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食事、瞑想、生きる喜び。

11藤原宮造営

1冬十月戊戌朔。日有蝕之。乙巳。詔曰。凡先皇陵戸者置五戸以上。自餘王等有功者置三戸。若陵戸不足。

【冬ふゆ十月かむなつき戊戌つちのえいぬの朔つきたち、日ひ蝕あえる之のこと有あり。乙巳きのとみ詔みことのりして曰のたまわく「凡おほよそ先さきの皇すめらみことの陵戸みさざきのべ者は、五戸いつへ以上よりかみを置おけ。自餘これよりほかの王おほきみ等たちの、功いたはり有ある者ものには三戸みへを置おけ。若もし陵戸みさざきのべ不足たらずは、】

〔冬十月一日、日蝕にっしょくがあった。十月八日、詔みことのりして、「先皇の陵戸みささぎのへ(山陵の守衛をする賤民)は五戸以上とせよ。これ以外の王らの有功者には、三戸とする。もし陵戸が足りなかったら、〕

2以百姓充。兔其徭役。三年一替。庚戌。畿内及諸國置長生地各一千歩。▼是日。天皇幸吉野宮。丁巳。

【百姓おほみたからを以もちて充あてよ。其その徭役みゆきえだち兔ゆるせ。三年みとせに一ひとたび替かへよ。」とのたまふ。庚戌かのえいぬ〔十三日〕、畿内うちつくに及および諸國くにぐにに、長生地いきはなつところ、各おのおの一千歩ちあし置おく。▼是この日ひ、天皇すめらみこと吉野宮よしののみやに幸いでます。丁巳ひのとみ〔二十日〕、】

〔百姓おおみたからをあてよ。その者の徭役ようえきは免除せよ。三年に一度入れ替えよ」と言われた。十三日、畿内うちつくにと諸国に長生地(殺生禁断の所)として各千歩(一歩は約一坪)を設けた。この日、天皇は吉野宮よしののみやにお出でになり、二十日、〕

3天皇至自吉野。甲子。遣使者鎭祭新益京。十一月戊辰。大嘗。神祗伯中臣朝臣大嶋讀天神壽詞。壬辰。

【天皇すめらみこと吉野よしの自より至かへりおはします。甲子きのえね〔二十七日〕、使者つかひを遣まだし新益京しんやく(あらまし)のみやこを鎭しづめ祭まつらしむ。十一月しもつき戊辰つちのえたつ〔一日〕、大嘗おほにへす。神祗伯かむつかさのかみ中臣朝臣なかとみのあそみ大嶋おほしま、天神あまつかみの壽詞よごとを讀よむ。壬辰みずのえたつ〔二十五日〕、】

〔お帰りになった。二十七日、使者を遣わして新益京しんやくのみやこ(新たに増された藤原宮)に、地鎮じちんの祭をさせられた。十一月一日、大嘗祭だいじょうさいを行ない、神祇伯中臣朝臣大嶋かむつかさのかみなかとみのあそんおおしまが、天つ神あまつかみの寿詞よごとを読んだ。二十五日、〕

4賜公卿衾。乙未。饗公卿以下至主典。并賜絹等。各有差。丁酉。饗神祗官長上以下。至神部等。及供奉播磨國。

【公卿まへつきみに衾おものおほみふすま賜たまふ。乙未きのとひつじ〔二十八日〕、公卿まへつきみより以下しもつかた主典ふびとに至いたるまでに饗あへたまふ。并あはせて絹等きぬら賜たまふこと、各おのおの差しな有あり。丁酉ひのととり〔三十日〕、神祗官かむづかさの長上ながつかへより以下しもつかた、神部かむともを等らに至いたるまでに饗あへたまひ、及および供ともに奉つかへまつれる播磨國はりまのくに】

〔公卿くぎょうに食事と衣服を賜わった。二十八日、公卿以下主典ふびと(四等官)に至るまでに、饗あえおよび絹などを賜わった。三十日、神祇官の長上ながつかえ(毎日出勤する官)以下神部かむとものおに至るまでと、大嘗だいじょうに供奉した播磨はりま、〕

