“J.BOYツアー”を終えて発売されたアルバムはリゾート感覚あふれる楽しいアルバムでした
浜田省吾さんを含めてバンドのメンバーがそれぞれ曲を作り、それぞれのメンバーのイメージで全曲浜田さんが作詞をしたものでした
前年の出来事、悲しく辛い想いのなかで、それを脱する意味があったそうでした
ジャケットのプラカードにある「MEMBERS ONLY」は「Club Snowbound」の時に使い、気に入った言葉です
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中学2年生の時、
おれの家は海から4、50メートルのところにあった。
小さな駐在所だった。
壁も屋根もトタン板で雨が降るとものすごい音がした。
子供心に、その家が大嫌いだったし、みすぼらしいので、
恥かしくて友達を誰も家に招べなかった。
だけどそれでも、放課後、クラブ活動もさぼって、
飛ぶように家に帰ったものだ。
何故って部屋には、隣の大学生のいくちゃんから借りた、
ビーチボーイズのアルバムが全て揃ってたから。
夏休みになると、夕日が島影に落ちるまで、海で遊んでいた。
はじめてギターでコピーした曲は“Then I kissed her”だった。
ひとつ上の姉に、彼等が着ていたブルーの縦縞のボタンダウンのシャツ
つくってくれとせがんで困らせたものだ。
彼女は、同じ柄の生地がないので、カーテン用の布で
縫ってくれたのだが、ストライプの幅が広すぎて、おれはがっかりした。
それでも気に入ってたのか、白いトレーニングパンツと一緒に
よく着てたものだ。
ある日、ビーチボーイズのレコードのジャケットに写っている
長細い板は、一体何だろうと思った。
どうやらサーフィンという、波に乗る遊びらしいと気づいた。
それでおれは、その辺にころがっている板を拾ってきて
丸くけずったり、カンナをかけたりして、サーフボードらしきものを作って、
喜び勇んで海に出た。
しかし瀬戸内海の海には波がなく、
ただぼんやりと沖に浮んでいるだけだった。
とてつもない大きな波を夢見ながら。
1987・夏・浜田省吾
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『できあがった作品っていうのは、ポップなアルバムだから、夏、海に行くときに道が渋滞してたら車の中でガチャツとかけてもらってひまつぶしになったり、夏を心待ちにしてるときに開いてもらったりすればいいなと思ってる。
夏のアルバムっていうのは、大滝詠一さんを筆頭にたくさんの人が作っておられるし、僕らは特別なことは何もやってないけど、そんな夏のアルバムの中の1枚に加えてくれたらいいんじやないかな』
『基本的には趣味のアルバム。
ビーチボーイズや、僕が子供のころに開いてたオールデイーズなんかが下敷きになったアルバムですね。
『Club Snowbound』のときもそうだったんだけど、”Wall of Sound ”とかフィル・スペクター・サウンドと呼ばれるようなものはやっばり好きだし、でも、自分の本来のオリジナル・アルバムではなかなか、そういったことはテレ臭くてできないから、今回もそういったことを“シャレだよ”とか言いながらマジメにね(笑)口ではシャレだ、遊びだ、趣味だって言いながらも、意外と真剣に作ってしまった。
僕としては「Culb Snowbound』と『Culb Surfbound』をー緒にしたものがひとつの完成品だと思ってる。
CDという形でそれは出るんだけどね』
そして、浜田さんは次のアルバム、そしてツアーへの意気込みを力強く語ります
『秋か冬か、来年の春になるかわからないけど、そのすごいアルバムを作るから期待してほしいということと、そのアルバムができたらその1か月後ぐらいから、また100本ぐらいのツアーをやります。
さっきスケジュール表をテラッと見たけど、すさまじい、よ。
この前よりもすごい。チラッと見てパッと目をそらしてしまった。(笑)
でも大丈夫。
それが始まるころにはまた”ステージやりたい!!みたいになってるでしよう、きっと。
だから、僕がツアーをやるまでは、いろんな人のコンサートを見ておいてください。
そして、あらためて僕のステージに来たら、僕のが最高だということがわかるでしょう そう、帰ってくるところは、俺しかいない。
たどりつくところは浜田省吾しかいないんだっていうことを、はっきり証明してみせる』
写真はアルバムに同封されていたパンフレットに“ Sorry I missed ”(the first plan this album cover)とある写真です
本当かどうかは解りませんが(笑)、犬のアルバムだったから今度は猫のアルバムだったのですね
洒落が利いていて、なかなかイケてますよね(爆)
浜田省吾&愛奴ファンのお店 東京新宿Bar“Flash&Shadow”
http://www.flashandshadow.com