山人のブログ

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食事、瞑想、生きる喜び。

6浄御原令の施行

1六月壬午朔。賜衣裳筑紫大宰等。癸未。以皇子施基。直廣肆佐味朝臣宿那麿。羽田朝臣齊。〈齊。此云牟五閇。〉

【六月みなづき壬午みづのえうまの朔つきたち〔一日〕。衣裳きぬはかまを筑紫つくしの大宰おほみこともち等らに賜たまふ。癸未みづのとひつじ〔二日〕、皇子みこ施基しき直広肆ぢきくわうし佐味朝臣さみのあそみ宿那麻呂すくなまろ〔直広肆〕羽田朝臣はたのあそみ斉むごへ〈斎。此これを牟吾閉むごへと云いふ〉】

〔六月一日、筑紫大宰ちくしのおおみこともちらに衣裳を賜わった。二日、皇子の施基しき、直広肆佐味朝臣宿禰麻呂しきこうしさみのあそんすくねまろ、羽田朝臣斉はたのあそんむごえ、〕

2勤廣肆伊余部連馬飼。調忌寸老人。務大參大伴宿禰手拍與巨勢朝臣多益須等拜撰善言司。庚子。賜大唐續守言。薩弘恪等稻。

【勤広肆ごんくわうし伊余部連いよべのむらじ馬飼うまかひ〔勤広肆ごんくわうし〕調忌寸つきのいみき老人おきな務大参むだいさむ大伴宿祢おほとものすくね手拍てうち与と〔務大参むだいさむ〕巨勢朝臣こせのあそみ多益須たやかす等らを以もちて善よき言ことを撰えらふ司つかさを拝をほす。庚子かのえね〔十九日〕、大唐だいたう(もろこし)の続守言ぞくしうげん薩弘恪さつこうかく等らに稲しねを賜たまふこと、】

〔勤広肆伊余部連馬飼ごんこうしいよべのむらじうまかい、調忌寸老人つきのいみおきな、務大参大伴宿禰手拍むだいさんおおとものすくねて、巨勢朝臣多益須こせのあそんたやすらに、撰善言司よきことえらぶつかさ(善い説話などを選び集める役)を命じられた。十九日、大唐の続守言しょくしゅげん、薩弘格さつこうかくらに〕

3各有差。辛丑。詔筑紫大宰粟田眞人朝臣等。賜學問僧明聡。觀智等爲送新羅師友緜各一百四十斤。

【各おのもおのも差しな有あり。辛丑かのとうし〔二十日〕、筑紫つくしの大宰おほみこともち粟田あはたの真人まひとの朝臣あそみ等らに詔みことのりのりたまひて、学問ものならふ僧ほふし明聡みやうそう観智くわんち等らに新羅しらきの師ほふしの友ともに送おくらむが為ために、綿わた各おのもおのも一百四十ももあまりよそ斤はかりを賜たまふ。】

〔それぞれ稲を賜わった。二十日、筑紫大宰ちくしのおおみこともちの粟田真人朝臣あわたのまひとのあそんらに詔みことのりして、学問僧の明聡みょうそう、観智かんちらが、新羅の師や友人に送るための綿、それぞれ百四十斤を賜わった。〕

4乙巳。於筑紫小郡設新羅弔使金道那等。賜物各有差。庚戌。班賜諸司令一部廿二卷。秋七月壬子朔。

【乙巳きのとみ〔二十四日〕、筑紫つくしの小郡をごほり於に、新羅しらきの弔使とぶらふつかひ金道那こむどうな等らに設まうけて、物もの賜たまはること各おのもおのも差しな有あり。庚戌かのえいぬ〔二十九日〕、諸司もろもろのつかさに令のりのふみ一部ひととも二十二巻はたあまりふたまきを班あかち賜たまふ。秋あき七月ふみづき壬子みづのえねの朔つきたち。】

〔二十四日、筑紫ちくしの小郡おごおり(迎賓館)で、新羅しらぎの弔使、金道那こんどうならに饗を賜わり、それぞれ物を賜わった。二十九日、中央の諸官司に令のりふみ一部二十二巻(飛鳥浄御原令)を、分け下し賜わった。秋七月一日、〕

5付賜陸奥蝦夷沙門自得所請金銅藥師佛像。觀世音菩薩像。各一躯。鍾。娑羅。寶帳。香爐。幡等物。

【陸奧みちのおくの蝦夷えみしの沙門ほふし自得じとくが請こひまつれる所ところの金銅こむどうの薬師仏やくしほとけの像みかた観世音くわんぜおむ菩薩ぼさつの像みかた各おのもおのも一躯ひとはしら鍾かね娑羅さら宝帳ほうちやう香炉かうろ幡はたの等たぐひの物ものを付さづけ賜たまふ。】

〔陸奥みちのくの蝦夷えみし僧自得じとくが願い出ていた、金銅薬師仏像、観世音菩薩像各ー軀、鐘、沙羅さら(読経の際打ち鳴らす仏具)、宝帳ほうちょう、香爐こうろ、幡はたなどを授けられた。〕

6▼是日。新羅弔使金道那等罷歸。丙寅。詔左右京職及諸國司。築習射所。辛未。流僞兵衞河内國澁川郡人柏原廣山于土左國。

【是この日ひ、新羅しらきの弔使とぶらふつかひ金道那こむどうな等ら罷まかり帰かへる。丙寅ひのえとら〔十五日〕、左右ひむがしにしの京みさとの職つかさ及およびに諸もろもろの国くにの司つかさに詔みことのりたまひて、射いくひを習ならふ所ところを築つくらしむ。辛未かのとひつじ〔二十日〕、偽いつはれる兵衛つはもののとねり河内国かふちのくにの渋川郡しぶかはのこほりの人柏原かしははらの広山ひろやまを土左国とさのくに于に流ながす。】

〔この日、新羅のしらぎ弔使、金道那こんどうならが帰途についた。十五日、左右京職と諸国の国司に詔して、射弓所を築かせた。二十日、偽の兵衛とねりであった、河内国渋川郡かわちのくにしぶかわのこおりの人である、柏原広山かしわはらのひろやまを土佐国とさのくにに流した。〕

7以追廣參授捉僞兵衞廣山兵衞生部連虎。甲戌。賜越蝦夷八釣魚等。各有差。〈魚。此云儺。〉秋八月辛巳朔壬午。

【追広参ついくわうさむのくらゐを以もちて偽いつはれる兵衛つはもののとねり広山ひろやまを捉とらへし兵衛つはもののとねり生部連いくべのむらじ虎とらに授さづけたまふ。甲戌きのえいぬ。〔二十三日〕越こしの蝦夷えみし八釣魚やつりな等らに賜たまふこと、各おのもおのも差しな有あり。〈魚。此これを儺なと云いふ〉。秋あき八月はつき辛巳かのとみを朔つきたちとして壬午みづのえうま〔二日〕。】

〔偽の兵衛広山とねりひろやまを捉えた兵衛生部連虎とねりみぶべのむらじとらに、追広参ついこうさんを授けた。二十三日、越こしの蝦夷えみしである八釣魚やつりならに物を賜わった。秋八月二日、〕

8百官會集於神祗官而奉宣天神地祗之事。甲申。天皇幸吉野宮。丙申。禁斷漁獵於攝津國武庫海一千歩内。

【百官もものつかさ神祇官かむつかさ於に会集うごなはり而て、天神あまつかみ地祗くにつかみ之の事ことを宣のべ奉たてまつる。甲申きのえさる〔四日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。丙申ひのえさる〔十六日〕、摂津国つのくにの武庫むこの海うみの一千歩ちあしの内うち、】

〔百官ひゃっかんが神祇官に集合し、天神地祇てんじんちぎのことについて、意見を述べ、話し合った。四日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになった。十六日、摂津国せっつのくにの武庫海むこのうみ一千歩(一歩は五尺)の内海、〕