5因幡國郡司以下。至百姓男女并賜絹等。各有差。十二月戊戌朔己亥。賜醫博士務大參徳自珍。咒禁博士木素丁武。

【因幡國いなばのくにの郡司こほりのみこともちより以下しもつかた、百姓おほみたからの男をのこ女めのこに至いたるまでに饗あへたまひ、并あはせて絹きぬ等ら賜たまふこと、各おのおの差しな有あり。十二月しはす戊戌つちのえいぬを朔つきたちとして己亥つちのとゐ〔二日〕。醫博士くすしのはかせ務大參むだいさむ徳自珍とくじちん咒禁博士じゆこむのはかせ木素丁武もくそちやうむ】

〔因幡いなばの国の郡司こおりつかさ以下百姓おおみたからの男女に至るまでに、饗あえと絹などを賜わった。十二月二日、医博士くすしのはかせである務大参徳自珍むだいさんとくじちん、呪禁博士じゅこんのはかせである木素丁武もくそちょうむ、〕

6沙宅萬首銀人廿両。乙巳。詔曰。賜右大臣宅地四町。直廣貳以上二町。大參以下一町。勤以下至無位。隨其戸口。

【沙宅萬首さたくまんしゆに、銀しろがね、人ひとごとに廿両はたころ賜たまふ。乙巳きのとみ〔八日〕、詔みことのりして曰のたまはく「右みぎの大臣おほまへつきみに賜たまふ宅地いへどころ四町よところ、直廣貳ぢきくわうにより以上かみつかたには二町ふたところ。大參だいさむより以下しもつかたには一町ひとところ。勤ごんより以下しもつかた、無位むゐに至いたるまでは、其その戸口へひとに隨したがはむ。】

〔沙宅万首さたくまんしゅに銀をそれぞれ二十両ずつ賜わった。八日、詔みことのりして、「新益京しんやくのみやこでの右大臣に賜わる宅地は四町。直広貳じきこうに以上には二町、大参だいさん以下には一町、勤ごん以下無位まではその戸の人数による。〕

7其上戸一町。中戸半町。下戸四分之一。王等亦准此。六年春正月丁卯朔庚午。増封皇子高市二千戸。通前五千戸。

【其その上戸かみのへには一町ひとところ。中戸なかのへには半町なかば。下戸しものへには四分よつにわかちて之の一ひとつ。王おほきみ等たちも亦また此これに准なぞらへよ。】とのたまふ。六年むとせ春はる正月むつき丁卯ひのとうを朔つきたちとして庚午かのえうま〔四日〕。皇子高市みこたけちに二千戸ふたちへ封へひと増ます、前さきに通かよはせば五千戸いつちへ。】

〔上戸には一町、中戸には半町、下戸には四分の一、王等もこれに準ずる」と言われた。六年春一月四日、皇子高市たけちに食封へひと二千戸を加増し、前からの分とで五千戸となった。〕

8癸酉。饗公卿等。仍賜衣裳。戊寅。天皇觀新益京路。壬午。饗公卿以下至初位以上。癸巳。天皇幸高宮。甲午。天皇至自高宮。

【癸酉みずのととり〔七日〕、公卿まへつきみ等たちに饗あへたまふ。仍なほ、衣裳きもの賜たまふ。戊寅つちのえとら〔十二日〕、天皇すめらみこと新益京しんやくのみやこの路おほちを觀みそなはす。壬午みずのえうま〔十六日〕、公卿まへつきみより以下しもつかた、初位うひかうぶりより以上かみつかたに至いたるまで饗あへたまふ。癸巳みずのとみ〔二十七日〕、天皇すめらみこと高宮たかみやに幸いでます。甲午きのえうま〔二十八日〕、天皇すめらみこと高宮たかみや自より至かへりおはします。】

〔七日、公卿らに饗あえと衣裳を賜わった。十二日、天皇は新益京しんやくのみやこの大路をご覧になった。十六日、公卿以下の初位から、最上位の者までに饗を賜わった。二十七日、天皇は高宮たかみや(大和国葛城郡高宮)にお出でになり、二十八日、お帰りになった。〕

12大三輪高市麻呂の諫言と伊勢行幸

1二月丁酉朔丁未。詔諸官曰。當以三月三日將幸伊勢。宜知此意備諸衣物。賜陰陽博士沙門法藏。道基銀人廿兩。

【二月きさらき丁酉ひのととりを朔つきたちとして丁未ひのとひつじ〔十一日〕。諸官つかさつかさに詔みことのりして曰のたまはく「當まさに三月やよひ三日みかのひを以もちて將まさに伊勢いせに幸いでまさむ。此この意こころを知しりて、諸もろもろの衣物きものを備そなふべし」と宜のたまふ。陰陽博士おむやうのはかせ沙門ほふし法藏ほふぞう道基だうきに、銀しろかね人ひとごとに廿兩はたころ賜たまふ。】

