年頭大殺界?
1月末にDFGのテレビモニターが、2月頭に家のテレビが相次いでブッ壊れた
経験上、この手の不運は続くんよね〜
東京DFG時代にも電気機器の御臨終は幾度もあった。
特に多かったのがパワーアンプとDVDプレイヤーの終焉、PAは2年に1台、DVDプレイヤーは10台以上がダメになったのだ・・・・
どうせ壊れてんだ、ダメ元でテメェで開けていじってみる。直せんにしても構造が分かるので、他の事象の際に活かせたコトもありました。
1986年に(多分…)足を運んだジャーマンメタルの雄 ACCEPT のオレ的に二度目の来日ステージ
カッコ良かったね
物心ついた時、当時の実家にあったテレビは「白黒テレビ」だった
しばらくしてダイヤル式ではない、プッシュ式のカラーテレビが家にやって来ました。
土曜日の夕方から「東京12チャンネル(現テレビ東京)」で放映されていた、当時の日本で唯一の海外サッカーの試合をダイジェストで見れたこの番組は楽しみでした
何年も空いたままだったらしいが、ガランとした小汚い空き部屋はオレのイメージを形にするのにはピッタリ
今回ブッ壊れたモニターを含め2台がエアコンと一緒に残っておりました。
スナックやらパブやら、前の店の造作が残ったままの空き部屋が多い沖縄のテナント事情、全くのスケルトンから造るしんどさも分かってる身としては骨だけあればどう太らすかはこっち次第っつうのがイチバンの理想。
ま、結果こうなったんだけどね・・・・
テメェで内装作業をしてて分かったのは、このモニターがおそらく4台は設置されてたのだろうかと。
カラオケのモニターとして使ってたのか、天井のボードを開けるとモニター間を並列するケーブルが這っていた。
電気きてんじゃん
ハサミが溶ける・・・・
まぁ、家庭用電気で感電死するコトはないけどね。
時代の遺物でもあるヘヴィ級のプラズマモニターは外してみてまたビックリ
テレビを吊るブラケットが耐火ボードにビスで直打ちしてあったのだ
よう石膏がボロボロにならずに、重みでビスが下がらずにモニターが落下しなかったとある意味感激!
ちなみにこのプラズマモニター、リサイクル対象ではないらしく産廃として別のトコに持ちこまなきゃならんつうね
あ、リサイクル料金既に払っちゃってるし・・・・
ここでハタと気づく
オレ、テレビ買ったコトないや・・・・
高校生の時に初めてテメェの部屋に14型のテレビを置いた時も、初めて自立した時も、トラックの運転席に設置した時も、東京DFGに設置した時も、もちろん家のテレビも、20台ほどのテレビの全てが頂きモノだったとゆうね
とゆうコトで、55歳が目前のオッサンが人生で初めてテレビを買いに電器屋さんに
巨大な55インチは別の日に配送、そして委託の設置業者が取り付け見積もりで来店➡からの別の日に取り付けとゆう、まあ軽く「祭」っすわ
一度呑むもテメェでやりようが無いか?小一時間考えて色々閃いてきたので断りの連絡を入れます。
テレビ セットすんのにもケータイが要るん?
もうこうなるのケータイは現代人のふたつ目の「心臓」やな・・・・
内容?
C級にも及ばないD級のドタバタホラームービーだが、今のトコこのシリーズは全部押さえてます・・・・
コレでデコトラのVエンジンのマニ割り音とか聞いたらシビれるんだろうなぁ・・・・
しかしなぁ、何をどうしたらテレビ1台吊るのに5万円超もかかるんやろ?