9紀伊國阿提郡那耆野二萬頃。伊賀國伊賀郡身野二萬頃。置守護人。准河内國大鳥郡高脚海。丁酉。賞賜公卿各有差。

【紀伊国きいのくにの阿提郡あてのこほりの那耆野なぎのの二万頃ふたよろづしろ、伊賀国いがのくにの伊賀郡いがのこほりの身野みのの二万頃ふたよろづしろ於に漁すなどり猟かりすることを禁断いさめやめしむ。守護人もりひとを置おくこと、河内国かふちのくにの大島郡おほしまのこほりの高脚たかしの海うみに准なそふ。丁酉ひのと〔十七日〕、公卿まへつきみたちを賞ほめ賜ものたまはること各おのもおのも差しな有あり。】

〔紀伊国有田郡きいのくにありたのこおりの名耆野なきの二万代(四十町歩)、伊勢国伊賀郡いせのくにいがのこおりの身野むの二万代に禁狐区を設け、守護人をおいて、河内国大鳥郡かわちのくにおおとりのこおりの高師海たかしのうみに準ずるものとした。十七日、公卿くぎょうにそれぞれ物を賜わった。〕

10辛丑。詔伊豫■領田中朝臣法麿等曰。讃吉國御城郡所獲白燕。宜放養焉。觀射。潤八月辛亥朔庚申。詔諸國司曰。

【辛丑かのとうし〔二十一日〕、伊予いよの総領すぶるかみ田中朝臣たなかのあそみ法麻呂のりまろ等らに詔みことのりのりたまひて曰いはく、「讃吉国さぬきのくにの御城郡みきのこほりが獲とらえてある所ところの白しろき燕つばめは、宜よろしく放はなち焉ここに養やしなふべし。」とのりたまふ。癸卯みづのとう〔二十三日〕、射いくひを観みそなはす。】

〔二十一日、伊予総領いよのすべおさの田中朝臣法麻呂たなかのあそんのりまろに詔みことのりして、「讃岐国三木郡さぬきのくにみきのこおりでとらえた白燕しろつばくらめは放し飼いにせよ」と言われた。二十三日、射術の訓練を見られた。閏うるう八月十日、諸国の国司くにのつかさに詔みことのりして、〕

11「今冬戸籍可造。宜限九月糺捉浮浪。』其兵士者。毎於一國四分而點其一令習武事。」丁丑。以淨廣肆河内王爲筑紫大宰師。

【「今ことしの冬ふゆに戸籍へのふみたをば造つくる可べし。宜よろしく九月ながつきを限かぎりて浮浪うかれひとを糺ただし(かぞへ)捉とらふべし。其それ兵士つはもの者は、一国ひとつのくに毎ごと於に四よつに分わけ而て其その一ひとつを点あて(さだめ)て武事つはもののわざを習ならは令しめよ。」とのりたまふ。丁丑ひのとうし〔二十七日〕、浄広肆じやうくわうし河内王かふちのおほきみを以もちて筑紫つくしの大宰おほみこともちの帥かみと為なして、】

〔「今年の冬に戸籍を造り、九月を期限として、浮浪者を取りしまるように。兵士は国ごとに壮丁の四分の一を指定し、武事を習わせよ」と言われた。二十七日、浄広肆河内王じょうこうしかわちのおおきみを筑紫大宰帥ちくしのおおみこともちとした。〕

12授兵仗及賜物。以直廣壹授直廣貳丹比眞人嶋。増封一百戸通前。九月庚辰朔己丑。遣直廣參石上朝臣麿。

【兵仗つはもの及およびに賜物たまものを授さづけたまふ。直広壱ぢきくわういちを以もちて直広弐ぢきくわうに丹比真人たぢひのまひと嶋しまに授さづけて、封ふこを増ますこと一百戸ももへ前さきと通あはせり。九月ながつき庚辰かのえたつを朔つきたちとして己丑つちのとうし〔十日〕。直広参ぢきくわうさむ石上朝臣いそのかみのあそみ麻呂まろ】

〔武器を授けられ物を賜わった。直広壱じきこうしを直広貳丹比真人嶋じきこうにたじひのまひとしまに授け、食封へひと百戸を前からの分に加えた。九月十日、直広参石上朝臣麻呂じきこうさんいそのかみのあそんまろ、〕

13直廣肆石川朝臣虫名等於筑紫。給送位記。且監新城。冬十月庚戌朔庚申。天皇幸高安城。辛未。直廣肆下毛野朝臣子麿奏。

【直広肆ぢきくわうし石川朝臣いしかはのあそみ虫名むしな等らを遣やりて筑紫つくし於に送位記くらゐをおくるふみを給たまはしむ。且また新城にひきを監みしめたまふ(みそなはす)。冬ふゆ十月かむなづき庚戌かのえいぬを朔つきたちとして庚申かのえさる〔十一日〕。天皇すめらみこと高安城たかやすのきに幸いでます。辛未かのとひつじ〔二十二日〕、直広肆ぢきくわうし下毛野しもつけのの朝臣あそみ子麻呂こまろ奏まをさく】

〔直広肆石川朝臣虫名じきこうしいしかわのあそんむしならを筑紫に遣わし、位記くらいのふみ(冠の代りに授与されることになったもの)を給付され、新しくできた城を監視させた。冬十月十一日、天皇は高安城たかやすのきにお出でになった。二十二日、直広肆下毛野朝臣子麻呂じきこうししもつけののあそんこまろは、〕

14欲兔奴婢陸佰口。奏可。十一月己卯朔丙戌。於中市衰美追廣貳高田首石成之閑於三兵賜物。十二月己酉朔丙辰。禁斷雙六。

【「奴婢やつこ陸佰口むほたりを免ゆるさむと欲ほりまつる。」と奏まをして可ゆるしたまふ。十一月しもつき己卯つちのとうを朔つきたちとして丙戌ひのえいぬ〔八日〕。中市なかいち(いちなか)於に、追広弐ついくわうに高田首たかたのおびと石成いはなり之が三みつの兵つはもの於を閑ならへることを褒美ほめて、物ものを賜たまふ。十二月しはす己酉つちのととりを朔つきたちとして丙辰ひのえたつ〔八日〕。双六すくろくを禁断いさめやむ。】

〔奴婢ぬひ六百人を放免したいと奏上し、その通り許可された。十一月八日、京市の中で追広贰高田首石成ついこうにたかたのおびといわなりが、三兵みつのつわもの(弓、剣、槍などの武術)の修練に励んでいるのを褒めて、物を賜わった。十二月八日、双六すごろくを禁止された。〕

7持統天皇の即位

1四年春正月戊寅朔。物部麿朝臣樹大盾。神祗伯中臣大嶋朝臣讀天神壽詞。畢忌部宿禰色夫知奉上神璽劔鏡於皇后。

【四年よとせ春はる正月むつき戊寅つちのえとらの朔つきたち。物部麻呂もののべのまろの朝臣あそみ大盾おほたてを樹たてまつる。神祗伯かむつかさのかみ中臣大嶋なかとみのおほしまの朝臣あそみ天神あまつかみの寿詞ことほぎことを読よみまつる。畢をへて、忌部宿祢いむべのすくね色夫知しこぶち神璽みしるし剣つるぎ鏡かがみを皇后おほきさき於に奉上たてまつりて、】

〔四年春一月一日、物部麻呂朝臣もののべのまろのあそんは大楯おおたてを立て、神祇伯中臣大嶋朝臣かんづかさのかみなかとみのおおしまのあそんは天つ神あまつかみの寿詞よごとを読みあげた。終わって忌部宿禰色夫知いんべのすくねしこぶちが神璽しんじの剣と鏡を皇后に奉り、〕