〔二月十一日、諸官に詔みことのりして、「三月三日に伊勢に行こうと思う。これに備えて、必要ないろいろの衣服を準備するように」と言われた。この取りきめに関った陰陽博士おんみょうのはかせである沙門法蔵ほうしほうぞう、道基どうきに、銀二十両を賜わった。〕

2乙卯。詔刑部省。赦輕繋。▼是日中納言直大貳三輪朝臣高市麿呂上表敢直言。諌爭天皇欲幸伊勢妨於農時。

【乙卯きのとう〔十九日〕、刑部省うたへのつかさに詔みことのりして、輕繋かるきとらへびとを赦ゆるしたまふ。▼是この日ひ、中納言すけのものまうすつかさ直大貳じきだいに三輪みわの朝臣あそみ高市麿呂たけちまろ、表ふみを上たてまつりて敢直ただに言まうして、天皇すめらみことの伊勢いせに幸いでまさ欲むとして、農なりはひの時とき於を妨さまたげたまふことを諌あはめ爭いさめまつる。】

〔十九日、刑部省おさかべのつかさに詔して、罪の軽い罪人を赦免された。この日、中納言直大貳ちゅうなごんじきだいにである三輪朝臣高市麻呂みわのあそんたけちまろが、上奏して直言し、天皇の伊勢行幸が、農時の妨げになることを諫め申した。〕

3三月丙寅朔戊辰。以淨廣肆廣瀬王。直廣參當麻眞人智徳。直廣肆紀朝臣弓張等爲留守官。於是。

【三月やよひ丙寅ひのえとらを朔つきたちとして戊辰つちのえたつ〔三日〕。淨廣肆じやうくわうし廣瀬王ひろせのおほきみ直廣參ぢきくわうさむ當麻眞人たぎまのまひと智徳ちとこ直廣肆ぢきくわうし紀朝臣きのあそみ弓張ゆみはり等らを以もちて、留守官とどまりまもるつかさと爲す。是ここ於に、】

〔三月三日、浄広肆広瀬王じょうこうしひろせのおおきみ、直広参当麻真人智徳じきこうさんたぎまのまひとちとこ、直広肆紀朝臣弓張じきこうしきのあそんゆみはりらを、行幸中の留守官に任ぜられた。このとき、〕

4中繩言大三輪朝臣高市麿呂脱其冠位。擎上於朝。重諌曰。農作之節。車駕未可以動。天皇不從諌。遂幸伊勢。

【中繩言すけのまおまうすつかさ大三輪朝臣おほみわのあそみ高市麿呂たけちまろ、其その冠位かうぶりを脱ぬきて、朝みかど於に擎上ささげ。重かさねて諌あはめて曰まうさく、「農作なりはひ之の節とき、車駕きみ未いまだ以もちて動ゆきたまふ可べからず。」とまうす。天皇すめらみこと諌あはめに不從したがひたまはず。遂つひに伊勢いせに幸いでます。】

〔中納言ちゅうなごんの大三輪朝臣高市麻呂おおみわのあそんたけちまろは、職を賭して重ねて諫め、「農繁の時の行幸は、なさるべきではありませぬ」と言った。六日、天皇は諫めに従われず、ついに伊勢に行幸された。〕

5賜所過神郡及伊賀。伊勢。志摩國造等冠位。并兔今年調役。復兔供奉騎士。諸司荷丁。造行宮丁今年調役。

【神郡かみのこほり及および伊賀いが伊勢いせ志摩しまを過すぎし所ところの國造くにのみやつこ等どもに冠位かうぶりを賜たまひ、并あはせて今年ことしの調役えつきを兔ゆるし、復また兔供ともに奉つかへまつれる騎士うまのりひと諸司つかさつかさの荷丁もちよほろ行宮かりみや造つくれる丁よほろの今年ことしの調役えつきを兔ゆるし、】

〔十七日、お通りになる神郡かみのこおり(度会わたらい、多気の両郡)と伊賀いが、伊勢いせ、志摩しまの国造くにのみやつこらに冠位を賜わり、当年の調役を免じ、また供奉の騎士、諸司の荷丁もちよぼろ、行宮かりみや造営のための役夫のその年の調役を免じ、〕

