バーレスク史に現れた「レディ・ゴディバ」
前回のコラムのつづき

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1920年初頭、サリー・ランドは
ロサンゼルスでサイレント映画の女優となり有名になるが、
トーキーの時代となってすぐに
人気低迷しストリップダンサーになりました。

シカゴのパラマウント・ナイトクラブのオーディションで
ファンダンスを披露して一躍トップスターに。
その時披露した彼女のダンスはファン(ダチョウの羽根扇)を使い
ゆったりとした曲で優雅に踊るセミヌードのダンスでした。

創世記であった当時のストリップティーズは体を激しく揺らして
衣装をずらしていくという手法が主流だったと言いますから、
彼女のダンスはとても品があったことでしょう。


ある時、
上流階級の夫人達が贅沢なパーティーをすることを知り
貧困を知るサリー・ランドは頭にきました。
彼らが豪華な衣装でパーティーをするならば、と
会場に裸で乗り込むことにしました。

昔から劇場でダンサーが裸になる口実として
「サメロ」や「レディー・ゴディバの伝説」を
題材にしていたのを思い出したのです。

そして彼女は白馬に乗ったレディ-・ゴディバとなり
パーティーに侵入して大問題となりました。


ですが、これだけでは終わらずに
1933年のシカゴ万博の開催にあたり、有力な市民に
パリ通りという会場大通りに店を出す権利が与えられました。
彼女もショーをするために店の開業の申請をしたのですが、
権利を独占する事務局から拒否されます。

彼女はまたも上流階級のやり方に怒り
パリの歓楽街を模した通りならと「パリ風」な方法として
パリから生まれたストリップティーズの演目である
レディ-・ゴディバをまたも前夜祭の会場に侵入し再演

殴り込みだったこのパフォーマンスが
素晴らしい余興として新聞に取り上げられ
彼女はパリ通りでのショー興行が許可されたのです。

不況のただ中にあったシカゴ万博は全体的に低調だったが
彼女のショーには客が押し寄せ、パリ通りは大盛況

これ以降、万博にストリップショーが欠かせなくなったのです。


万博とストリップ―知られざる二十世紀文化史 (集英社新書)

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サリー・ランドはバーレスクの醍醐味である
優雅に気品を漂わせたティージングを披露し、
ストリップティーズの女王と呼ばれ
現在のバーレスク史にも名を残しています。


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さて、ゴディバと言えばチョコレートですが
チョコレートの原料はカカオです。

一部の有名チョコレート会社では
アフリカの子供の奴隷を使って働かせた
カカオ農園のものを使っていると言われています。

近年ではフェアトレードも増えて
働く人々が見合った対価をもらえる仕組みも増えています。

が、残念ながらゴディバの使用するカカオの一部は
そのような子供たちが働いたもののようです。

チョコレートもバーレスクも
レディー・ゴディバの伝説のように
やはり「愛」あるものであって欲しいと願います。

いつかレディー・ゴディバの別の伝説、
「ピーピング・トム」の話題にも触れたいと思います。
お楽しみに☆