2皇后即天皇位。公卿百寮羅列。匝拜而拍手焉。己卯。公卿百寮拜朝如元會儀。丹比嶋眞人與布勢御主人朝臣。

【皇后おほきさき天皇位すめらみことのみくらゐに即つきたまふ(あめのしたしろしめす)。公卿まへつきみたち百寮もものつかさびと羅列つらなりならび匝めぐり拝をろがみ而て焉ここに手た拍うちまつる。己卯つちのとうさぎ〔二日〕、公卿まへつきみたち百寮もものつかさびと朝みかどを拝をろがむこと元むつきに会うごなはる儀ふるまひの如ごとし。丹比たぢひの嶋しまの真人まひとと布勢ふせの御主人みあるじの朝臣あそみ与と】

〔皇后は皇位に即かれた。公卿百官くぎょうひゃっかんは整列して、一斉に拝礼し拍手を行なった。二日、公卿百官くぎょうひゃっかんは元日の賀正礼の如く拝朝した。丹比嶋真人たじひのしまのまひとと布勢御主人朝臣ふせのみぬしのあそんとが、〕

3奏賀騰極。庚辰。宴公卿於内裹。甲申。宴公卿於内裹。仍賜衣裳。壬辰。百寮進薪。甲子。大赦天下。

【騰極ひつぎ賀よろこぶことを奏まをす。庚辰かのえたつ〔三日〕、内裏おほとの於に公卿まへつきみたちに宴とよのあかり(うたげ)をたまひ、仍よりて衣裳ころもはかま(きもの)を賜たまふ。壬辰みづのえたつ〔十五日〕、百寮もものつかさびと薪たきぎ(みかまき)を進たてまつる。甲午きのえうま〔十七日〕、天下あめのしたに大おほきに赦つみゆるしたまふ。】

〔即位の寿詞よごとを奏上した。三日、内裏で公卿くぎょうに宴を賜わり、衣裳を下賜された。十五日、百官ひゃっかんは薪を奉った。十七日、全国に大赦おおはらえを行なわれた。〕

4唯常赦所不兔不在赦例。賜有位人爵一級。鰥寡孤獨篤■貧不能自存者。賜稻、■服調役。丁酉。

【唯ただ常つねなる赦ゆるしに不免まねかれざる所ところは赦ゆるしの例たぐひ(あと)に不在あらじ。位くらゐを有もてる人ひとに爵さく(しな)一級ひとしなを賜たまふ。鰥やもを寡やもめ孤独ひとりなるひと〔及およびに〕篤癃やまひあつきひとの貧まづしかりて自みづから存わたらふこと不能あたはざる者は、稲しねを賜たまひて、調つき役えたちに服したがふことを蠲ゆるしたまふ。丁酉ひのととり〔二十日〕、】

〔ただし規定で赦免の対象にならぬものは含まれなかった。有位者に爵位一級を進められた。鰥寡かんか(老いて妻や夫のない者)、孤独、篤癃あつえひと(重病の者)、貧しく生計の立ちにくい者に、稲を賜わって調や役を免除された。二十日、〕

5以解部一百人拜刑部省。庚子。班幣於畿内天神地祗。及増神戸田地。二月戊申朔壬子。天皇幸于腋上陂。

【解部ときべ一百人ももたりを以もちて、刑部省うたへたたすつかさに拝おほす(めす)。庚子かのえね〔二十三日〕、幣みてぐらを機内うちつくにの天神あまつかみ地祗くにつかみ於に班あかちまつりて、及およびに神戸田地かむべのたどころ(みとしろ)を増くはへたまふ(くはへまつる)。二月きさらき戊申つちのえさるを朔つきたちとして壬子みづのえね〔五日〕。天皇すめらみこと腋上わきのかみの陂いけのつつみ于に幸いでまして、】

〔解部ときべ(訴訟の窮問を掌る)百人を刑部省おさかべのつかさに増員された。二十三日、幣帛みてぐらを畿内うちつくにの神々に捧げ、封戸と神田を増やされた。二月五日、天皇は腋上池わきのかみのいけの堤つつみにお出ましになり、〕

6觀公卿大夫之馬。戊午。新羅沙門詮吉。級■北助知等五十人歸化。天皇幸吉野宮。設齋於内裡。以歸化新羅韓奈末許滿等十二人。

【公卿大夫まへつきみたち之の馬うまを観みそなはす。戊午つちのえうま〔十一日〕、新羅しらきが沙門ほふし詮吉せんきつ、級飡きふさん北助知ほくじよち等ども五十人いそたり帰化まゐおもぶく。甲子きのえね〔十七日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。丙寅ひのえとら〔十九日〕、内裏おほうち於に設斎せつさいしたまふ(みをがみす)。壬申みづのえさる〔二十五日〕、帰化まゐおもぶける新羅しらきが韓奈末かんなま許満こま等ども十二人とあまりふたりを以もちて、】

〔公卿大夫まえつきみの馬を観閲された。十一日、新羅の沙門である詮吉せんきち、級サン北助知きゅうさんほくじょちら五十人が帰化した。十七日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになった。十九日、内裏で斎会さいえが行なわれた。二十五日、帰化した新羅の韓奈末許満かんなまこまら十二人を、〕

7居于武藏國。三月丁丑朔丙申。賜京與畿内人年八十以上者嶋宮稻人廿束。其有位者。加賜布二端。

【武藏國むさしのくに于に居はべらしむ。三月やよひ丁丑ひのとうしを朔つきたちとして丙申ひのえさる〔二十日〕。京みやこ與と畿内うちつくにとの人ひとの、年とし八十やそじより以上かみつかたなる者は、嶋宮しまのみやの稻しね、人ひとごとに廿束はつつか賜たまふ。其その位くらひ有ある者は、布ぬの二端ふたむら加まし賜たまふ。】

〔武蔵国むさしのくにに住まわせられた。三月二十日、京みやこと畿内うちつくにの年八十以上の者に、嶋宮しまのみや(故草壁皇子くさかべのみこの宮)の稲を一人二十束ずつ賜わった。有位者には布二端をつけ加えられた。〕

8朝服、礼儀の制

1夏四月丁未朔己酉。遣使祭廣瀬大忌神與龍田風神。癸丑。賜京與畿内耆老。耆女五千卅一人稻人廿束。

【夏なつ四月うつき丁未ひのとひつじを朔つきたちとして己酉つちのととり〔三日〕。使つかひを遣まだして廣瀬大忌神ひろせのおおいみのかみ與と龍田風神たつたのかぜのかみとを祭まつらしむ。癸丑みずのとうし〔七日〕、京みやこ與と畿内うちつくにの耆老おきなと耆女おみな五千卅一人いつちあまりみそあまりひとりに稻しね人ひとごとに廿束はたつか賜たまふ。】

〔夏四月三日、使者を遣わして広瀬大忌神ひろせのおおいみのかみと竜田風神たつたのかぜのかみとを祭らせた。七日、京みやこと畿内うちつくにの耆老おきな、耆女おみな(六十六歳以上の男女)五千三十一人に、それぞれ稲二十束ずつを賜わった。〕

2庚申。詔曰。百官人及畿内人。有位者限六年。無位者限七年。以其上日選定九等。四等以上者。依考仕令以其善最功能。

【庚申かのえさる〔十四日〕、詔みことのりして曰のたまはく、百官もものつかさの人ひと及および畿内うちつくにの人ひとの、位くらひ有ある者は六年むとせを限かぎれ。位くらひ無なき者は七年ななとせを限かぎれ。其その上つかへまつれる日ひかずを以もちて九等ここのつのしなに選えらび定さだめよ。四等よつのしな以上よりかみつかた者は、考仕令こうじりやうの依ままに其その善最よさいさをしさ功能いたはりしわざ、】

〔十四日、勅みことのりして、「冠位を進める年限は、百官ひゃっかんと畿内うちつくにの人で、有位者は六年、無位者は七年とする。考課はその出勤の日数を以て、九等に分けよ。一定年限間の平均が、四等以上であれば、考仕令こうしりょう(官人の考課に関する規定を集めたもの)によって、その善最よさいさおしき(善は勤務態度のこと。最は職掌の適否)、功能いたわりしわざ(功は功績。能は才能のこと)、〕