6大赦天下。但盜賊不在赦例。賜所過志摩百姓男女年八十以上稻人五十束。車駕還宮。毎所到行。輙會郡縣吏民。

【天下あめのしたに大赦おほきにつみゆるす。但ただし盜賊ぬすびとは赦ゆるしの例つらに不在あらず。甲申きのえさる〔十九日〕、志摩しまを過すぎし所ところの百姓おほみたから男をのこ女めのこの年とし八十やそじより以上かみに、稻いね、人ひとごとに五十束いそつか賜たまふ。乙酉きのととり〔二十日〕、車駕すめらみこと宮みやに還かへりたまふ。行おはします毎ごとに到いたれる所ところ、輙すなはち郡縣くにこほりの吏つかさ民おほみたからを會まうつどへて、】

〔全国に大赦おおはらえをされた。ただし、盗賊はこの枠に入らなかった。十九日、お通りになる志摩国しまのくにの百姓おおみたから、男女八十歳以上の者に、稲をそれぞれ五十束ずつ賜わった。二十日、天皇の車駕しゃがは浄御原宮きよみはらのみやに帰った。お出でになった先では、郡県こおりあがたの吏民を集めて〕

7務勞賜作樂。詔。兔近江。美濃。尾張。參河。遠江等國供奉騎士戸。及諸國荷丁。造行宮丁今年調役。

【務ことねむごろに勞ねぎらへ、賜ものたまひて樂うたまひ作おこしたまふ。詔みことのりして、近江あふみ美濃みの尾張をはり參河みかは遠江とほつあふみ等らの國くにの供奉そのことにつかへまつれる騎士うまのりひとの戸へ、及および諸國くにぐにの荷丁もちよほろ、行宮かりみや造つくれる丁よほろの今年ことしの調役えつきを兔ゆるす。】

〔労をねぎらい、物を賜わって奏楽をさせられた。二十九日、詔みことのりして、近江、美濃、尾張、三河、遠江などの国の、供奉した騎士と諸国の荷丁もちよぼろ、行宮かりみや造営の役夫の当年の調役を免じた。〕

8詔賜天下百姓困乏窮者。稻男三束。女二束。夏四月丙申朔丁酉。贈大伴宿禰友國直大貳。并賜賻物。庚子。

【詔みことのりして、天下あめのしたの百姓おほみたからの、困乏まどしくして窮せまれる者は、稻いね賜たまふ。男をのこには三束みつか、女めのこには二束ふたつか。夏なつ四月うつき丙申ひのえさるを朔つきたちとして丁酉ひのととり〔二日〕。大伴宿禰おほとものすくね友國ともくにに直大貳ぢきだいにを贈おひてたまふ。并あはせて賻物はぶりもの賜たまふ。庚子かのえね〔五日〕、】

〔詔みことのりして、天下の百姓おおみたからの困窮者に稲を賜わった。男は三束、女は二束であった。四月二日、大伴宿禰友国おおとものすくねともくにに直大貳じきだいにを贈られ、賻物(はぶりもの)を賜わった。五日、〕

9除四畿内百姓爲荷丁者今年調役。甲寅。遣使者祀廣瀬大忌神。與龍田風神。丙辰。賜有位親王以下至進廣肆難波大藏鍬。

【四畿内よつのうちつくにの百姓おほみたからの、荷丁もちよほろと爲なれる者は、今年ことしの調役えつき除やめたまふ。甲寅きのえとら〔十九日〕、使者つかひを遣まだし、廣瀬ひろせの大忌神おほいみのかみ與と龍田たつたの風神かぜのかみを祀まつらしむ。丙辰ひのえたつ〔二十一日〕、位くらひ有ある、親王みこより以下しもつかた、至進廣肆しんくわうしにいたるまでに、難波なにはの大藏おほくらの鍬すき賜たまふこと。】

〔四畿内よつのうちつくに(大和やまと、山城やましろ,摂津せっつ,河内かわちの四国)の人民の、荷丁もちよぼろとなった者の当年の調役を免じられた。十九日、使者を遣わして、広瀬大忌神ひろせのおおいみのかみと竜田風神たつたのかぜのかみとを祭らせた。二十一日、有位者の親王以下進広肆しんこうしまでに、難波なにわの大蔵おおくらの鍬くわを〕

