鰯の頭も信心から、と言います。

 

イワシのアタマのような

 

取るに足らないものでも

 

信仰すれば有難く尊い、

 

といった意味合いかと思います。

 

 

 

信仰すると申しますか

 

信じることは大切です。

 

十中八九成功すると言われていても

 

自分を信じなければ

 

失敗がクチを開けて待っているわけです。

 

 

 

「成功する」と声をかけられて

 

「気休めはよしてくれ」と思っていたのでは

 

いざ本番でガタガタになって

 

本来のチカラが出せないかも知れません。

 

 

 

声をかけられたら嬉しく頂戴するとともに

 

他人様から声をかけられるまでもなく

 

自身にとってのイワシのアタマを

 

心のどこかに設けるのが

 

良さそうな気がします。

 

 

 

ぼくなど単純ですから

 

催眠術の類はよくかかりますし

 

ネット上で元気の出る言葉を見たら

 

それに影響されて

 

一時無敵になります。

 

これまで

 

宗教ビジネスにひっかからなかったのが

 

奇跡的だと思えます。

 

 

 

まぁそれはどうでもいいんですが

 

やっぱり人間

 

どこかで自己を否定するものです。

 

「ダメなんじゃなかろうか…?」みたいな。

 

でもまだ何もしていないうちから

 

ダメも無いだろうっていう。

 

 

 

信じてとりあえずやる、あとは知らん

 

くらいの方が

 

シンプルでめんどうくさくないでしょうね。

 

「ダメかも」と思った時点から

 

たぶん足が止まります。

 

 

 

もっとも

 

ムリにイワシのアタマになりそうなものを

 

探す必要はないですね。

 

信じるというのは己自身であります。

 

 

 

残念ながら鰯というのは

 

今の時期はシーズンを外れているそうで

 

たとえばマイワシは

 

5月~10月がおいしいらしいです。

 

 

 

そんなこと言っていま食べたら

 

ことのほかうまいかも知れません。

 

情報を鵜呑みにすることなく

 

自ら検証するのも

 

信じるにつながる気がします。

 

そんなところで

 

本日は失礼致します。