3氏姓大小。量授冠位。其朝服者。淨大壹巳下廣貳巳上黒紫。淨大參巳下廣肆巳上赤紫。正八級赤紫。直八級緋。

【氏姓うちかばねの大小おほきいささけきを以もちて量はかりて冠位かふぶりくらゐ授さづけむ。其その朝服みかどころも者は、淨大壹じょうだいいちより巳下しもつかた、廣貳くわうにより巳上かみつかたには黒紫ふかむらさき。淨大參じょうだいさんより巳下しもつかた、廣肆くわうしより巳上かみつかたには赤紫あかむらさき。正しやうの八級やしなには赤紫あかむらさき。直ぢきの八級やしなには緋ひ。】

〔氏姓の大小(姓の高下)などではかり、冠位を授ける。朝服については、浄大壱じょうだいいち以下、広貳こうに以上は黒紫。浄大参じょうだいさん以下、広貳こうに以上は赤紫。正しょうの八級は赤紫。直じきの八級は緋。〕

4勤八級深緑。務八級淺緑。追八級深縹。進八級淺縹。別淨廣貳巳上一畐一部之綾羅等。種々聽用。

【勤ごんの八級やしなには深緑こきみどり。務むの八級やしなには淺緑あさみどり。追ついの八級やしなには深縹こきはなだ。進しんの八級やしなには淺縹あさはなだ。別ことに淨廣貳じやうくわうにより巳上かみつかたには、一畐ひとの一部ひとつぼ之の綾羅あやうすはた等など、種々くさくさに用もちいることを聽ゆるす。】

〔勤ごんの八級は深緑。務むの八級は浅緑。追ついの八級は深縹こきはなだ(紺色)。進しんの八級は浅縹あさはなだ(薄い紺色)。別に浄広貳じょうこうに以上は、一幅に一箇の大きな文様の綾羅あやうすはたなど、種々に用いることを許す。〕

5淨大參巳下直廣肆巳上一畐二部之綾羅等。種々聽用。上下通用綺帶白袴。其餘者如常。戊辰。始祈雨於所々。

【淨大參じょうだいさんより巳下しもつかた、直廣肆じきこうしより巳上かみつかたには一畐ひとの二部ふたつぼ之の綾羅あやうすはた等など。種々くさぐさ用もちいることを聽ゆるす。綺帶かむはたのおび白袴しろきはかまは、上下かみしも通用かよひもちいよ。其その餘ほか者は常つねの如ごとくせよ。戊辰つちのえたつ〔二十二日〕、始はじめて所々ところどころ於に祈雨あまごいす。】

〔浄大参じょうだいさん以下直広肆じきこうし以上は、一幅に二箇の大きな文様の綾羅あやうすはたなどを、種々に用いることを許す。綺かむはたの帯(組紐の帯)、白い袴は身分の上下を問わず使用してよい。その他は従来通りとする」と言われた。二十二日、方々で雨乞いをした。〕

6旱也。天皇幸吉野宮。乙酉。百濟男女廿一人歸化。庚寅。於内裏始安居講説。六月丙午朔辛亥。天皇幸泊瀬。庚午。

【旱ひでりなれば也なり。天皇すめらみこと吉野宮よしののみやへ幸いでます。乙酉きのととり〔三日〕、百濟くたらの男をのこ女めのこ廿一人はたちあまりひとり歸化まうおもぶく。庚寅かのえとら〔十日〕、内裏おほうち於にて始はじめて安居あんご講説かうせちす。六月みなつきの丙午ひのえうまを朔つきたちとして辛亥かのとゐ〔六日〕。天皇すめらみこと泊瀬はつせに幸いでます。庚午かのえうま〔二十五日〕、】

〔旱ひでりが続いたからである。五月三日、天皇は吉野宮よしののみやへお出でになった。十日、百済くだらの男女二十一人が帰化した。十五日、内裏ではじめて安居あんごの講説が始められた。六月六日、天皇は泊瀬はつせにお出でになった。二十五日、〕

7盡召有位者唱知位次與年齒。秋七月丙子朔。公卿百寮人等始著新朝服。戊寅。班幣於天神地祗。庚辰。

【盡ことごとに位くらひ有ある者ものを召めして、位くらひの次ついで與と年齒よはひとを唱となへ知しらしむ。秋あき七月ふみつき丙子ひのえねの朔つきたち。公卿まへつきみ・百寮もものつかさの人ひと等ども、始はじめて新にひしき朝みかど服ころも著きる。戊寅つちのえとら〔三日〕、幣みてぐらを於天神あまつかみ地祗くにつかみに班あかちまだしたまふ。庚辰かのえたつ〔五日〕、】

〔有位者のすべてを召されて、その位の序列と年齢を読みあげ知らせた。秋七月一日、公卿百官くぎょうひゃっかんたちは、初めて新しい朝服を着用した。三日、幣帛みてぐらを神々に奉った。五日、〕

8以皇子高市爲太政大臣。以正廣參授丹比嶋眞人爲右大臣。并八省百寮皆遷任焉。辛巳。大宰國司皆遷任焉。

【以皇子みこ高市たけちをもちて、太政おほまつりごとの大臣おほまへつきみと爲す。正廣參しやうくわうさむを以もちて、丹比たぢひの嶋眞人しまのまひとに授さづけて、右大臣みぎのおほまへつきみと爲なす。并あはせて八省やつのすぶるつかさ百寮もものつかさ、皆みな焉ここに遷任まけたまふ。辛巳かのとみ〔六日〕、大宰おほみこともち國司くにのつかさも皆みな焉ここに遷任まけたまふ。】

〔皇子高市たけちを太政大臣だじょうだいじんとした。正広参せいこうさんを丹比嶋真人たじひのしまのまひとに授け右大臣みぎのおおいもうちぎみとした。同時に八省百寮はっしょうひゃっかんも皆遷任された。六日、大宰おおみこともち・国司くにのつかさも皆遷任された。〕

9壬午。詔。「令公卿百寮。凡有位者。自今以後。於家内著朝服而參上未開門」以前盖昔者到宮門。而着朝服乎。

【壬午みずのえうま〔七日〕、詔みことのりすらく「令公卿まへつきみ百寮もものつかさをして、凡およそ位くらひ有ある者は、今いま自より以もちて後のち、家内いへのうち於にして朝服みかどころもを著き而て未いまだ門みかど開あけざらむ以前さきに參上まうこしめよ」とのたまふ。盖けだし昔いにしへ者は宮門みかどに到まうで而て朝服みかどころもを着きし乎か。】

〔七日、詔みことのりして、「公卿百官くぎょうひゃっかん、すべて有位の者は、今後、家の内で朝服を着て、まだ門を開けない前に参上せよ」と言われた。以前は宮門に入ってから朝服を着たらしい。〕

10甲申。詔曰。「凡朝堂座上見親王者如常。大臣與王。起立堂前二王以上下座而跪。」己丑。詔曰。「朝堂座上見大臣動坐而跪。」

【甲申きのえさる〔九日〕、詔みことのりして曰のたまはく「凡おほよそ朝堂みかどの座くらひの上へにして、親王みこを見みむとき者は常つねの如ごとくせよ。大臣まへつきみ與と王おほきみとは、起たちて堂まつりごとどのの前まへに立たて。二ふたはしらの王おほきみより以上かみつかたには、座くらひより下おり而て跪ひざまづけ。」己丑つちのとうし〔十四日〕、詔みことのりして曰のたまはく「朝堂みかどの座くらひの上へにして、見大臣まへつきみをみむときは、坐くらひを動うごき而て跪ひざまづけ。」とのたまふ。】

