ヒトもそのほかの動物も

 

だいたいの場合

 

飽きてしまう存在です。

 

 

 

なにかしら打ち込んでいるものがあっても

 

どこかの時点で飽きるものでしょう。

 

鼠をもてあそぶ猫も

 

ほかに興味が移ればその場を離れます。

 

 

 

情熱を持って始めたことも

 

憂鬱で仕方なかったことも

 

時間の経過とともに

 

それらは飽和状態になり

 

どこかの時点で日常となります。

 

もしかしたら前と比べて

 

打ち込む度合いは下がっているかも知れません。

 

 

 

飽きてしまったとして

 

ほかにやることが見つかればいいですが

 

ずっと燻っているような感じだと

 

気持ちの上では苦しいものです。

 

 

 

出逢った頃のように

 

狂おしく求めたい。

 

ところが飽きてしまったのであれば

 

心身ともにフニャフニャだということで

 

自身の内に葛藤も生じるはずです。

 

 

 

でも飽きるというのは結局

 

習慣化に成功したと

 

言い換えることができそうで

 

悪いことでは無いですね。

 

 

 

情熱を失った分

 

経験を得ているはずだし

 

憂鬱を回避しようとして

 

試行錯誤しているかも知れません。

 

 

 

飽きてしまった自分を認めて

 

そこからどうしたいのかを

 

一度思案するのがよさそうです。

 

 

 

ぼくは熱しやすく冷めやすいですから

 

今までいろんなことに手を付けては

 

中途半端に投げ出してきました。

 

どうにも飽きやすいのです。

 

 

 

でもどうしても達成したいことは

 

飽きてしまったとしても

 

どこかのタイミングで

 

戻ってきています。

 

 

 

10年くらい燻ったあと

 

再度始めたら

 

前以上の情熱を燃やせた

 

みたいなこともありました。

 

 

 

飽きるというのは

 

たぶん誰にでも訪れるものですが

 

それは次のステップを踏み出す前の

 

踊り場にいるかのような。

 

いろいろ葛藤してまた進みだせば

 

なにかしら大きいモノにつながりそうな

 

そんな気がします。

 

 

 

ぼくの場合

 

いろんなことを投げ出してきましたが

 

自分に都合のいいように考えれば

 

どれもレベル1はクリアして

 

とりあえず脇に積んでいる状態です。

 

 

 

今は最優先でやりたいことがありますから

 

それに気持ちの区切りがつけば

 

またあれこれ再開しようかと思います。

 

最優先でやりたいことにしたって

 

そのうち飽きがくるのでしょうけど

 

そのときはそのときであります。

 

では失礼致します。