10各有差。庚申。詔曰。凡繋囚見徒一皆原散。五月乙丑朔庚午。御阿胡行宮。時進贄者紀伊國牟婁郡人阿古志海部河瀬麿呂等兄弟。

【各おのおの差しな有あり。庚申かのえさる〔二十五日〕、詔みことのりして曰のたまはく「凡おほよそ繋囚とらはれびと見徒いまみつかふつみ、一ひとつに皆みな原ゆるし散あかて」とのたまふ。五月さつき乙丑きのとうしを朔つきたちとして庚午かのえうま〔六日〕。阿胡あごの行宮かりみやに御おはしましし時ときに、贄おほにへ進たてまつりし者は、紀伊國きいのくにの牟婁郡むろのこほりの人ひと阿古志あこしの海部あまの河瀬麿呂かはせまろ等ら兄弟はらから】

〔それぞれに賜わった。二十五日、詔みことのりして、「およそ獄囚、徒刑の者を皆、放免するよぅに」と言われた。五月六日、阿胡行宮あごのかりみや(志摩国英虞郡)にお出でになったとき、海産物の魚介を奉った紀伊国牟婁郡きのくにのむろこのこおりの阿古志海部河瀬麻呂あこしのあまのかわせまろら、兄弟〕

11三戸服十年調役雜徭。復兔筴抄八人今年調役。辛未窶相摸國司獻赤鳥二隻。言。獲於御浦郡。丙子。幸吉野宮。

【三戸みへに、十年ととせの調役えつき雜徭くさぐさのみゆき服ゆるす。復また、筴抄かぢとり八人やたりに、今年ことしの調役えつきを兔ゆるす。辛未かのとひつじ〔七日〕、窶相摸さがむの國司くにのみこともち赤鳥あかからすの雛ひな二隻ふたつ獻たてまつれり。言まうさく「御浦郡みうらのこほり於に獲えたり。丙子ひのえね〔十二日〕、吉野宮よしののみやに幸いでます。】

〔三戸に、十年間の調役、種々の徭役ようえきを免除された。また、船頭八人にその年の調役を免じた。七日、相模国司さがみのくにのつかさが赤烏あかからすの雛二羽を奉り、「三浦郡みうらのこおりで捕まりました」と言った。十二日、吉野宮にお出でになり、〕

12庚辰。車駕還宮。辛巳。遣大夫謁者祠名山岳涜請雨。甲申。贈文忌寸智徳直大壹。并賜賻物。丁亥。

【庚辰かのえたつ〔十六日〕、車駕すめらみこと宮みやに還かへりたまふ。辛巳かのとみ〔十七日〕、大夫まへつきみ謁者ものまうしひとを遣まだし、名なある山岳やま涜かはを祠まつり雨あま請ごひす。甲申きのえさる〔二十日〕、文忌寸ふみのいみき智徳ちとこに直大壹ぢきだいいちを贈たまふ。并あはせて賻物はぶりもの賜たまふ。丁亥ひのとゐ〔二十三日〕、】

〔十六日、お帰りになった。十七日、大夫、謁者を遣わして、名山と大河の神を祭って雨乞いをした。二十日、文忌寸智徳ふみのいみきちとこに直大壱じきだいいちを贈られ、賻物はぶりものを賜わった。二十三日、〕

13遣淨廣肆難波王等鎭祭藤原宮地。庚寅。遣使者奉幣于四所伊勢。大倭。住吉。紀伊大神。告以新宮。

【淨廣肆じやうくわうし難波王なにはのおほきみ等らを遣つかはし藤原ふぢはらの宮地みやどころを鎭しづめ祭まつらしむ。庚寅かのえとら〔二十六日〕、使者つかひを遣まだし、幣みてぐらを于四所よどころの、伊勢いせ大倭やまと住吉すみのえ紀伊きいの大神おほかみに奉まつらしむ。告まうすに新宮にひしきみやを以もちてす。】

〔浄広肆難波王じょうこうしなにわのおおきみらを遣わして、藤原ふじわらの宮地の地鎮祭じちんさいをさせられた。二十六日、使者を遣わし、幣帛みてぐらを伊勢いせ、大倭やまと、住吉すみのえ、紀伊きいの四ヵ所の大神に奉らせ、新宮にいみやのことを報告された。〕