〔九日、詔みことのりして、「およそ朝堂で座についているとき、親王を見た場合は従来通り、大臣と王とには、堂前に起立。二王(天皇から二等以内の皇親)以上の人を見た場合は、座から降りて跪いて控えよ」と言われた。十四日、詔して、「朝堂で座についている時、大臣を見た時には、座を動いて跪くように」と言われた。〕

11▼是日以絁絲綿布奉施七寺安居沙門三千三百六十三。別爲皇太子奉施於三寺安居沙門三百廿九。癸巳。遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。

【▼是この日ひ、絁ふとぎぬ絲いと綿わた布ぬのを以もちて、七寺ななつのてらの安居あんごの沙門ほふし三千三百六十三みちあまりみほあまりむそあまりみたりに施おくり奉まだしたまふ。別ことに皇太子ひつぎのみこの爲みために三寺みつのてらの安居あんごの沙門ほふし三百廿九みももあまりはたちあまりここのたり於に施おくり奉まだしたまふ。癸巳みずのとみ〔十八日〕、使者つかひを遣つかはし廣瀬ひろせの大忌神おほいみのかみ與と龍田たつたの風神かぜのかみとを祭まつらしむ。】

〔この日、絁、糸、綿、布を、七力寺の安居あんごの僧、三千三百六十三人に下賜された。別に皇太子(故草壁)のために、三つの寺の安居あんごの僧三百二十九人にも下賜された。十八日、使者を遣わして、広瀬大忌神ひろせのおおいみのかみと竜田風神たつたのかぜのかみとを祭らせた。〕

12八月乙巳朔戊申。天皇幸吉野宮。乙卯。以歸化新羅人等居于下毛野國。九月乙亥朔。詔諸國等曰。凡造戸籍者。

【八月はつき乙巳きのとみを朔つきたちとして戊申つちのえさる〔四日〕。天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。乙卯きのとう〔十一日〕、歸化まうおもぶける新羅しらき人ひと等どもを以もちて下毛野國しもつけのくに于に居はべらしむ。九月ながつき乙亥きのとゐの朔つきたち。諸もろもろの國くにのみこともち等たちに詔みことのりして曰のたまはく「凡おほよそ戸籍へのふみたを造つくる者は、】

〔八月四日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになった。十一日、帰化した新羅人しらぎびとらを、下毛野国しもつけののくにに住まわせた。九月一日、諸国の国司くにのつかさに詔みことのりして、「戸籍を造るには〕

13依戸令也。乙酉。詔曰。朕將巡行紀伊之故。勿収今年京師田租。口賦。丁亥。天皇幸紀伊。

【戸令こりやうに依よる也なり。乙酉きのととり〔十一日〕、詔みことのりして曰のたまはく「朕われ、將まさに紀伊きのくに之これを巡行めぐりみそなはさむとす。故かれ、今年このとしの京師みやこの田租たちから口ひとごとの賦みつきを収さむること勿まな。丁亥ひのとゐ〔十三日〕、天皇すめらみこと紀伊ききのくにに幸いでます。】

〔戸令こりょう(浄御原令の篇目の一つ)によって行え」と言われた。十一日、詔して、「紀伊国きいのくにを巡行しようと思うから、今年の京師みやこの田租、ロ賦(人頭税)は徴収をやめよ」と言われた。十三日、天皇は紀伊きいにお出でになった。〕

9捕虜の博麻が帰還

1丁酉。大唐學問僧智宗。義徳。淨願。軍丁筑紫國上陽咩郡大伴部博麻。從新羅送使大奈末金高訓等。還至筑紫。

【丁酉ひのととり〔二十三日〕、大唐から(もろこし)の學問ものならふ僧ほふし智宗ちそう義徳ぎとく淨願じやうぐわん軍丁いくさよほろ筑紫國つくしのくにの上陽咩郡かみつやめのこほり大伴部おほともべの博麻はかま、新羅しらきの送使おくりつかひ大奈末金だいなまこむ高訓かうくん等らに從したがひて、筑紫つくしに還至まういたれり。】

〔二十三日、大唐に学んだ学問僧の智宗ちそう、義徳ぎとく、浄願じょうがんは兵士の筑紫国上妻郡つくしのくにかみつやめのこおり(八女郡)の大伴部博麻おおともべのはかまが、新羅の送使である大奈末金高訓だいなまこんこうくんらに従って、筑紫に帰国した。〕

2戊戌。天皇至自紀伊。冬十月甲辰朔戊申。天皇幸吉野宮。癸丑。大唐學問僧智宗等至于京師。

【戊戌つちのえいぬ〔二十四日〕、天皇すめらみこと紀伊きのくに自より至かへりおはします。冬ふゆ十月かむなつきの甲辰きのえたつを朔つきたちとして戊申つちのえさる〔五日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。癸丑みずのとうし〔十日〕、大唐から(もろこし)の學問ものならふ僧ほふし智宗ちそう等ら京師みやこ于に至まういたる。】

〔二十四日、天皇は紀伊からお帰りになった。冬十月五日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになった。十日、大唐の学問僧である智宗ちそうらが京師みやこについた。〕

3戊午。遣使者詔筑紫大宰河内王等曰。「饗新羅送使大奈末金高訓等。准上送學生土師宿禰甥等送使之例。

【戊午つちのえうま〔十五日〕、遣使者つかひをつかはし、筑紫つくしの大宰おほみこともちの河内王かふちのおほきみ等らに詔みことのりして曰のたまはく「新羅しらきに使つかひを送おくり大奈末金だいなまこむ高訓かうくん等らに饗あへたまふこと、學生ものならひひと土師はじの宿禰すくね甥おひ等らを上送おくりたてまつりし送使おくりつかひ之の例あとに准なぞらへよ。】

〔十五日、使者を遣わして、筑紫大宰河内王ちくしのおおみこともちかわちのおおきみらに詔みことのりして、「新羅の送使である大奈末金高訓だいなまこんこうくんらの饗応きょうおうは、学生の土師宿禰甥はじのすくねのおいらを送ってきた送使の饗あえに準ぜよ。〕

4其慰勞賜物一依詔書。」乙丑。詔軍丁筑後國上陽郡人大伴部博麻曰。「於天豐財重日足姫天皇七年救百濟之役。

【其その慰勞ねぎらへ物もの賜たまふこと一もはらに詔書みことのりのふみの依ままに」とのたまふ。乙丑きのとうし〔二十二日〕、軍丁いくさよほろ筑後國つくしのみちのしりのくにの上陽郡かみつやめのこほりの人ひと大伴部おほともべの博麻はかまに詔みことのりして曰のたまはく「天豐財重日足姫天皇あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみことの七年ななとせ於に、百濟くたらを救すくふ之が役えだちに】

〔その慰労と賜物は、詔書ちょくしょに示されたことに従え」と言われた。二十二日、兵士、筑後国上陽咩郡ちくごのくにかみつやめのこおり(上妻郡)の人である大伴部博麻おおともべのはかまに詔みことのりして、「斉明天皇さいめいてんのうの七年、百済くだら救援の役で、〕

5汝爲唐軍見虜。洎天命開別天皇三年。土師連富杼。氷連老。筑紫君薩夜麻。弓削連元寶兒四人。

【汝いまし、唐から(もろこし)の軍いくさの爲ために見虜とりこにせられたり。天命開別天皇あめみことひらかすわけのすめらみことの三年みとせに洎およびて、土師連はじのむらじ富杼ほど、氷連ひのむらじ老をゆ、筑紫君つくしのきみ薩夜麻さちやま、弓削連ゆげのむらじ元寶兒ぐわんほうのこ四人よたり、】

〔おまえは唐の捕虜とされた。天智天皇てんちてんのうの三年になって、土師連富抒はじのむらじほど、氷連老ひのむらじおきな、筑紫君薩夜麻つくしのきみさちやま、弓削連元宝ゆげのむらじがんぽうの子の四人が、〕

