6カ月を過ぎた、とある平日の夜・・・遂に事件は起こったのである。
続く・・