星野源「恋」って本当にいい歌か?
今更ですが、今回は星野源の「恋」の歌詞について考えてみたいともいます。この曲を主題歌にしたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』、さらにそのエンディングで演者たちが踊る所謂「恋ダンス」が話題となったこともあって、2016年に大流行しました。動画配信サイトでも「「恋ダンス」を踊ってみた」という動画が数多くアップされています。それらを見ると、この曲が多くの女性に受け入れられていることもわかります。ただ、ここではそういった副次的な情報はいったん横において、この曲に付された歌詞だけを取り上げたいと思います。http://j-lyric.net/artist/a0512cf/l03c609.htmlこの歌詞の中で恋の対象としての女性は、どのように描かれているでしょうか。はっきりと書き込まれている女性の役割は、 意味なんかないさ 暮らしがあるだけ ただ腹を空かせて 君の元へ帰るんだのみです。ここからわかることは、夫婦における女性の役割として「ご飯を用意しておくこと」しか認識されていないということです。「帰る」存在である夫は、働きに出ているのでしょうか。なんとも昭和な香り漂う夫婦観です。あるいは、 指の混ざり 頬の香り 夫婦をこえて行けも女性の描写と言えますが、これは肉体的接触の対象として女性が見られていることを示します。つまり、この歌詞が描く女性像は、人間の三大欲求の二つ、食欲と性欲を満たすための存在でしかないのです。もっとも、上野千鶴子の言うように、 自分の身体の性的使用権を生涯にわたって特定の異性に対して排他的に譲渡する契約(上野『ザ・フェミニズム』) ザ・フェミニズム (ちくま文庫) Amazon という結婚観に基づくのであれば、後者については、ある種当然なのかもしれません。けれども、「身体の性的使用権」を「生涯にわたって」「譲渡する」ことに違和感や嫌悪感を覚える人も少なくないでしょう。特にこの歌詞は、あくまで男性目線で描かれているわけですから、男性から女性に対して、一方的に、その占有権を宣言しているに等しいわけです。それ以外の箇所は、自らの思いの吐露と相手に対する願望ですね。ここに垣間見られるのも、自らの思いを一方的に受け入れ、願望を叶えてくれる都合のいい相手を求める姿勢です。つまり、この歌詞は、総じて男尊女卑的な、あるいは父権主義な恋愛観・結婚観に基づいているといえるわけです。では、今日の女性は、このような恋愛観・結婚観を受け入れているのでしょうか。この曲が、女性の間でも受け入れられたということは、上野千鶴子らフェミニストの言論活動もむなしく、旧来の恋愛・結婚観がいまだ女性たちの身体に深く刻み込まれていることを意味していると言えます。もちろん、前述したように、この曲のヒットには他のさまざまな要素が絡んでいますから、歌詞の是非は問題でなかったかもしれません。ただ、そういったオブラートに包まれて、この男尊女卑的な歌詞が流布したこと、そして、この歌詞がほとんど問題視されてこなかったことは、まぎれもない事実です。とはいえ、男性の欲望の対象としてのみ見られることを直接的に表現され、それを良しとする女性は、さほど多くないはずです。そのため、この曲の流行にはどうしても違和感を覚えずにはいられないのです。