飽きることと習慣化。
これらには隔たりがあるようで、根本的なところは同じじゃないかと考えています。
飽きるをググったら、充分で嫌になることを意味するそうです。
一方、習慣化は、特別な意思を持たずとも定期的に行なう行動を指すそうです。
どちらも、存分に喰らって事足りた状態にある点で、似たようなもんかな、なんて思います。
飽きるほどに習慣化される、或いは、習慣化されたため飽きる、と言う事象が日常の中ではたくさん起こるでしょう。
料理、洗濯、掃除、出勤、事務、退勤、移動、食事、排泄、睡眠、マンガ、ゲーム、読書、書く、聴く、見る、飲む、打つ、買う、などなど。
数え上げればきりは無く、おそらく学びに関しても、飽きると習慣化は紙一重かと思います。
ずっと同じことをやっていると、どこかで満ち足りてしまうものかも知れません。
ぼくは、日々の鍛錬を習慣化させることは大切だと考えていますが、飽きてしまってイヤになっては良くありません。
別に、毎日料理するのがイヤなら、一週間くらいテイクアウトでもアリだと思います。
出前することで新たな味覚を発見することもありますから。
学びも、習慣化させたのは良いものの、飽きるくらいならまったく別のことをしたほうが良いのでしょう。
自分が向かっている先に、進んでいるようで停滞しているのなら、いったん立ち止まることも必要かと思います。
そうすることで、自分の行く先と辿ってきた道に、ギャップが無いかどうか確認も出来ますから。
なんでこんなことやってるのかな?って、自分に問うのはアリだろうと思います。
ぼくは最近、自分のやっていることが、本当は飽きてきたんじゃないか?みたいに考えることがあります。
ブログのことも、日々の業務も、そのための学習も、様々な準備も。
ただ、飽きるも習慣化も、その先を見据えるとけっこう気持ちが変わるんですよね。
飽きたけれども、もし1年後も継続していたらどうなっているか?
習慣化させて、もし1年後も継続していたらどうなっているか?
見据える先は1年後とか短いスパンではありませんが、単純に、1年後を想像するとワクワクするんですよね。
1年後どうなっているか?
紆余曲折は当たり前にありますが、ジグザグになりながら前に進んでいっているのでしょう。
たぶん、ぼくが描く未来の線上の途中にあるだろうなと思います。完全にストップしなければ。
まぁ、飽きたならいったん休み、習慣化していても自分自身の周りを見渡す余裕は大事かと思います。