6思欲奏聞唐人所計。縁無衣粮。憂不能達。於是。博麻謂土師富杼等曰。我欲共汝還向本朝。縁無衣粮。倶不能去。

【唐人もろこしびとの計はかる所ところを奏聞きこえまうさむと思欲おもへども、衣粮きものかて無なきに縁よりて、達とづくこと不能あたはざることを憂うれふ。是ここ於に、博麻はかま、土師はじの富杼ほど等らに謂かたりて曰いはく「我われ汝いまし共とともに、本朝もとつみかどに還向まうおもむか欲むとすれども、衣粮きものかて無なきに縁よりて、倶ともに去ゆくこと不能かなはず。】

〔唐人の計画を朝みかどに奏上しようと思ったが、衣食も無いために京師みやこまで行けないことを憂えた。そのとき、博麻はかまは土師富抒はじのむらじほどらに語って、『私は皆と一緒に朝みかどのもとに行きたいが、衣食もない身で叶わないので、〕

7願賣我身以充衣食。』富杼等任博麻計得通天朝。汝獨淹滯他界於今卅年矣。朕嘉厥尊朝愛國賣己顯忠。

【願こふ。我身わがみを賣うりて、衣きもの食をしもの以に充あてよ。』といふ。富杼等ほどら、博麻はかまが計はかりごとの任ままに、天朝みかどに通とづくこと得えたり。汝いまし、獨ひとり他界ひとくにに淹滯ひさしくとどまること、今いま於に卅年みそとせなり矣や。朕われ、厥その朝みかどを尊とほとび國くにを愛おもひて、己おのれがみを賣うりて忠まめなるこころを顯あらはすことを嘉よろこぶ。】

〔どうか私を奴隷に売り、その金を衣食にあててくれ』と言った。富抒ほどらは博麻はかまの計に従って、日本へ帰ることができた。おまえは一人他国に三十年も留まった。私は、おまえが朝廷を尊び国を思い、己を売ってまで、忠誠を示したことを喜ぶ。〕

8故賜務大肆。并絁五匹。緜一十屯。布卅端。稻一千束。水田四町。其水田及至曾孫也。兔三族課役。以顯其功。」

【故このゆゑに務大肆むだいしのくらゐ、并あはせて絁ふとぎぬ五匹いつむら。緜わた一十屯ともぢ。布ぬの卅端みそむら。稻いね一千束ちつか。水田こなた四町よところ賜たまふ。其その水田こなたは曾孫ひひこに及至いたす也なり。三族みつのやからの課役えつきを兔ゆるして、以もちて其その功いたはりを顯あらはさむ。」】

〔それゆえ、務大肆むだいしの位に合わせて、絁ふとぎぬ五匹、綿十屯、布三十端、稲千束、水田四町を与える。その水田は曽孫まで引き継げ。課役は三代まで免じて、その功を顕彰する」と言われた。〕

9壬申。高市皇子觀藤原宮地。公卿百寮從焉。十一月甲戌朔庚辰。賞賜送使金高訓等各有差。甲申。

【壬申みずのえさる〔二十九日〕、高市皇子たけちのみこ藤原ふじはらの宮地みやどころを觀みそなはす。公卿まへつきみ百寮もものつかさ焉ここに從おほみともなり。十一月しもつきの甲戌きのえいぬを朔つきたちとして庚辰かのえたつ〔七日〕。賞賜送使おくるつかひ金高訓こんこうくむ等らものたまふこと各おのおの差しな有あり。甲申きのえさる〔十一日〕、】

〔二十九日、高市皇子たけちのみこは藤原の宮地を視察され、公卿百官くぎょうひゃっかんがお供した。十ー月七日、送使金高顧こんこうこらにそれぞれ物を賜わった。十一日、〕

10奉勅始行元嘉暦與儀鳳暦。十二月癸卯朔乙巳。送使金高訓等罷歸。甲寅。天皇幸吉野宮。

【勅ちょくを奉たまはりて始はじめて元嘉暦げんかのこよみ與と儀鳳暦ぎほうのこよみを行おこなふ。十二月しはす癸卯みずのとうを朔つきたちとして乙巳きのとみ〔三日〕。送おくる使つかひ金高訓こんこうくん等ら罷まかり歸かへりぬ。甲寅きのえとら〔十二日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。】

〔勅ちょくを承ってはじめて元嘉暦げんかのこよみ(宋の元嘉年間にできた暦こよみ)と儀鳳暦ぎほうのこよみ(唐の暦で儀鳳年間に伝わったもの)を使用した。十二月三日、送使金高訓こんこうくんらが帰途についた。十二日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになった。〕

11丙辰。天皇至自吉野宮。辛酉。天皇幸藤原觀宮地。公卿百寮皆從焉。乙丑。賞賜公卿以下各有差。

【丙辰ひのえたつ〔十四日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみや自より至かへりおはします。辛酉かのととり〔十九日〕、天皇すめらみこと藤原ふじはらに幸いでまして宮地みやどころを觀みそなはす。公卿まへつきみ百寮もものつかさ皆みな焉ここに從おほみともなり。乙丑きのとうし〔二十三日〕、公卿まへつきみより以下しもつかたに賞賜ものたまふこと、各おのもおのも差しな有あり。】

〔十四日、吉野宮よりお帰りになった。十九日、天皇は藤原宮ふじわらのみやにお出でになり、宮地みやのところをご覧になった。公卿百官くぎょうひゃっかんがお供した。二十三日、公卿くぎょう以下にそれぞれ物を賜わった。〕

10食封の加増

1五年春正月癸酉朔。賜親王。諸臣。内新王。女王。内命婦等位。己卯。賜公卿飮食。衣裳。

【五年いつとせ春はる正月むつきの癸酉みずのととりの朔つきたちに、親王みこ諸臣まへつきみ内新王ひめみこ女王ひめおほきみ内命婦ひめまへつきみ等たちに位くらゐを賜たまふ。己卯つちのとう〔七日〕、公卿まへつきみに飮食をしもの衣裳きものを賜たまふ。】

〔五年春一月一日、親王、諸臣、内親王、女王、内命婦らに位を賜わった(六年目に当るためか)。七日、公卿に飲食、衣裳を賜わった。〕

2優賜正廣肆百濟王余禪廣。直大肆遠寶。良虞。與南典。各有差。乙酉。増封皇子高市二千戸。通前三千戸。

【正廣肆しやうくわうし百濟くたらの王こきし余禪廣よぜんくわう直大肆ぢきだいし遠寶をんほう良虞りやうぐ與と南典なむてんに優にぎほへた賜まふこと、各おのおの差しな有あり。乙酉きのととり〔十三日〕、封へひと増ますこと、皇子高市みこたけちに二千戸ふたちへ、前さきに通かよはせば三千戸みちへ。】

〔正広肆百済王余禅広しょうこうしくだらのこきしょぜんこう、直大肆遠宝じきだいしえんほうと、良虞りょうぐと南典なんてん(2名とも禅広の子)に優にぎおえ(賑わしくする物)をそれぞれに賜わった。十三日、位階に応じた食封へひとを加増された。皇子高市に二千戸、前からの分と合わせて三千戸。〕

3淨廣貳皇子穂積五百戸。淨大參皇子川嶋百戸。通前五百戸。正廣參右大臣丹比嶋眞人三百戸。通前五百戸。

【淨廣貳じやうくわうに皇子穂積みこほづみに五百戸いほへ。淨大參じやうだいさむ皇子川嶋みこかわしまに百戸ももへ。前さきに通かよはせば五百戸いほへ。正廣參しやうくわうさむ右大臣みぎのおほまへつきみ丹比たぢひの嶋眞人しまのまひとに三百戸みももへ。前さきに通かよはせば五百戸いほへ。】

〔浄広貳皇子穂積じょうこうにみこのほづみに五百戸。浄大参皇子川嶋じょうだいさんみこのかわしまに百戸、前からのものとで五百戸。正広参右大臣丹比嶋真人しょうこうさんみぎのおおいもうちぎみたじひのしまのまひとに三百戸、前からのものとで五百戸。〕

4正廣肆百濟王禪廣百戸。通前二百戸。直大壹布勢御主人朝臣與大伴御行宿禰。八十戸。通前三百戸。其餘増封各有差。

【正廣肆しやうくわうし百濟くたらの王こきし禪廣ぜんくわうに百戸ももへ、前さきに通かよはせば二百戸ふたももへ。直大壹ぢきだいいち布勢ふせの御主人みぬしの朝臣あそみ與と大伴おほともの御行宿禰みゆきのすくねに八十戸やそへ。前さきに通かよはせば三百戸みももへ。其その餘ほかは封へひと増ますこと、各おのおの差しな有あり。】

〔正広肆百済王禅広しょうこうしくだらのこきしょぜんこうに百戸、前からのものとで二百戸。直大壱布勢御主人朝臣じきだいいちふせのみぬしのあそんと大伴御行宿禰おおとものみゆきのすくねに八十戸、前からのものとで三百戸。その他にも、それぞれに加増があった。〕

5丙戌。詔曰。直廣肆筑紫史益拜筑紫大宰府典以來。於今廿九年矣。以清白忠誠不敢怠惰是故賜食封五十戸。

【丙戌ひのえいぬ〔十四日〕、詔みことのりして曰のたまはく「直廣肆ぢきかうし筑紫つくしの史益ふびとまさる筑紫つくしの大宰おほみこともちの府典つかさのふびとに拜めされし以來よりこのかた、今いま於に廿九年はたちあまりここのとせ矣か。清白あきらけき忠誠まめこころを以もちて、敢あへて不怠惰たゆまず。是この故ゆえに、食封へひと五十戸いそへ】

〔十四日、詔して、「直広肆筑紫史益じきこうしつくしのふびとまさるは、筑紫大宰府ちくしのおおみこともちの典ふびとに任ぜられてから、今に至る二十九年間、清白き忠誠心をもって、たゆまず仕えた。ゆえに食封へひと五十戸、〕

6絁十五匹。緜廿五屯。布五十端。稻五千束。戊子。天皇幸吉野宮。乙未。天皇至自吉野宮。二月壬寅朔。

【絁ふとぎぬ十五匹とをあまりいつむら緜わた廿五屯はたちあまりいつもぢ布ぬの五十端いそむら稻いね五千束いつちつか賜たまふ。戊子つちのえね〔十六日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。乙未きのとひつじ〔二十三日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみや自より至かへりおはします。二月きさらき壬寅みずのえとらの朔つきたち、】

〔絁ふとぎぬ十五匹、綿二十五屯、布五十端、稲五千束を与える」と言われた。十六日、天皇は吉野宮よしののみやへお出でになり、二十三日、吉野よりお帰りになった。二月一日、〕

7天皇詔公卿等曰。卿等於天皇世。作佛殿。經藏。行月六齊。天皇時々遺大舍人問訊。朕世亦如之。故當勤心奉佛法也。

【天皇すめらみこと公卿まへつきみ等たちに詔みことのりして曰のたまはく「卿きみ等たち、天皇すめらみことの世みよ於に、佛殿ほとけのてら經藏きやうざうを作つくりて、月つきごとの六齊むよりのいみを行おこなへり。天皇すめらみこと時々よりよりに大舍人おほとねりを遺つかはして問訊とひたまふ。朕わが世みよにも亦また之ここに如かくのごとくせむ。故かれ、當まさに勤いそしき心こころをもて、佛ほとけの法みのりを奉あがめたてまつる也なり。】

〔天皇は公卿くぎょうらに詔みことのりして、「卿けいたちよ、天武天皇の御世に、仏殿、経蔵をつくり、毎月六回の斎日いみびを行じた。天皇はその時々に、大舍人おおとねりを遣わして問わされた。我が世にもこのようにしたいと思う。それゆえ、心慎み仏法を崇めるよう」と言われた。〕

8▼是日。授宮人位記。三月壬申朔甲戌。宴公卿於西廳。丙子。天皇觀公私馬於御苑。癸巳。詔曰。「若有百姓弟爲兄見賣者。

【▼是この日ひ、宮人みやびとに位記くらひのふみ授さづけたまふ。三月やよひの壬申みづのえさるを朔つきたちとして甲戌きのえいぬ〔三日〕。公卿まへつきみを西にしの廳まつりごとどの於に宴うたげ(とよのあかり)したまふ。丙子ひのえね〔五日〕、天皇すめらみこと公おほやけ私わたくしの馬うまを御苑みその於に觀みそなはす。癸巳みずのとみ〔二十二日〕、詔みことのりして曰のたまはく「若もし百姓おほみたからの弟おとと、兄このかみの爲ために見賣うらるること有あら者ば、】

〔この日、宮人みやびとに位記(冠位授与の辞令)を授けられた。三月三日、公卿くぎょうに西庁にしのまつりごとどので宴を賜わった。五日、天皇は公私の馬を御苑で観閲された。二十二日、詔みことのりして、「もし百姓おおみたからの弟が、兄のために売られることがあれば、〕

9從良。若子爲父母見賣者。從賎。若准貸倍沒賎者從良。其子雖配奴婢。所生亦皆從良。」夏四月辛丑朔。詔曰。

【良おほみたからに從つけよ。若もし子こ、父母かぞいろの爲ために見賣うられな者ば、賎やつこに從つけよ。若もし貸倍かりもののこに准なぞらへて賎やつこに沒なれらむ者は、良おおみたからに從つけよ。其その子こ、奴をのこやつこ婢めのこやつこに配たぐへて生うむ所ところと雖いふとも、亦また皆みな良おほみたからに從つけよ。」とのたまふ。夏なつ四月うつき辛丑かのとうしの朔つきたち〔一日〕、詔みことのりして曰のたまはく】

〔良人に入れよ。もし子どもが父母のために売られたら、賤民せんみんに入れよ。借金のために賤民にされた者は良人に入れよ。その子が奴婢ぬひとつれ合って生んだ子も良人に入れよ」と言われた。夏四月一日、詔みことのりして、〕

10「若氏祖時所兔奴婢既除籍者。其眷族等不得更訟言我奴婢。」賜大學博士上村主百濟大税一千束。以勸其學業也。

【「若もし氏うじの祖おやの時とき兔ゆるされたる所ところの奴をのこやつこ婢めのこやつこの、既すでに籍へふみたに除のぞかれたらむ者は、其その眷族やから等ども、更さらに訟うたへて、我わが奴をのこやつこ婢めのこやつこと言いふことを不得えじ。」大學博士ふむやつかさのはかせ上村主うへのすぐり百濟くたらに大税おほちから一千束ちつか賜たまふ。其その學業みちを勸すすむるを以もちて也なり。】

〔「もし氏の先祖の時に、奴婢ぬひを免ぜられ、戸籍上除かれている者を、後の眷族やからがまた訴えて、我が奴婢であると主張することは許されない」と言われた。大学博士の上村主百済うえのすぐりくだらに大税おおちから(田租)千束を賜わった。その学績を褒められたからである。〕

11辛亥。遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。丙辰。天皇幸吉野宮。壬戌。天皇至自吉野宮。五月辛未朔辛卯。

【辛亥かのとゐ〔十一日〕、使者つかひを遣まだし廣瀬ひろせの大忌神おほいみのかみ與と龍田たつたの風神かぜのかみとを祭まつる。丙辰ひのえたつ〔十六日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。壬戌みずのえいぬ〔二十二日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみや自より至かへりおはします。五月さつき辛未かのとひつじを朔つきたちとして辛卯かのとう〔二十一日〕、】

〔十一日、使者を遣わして、広瀬大忌神ひろせのおおいみのかみと竜田風神たつたのかぜのかみとを祭った。十六日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになり、二十二日、お帰りになった。五月二十一日、〕

12褒美百濟淳武微子壬申年功。賜直大參。仍賜絁布。六月。京師及郡國四十雨水。戊子。詔曰。此夏陰雨過節。

【百濟くたらの淳武微子じゅゆんむみしが壬申みずのえさるの年としの功いたはりを褒美ほめて、直大參じきだいさむ賜たまふ。仍よりて絁ふとぎぬ布ぬの賜たまふ。六月みなつき、京師みやこ及および郡國くにぐに四十よそところに雨水あめふれり。戊子つちのえね〔十八日〕、詔みことのりして曰のたまはく「此この夏なつの陰雨ながあめ、節ときに過たがへり。】

〔百済淳武微子くだらのじゅんむみしに、壬申じんしんの年の功を褒めて、直大参じきだいさんを贈られ、絁ふとぎぬと布を賜わった。六月、京師みやこと諸国の四十ヵ所に水害があった。五月十八日、詔して、「この頃の陰雨ながあめは季節に外れている。〕

13懼必傷稼。夕惕迄朝憂懼。思念厥愆。其令公卿百寮人等。禁斷酒宍。攝心悔過。京及畿内諸寺梵衆。亦當五日誦經。

【懼おそるらくは必かならず稼なりはひを傷やぶりてむ。夕ゆふべまでに惕いたみて朝あしたにいたる迄までに憂うれへ懼おそる。厥その愆あやまりを思おもひ念おもふ。其それ令公卿まへつきみ百寮もものつかさの人ひと等どもをして、酒みき宍ししを禁いさみ斷やめて、心こころを攝をさめ悔過くゑくわせしめよ。京みやこ及および畿内うちつくにの諸寺てらでらの梵衆のりのしども、亦また當まさに五日いつか、經きやうを誦よめ。】

〔恐らく農作を損なうであろう。朝から晚まで憂え恐れている。政治に何かの過ちがあるのではないかと思う。公卿くぎょう、百官ひゃっかんも酒肉を禁じ、心を修め過ちを悔いよ。京みやこや畿内うちつくにの諸寺の僧らは、五日間誦経せよ。〕

14庶有補焉。自四月雨。至于是月。己未。大赦天下。但盜賊不在赦例。秋七月庚午朔壬申。天皇幸吉野宮。

【庶ねがはくは焉ここに補しるし有あらむことを。」とのたまへり。四月うつき自より雨あめふりて、是この月つき于に至いたれり。己未つちのとひつじ〔二十日〕、天下あめのしたに大おほきに赦つみゆるす。但ただし盜賊ぬすびとのみは赦ゆるしの例つらに不在あらず。秋あき七月ふみゆき庚午かのえうまを朔つきたちとして壬申みずのえさる〔三日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。】

〔どうか効果のあるようにと願う」と言われた。四月から雨が降り、この六月まで続いていたのである。二十日、全国に大赦おおはらえをした。ただし、盗賊はこの赦例に入らなかった。秋七月三日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになった。〕

15▼是日。伊豫國司田中朝臣法麻呂等獻宇和郡御馬山白銀三斤八両。■(金偏に丱)一篭。丙子。宴公卿。仍賜朝服。辛巳。

【▼是この日ひ、伊豫國いよのくにの司みこともち田中朝臣たなかのあそみ法麻呂のりまろ等ら、宇和郡うわのこほりの御馬山みまのやまの白銀しろかね三斤みはかり八両やころ■(金偏に丱)あらかね一篭ひとこ獻たてまつる。丙子ひのえね〔七日〕、公卿まへつきみに宴うたげ(とよのあかり)したまふ。仍よりて朝服みかどころも賜たまふ。辛巳かのとみ〔十二日〕、】

〔この日、伊予国司田中朝臣法麻呂いよのくにのみこともちたなかのあそんのりまろらが、宇和郡うわのこおりの三間山みまやまの白銀しろがね三斤八両(約2.1kg)、あらがね(字は金偏に丱。掘り出したままの金属)一籠かごを奉った。七日、公卿に宴を賜わり、朝服を給された。十二日、〕

16天皇至自吉野。甲申。遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。八月己亥朔癸卯。觀射。辛亥。詔十八氏〈大三輪。

【天皇すめらみこと吉野よしの自より至かへりおはします。甲申きのえさる〔十五日〕、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。八月はつき己亥つちのとゐを朔つきたちとして癸卯みずのとう〔五日〕、射やいるを觀みる。辛亥かのとゐ〔十三日〕、十八氏やそじあまりやつうじ〈大三輪おほみわ】

〔天皇は吉野よしのから帰られた。十五日、使者を遣わして、広瀬大忌神ひろせのおおいみのかみと竜田風神たつたのかぜのかみとを祭らせた。八月十三日、十八の氏〈大三輪おおみわ、〕

17雀部。石上。藤原。石川。巨勢。膳部。春日。上毛野。大伴。紀伊。平群。羽田。阿倍。佐伯。釆女。穂積。阿曇。〉

【雀部さざきべ石上いそのかみ藤原ふじはら石川いしかは巨勢こせ膳部かしわで春日かすが上毛野かみつけの大伴おほとも紀伊きい平群へぐり羽田はた阿倍あべ佐伯さえき釆女うねめ穂積ほずみ阿曇あずみ〉に詔みことのりして、】

〔雀部さざきべ、石上いそのかみ、藤原ふじわら、石川いしかわ、巨勢こせ、膳部かしわで、春日かすが、上毛野かみつけの、大伴おおとも、紀伊きい、平群へぐり、羽田はた、阿倍あべ、佐伯さえき、采女うねめ、穂積ほずみ、阿曇あずみ〉に詔みことのりして、〕

18上進其祖等墓記。辛酉。遣使者祭龍田風神。信濃須波。水内等神。九月己巳朔壬申。賜音博士大唐續守言。

【其その祖おや等どもの墓記おくつきのふみを上進たてまつらしむ。辛酉かのととり〔二十三日〕、使者つかひを遣まだし龍田たつたの風神かぜのかみ、信濃しなのの須波すは、水内みぬち等らの神かみを祭まつらしむ。九月ながつき己巳つちのとみを朔つきたちとして壬申みずのえさる〔四日〕。音博士こゑのはかせ大唐もろこしの續守言しょくしゅげん】

〔その先祖の墓記を上進させた。二十三日、使者を遣わして、竜田風神たつたのかぜのかみ、信濃しなのの諏訪すわ(諏訪大社)、水内社みぬちなどの神を祭らせた。九月四日、音博士こえのはかせ(中国北方の標準音を教える人)大唐の続守言しょくしゅげん、〕

19薩弘恪。書博士百濟末士善信銀人廿両。丁丑。淨大參皇子川嶋薨。辛卯。以直大貳贈佐伯宿禰大目并賜賻物。

【薩弘恪さつこうかく、書博士てかきのはかせ百濟くたらの末士ばつし善信ぜんしんに、銀しろがね、人ひとごとに廿両はたころ賜たまふ。丁丑ひのとうし〔九日〕、淨大參じょうだいさむ皇子みこ川嶋かはしま薨みうせぬ(こうず)。辛卯かのとう〔二十三日〕、直大貳ぢきだいにを以もちて、佐伯宿禰さへきのすくね大目おほめに贈おひてたまふ。并あはせて賻物はぶりもの賜たまふ。】

〔薩弘格さつこうかく、書博士百済末士善信てかきのはかせくだらばつしぜんしんに、銀二十両(銀一両は米一石)をそれぞれに賜わった。九日、浄大参皇子川嶋じょうだいさんみこのかわしまが薨こうじた。二十三日、直大貳じきだいにの位を、佐伯宿禰大目さえきのすくねおおめに贈られ、合わせて賻物はぶりもの(喪主に贈って助けとするもの)を賜わった。〕