14潤五月乙未朔丁酉。大水。遣使循行郡國禀貸災害不能自存者。令得漁採山林池澤。詔。令京師及四畿内。

【潤のちの五月さつき乙未きのとひつじを朔つきたちとして丁酉ひのととり〔三日〕。大水おほみづあり。使つかひを遣つかはし郡國くにぐにを循めぐり行ゆきて、災害わざはひありて自みづから存わたらふこと不能あたはざる者は、禀かび貸おひせしめ、山やま林はやし池いけ澤さはに漁すなどりし採きこること得え令しむ。詔みことのりして京師みやこ及および四畿内よつのうちつくにをして、】

〔閏うるう五月三日、大水が出た。使者を国々に巡らせ、災害で生活困難の者に、官稲を借りることができるようにしたり、山林池沢での猟を許されたりした。詔して、京師みやこや畿内うちつくにで、〕

15講説金光明經。戊戌。賜沙門觀成絁十五匹。綿卅屯。布五十端。美其所造鉛粉。丁未。伊勢太神奏天皇曰。

【金光明經こむくわうみやうぎやうを講説とか令しむ。戊戌つちのえいぬ〔四日〕、沙門ほふし觀成くわんじやう絁ふとぎぬ十五匹とをあまりいつむら綿わた卅屯みそもぢ布ぬの五十端いそむら賜たまふ。其その造つくれる所ところの鉛粉えんふんを美ほめたまへり。丁未ひのとひつじ〔十三日〕、伊勢いせの太神おほかみ、天皇すめらみことに奏まうして曰まうしたまはく】

〔金光明経こんこうみょうぎょうを講説させられた。四日、沙門ほうしの観成かんじょうに絁ふとぎぬ十五匹、綿三十屯、布五十端を賜わり、その造った鉛粉えんふん(おしろいの鉛粉)を褒められた。十三日、伊勢神宮いせのじんぐうの神官が天皇に奏上し、〕

16「兔伊勢國今年調役。然應輸其二神郡赤引絲參拾伍斤。於來年當折其代。」己酉。詔筑紫大宰率河内王等曰。

【「伊勢國いせのくにの今年ことしの調役えつき兔ゆるしたまへり。然しかれども應まさに其その二ふたつの神郡かみのこほりより輸いたすべき、赤引絲あからひきのいと參拾伍斤みそあまりいつはかりは、於來年こむとしに、當まさに其その代しろを折へぐべし。」とまうしたまふ。己酉つちのととり〔十五日〕、筑紫つくしの大宰率おほみこともちのかみ河内王かふちのおほきみ等らに詔みことのりして曰のたまはく】

〔「伊勢国の今年の調役を免じられましたが、二つの神郡かみのこおり(度会郡わたらいのこおり、多気郡たけのこおり)から納めるべき、赤引糸あかひきいと三十五斤は、来年に減らすことにしたいと思います」と言った。十五日、筑紫大宰ちくしのおおみこともちの率河内王かわちのおおきみらに詔みことのりして、〕

17「宜遣沙門於大隅與阿多。可傳佛教。復上送大唐大使郭務惊爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。六月甲子朔壬申。

【「宜よろしく沙門ほふしを大隅おほすみ與と阿多あた於に遣まだし、佛教ほとけのみのりを傳つたふ可べし。復また、大唐もろこしの大使おほつかひ郭務惊くわくむそうが、爲御近江あふみの大津宮おほつのみやに天皇すめらみことのため、造つくれる所ところの阿彌陀あみだの像かた上送たてまつれ」とのたまふ。六月みなつき甲子きのえねを朔つきたちとして壬申みずのえさる〔九日〕、】

〔「沙門ほうしを大隅おおすみと阿多あととに遣わして、仏教を伝えるように。また、大唐の大使である郭務惊かくむそうが、天智天皇てんちてんのうのために造った阿弥陀あみだ仏像を、京に送り奉れ」と言われた。六月九日、〕

18勅郡國長吏。各祷名山岳涜。遣大夫謁者。詣四畿内請雨。甲申賜直丁八人官位。美其造大内陵時勤而不懈。

【勅郡國くにぐにの長吏このかみつかさみみことのりして、各おのおの名なある山岳やま涜かはを祷いのらしむ。大夫まへつきみ謁者ものまうしひとを遣まだし、四畿内よつのうちつくにに詣いたりて、雨あま請ごひす。甲申きのえさる〔二十一日〕、直丁つかえのよほろ八人やたりに官位つかさくらひ賜たまふ。其その大内おふちの陵みさざきを造つくりし時ときに勤いそしみ而て不懈おこたらざりしを美ほめたまへり。】

〔諸国の長吏に勅して、名のある山や河に祈禱を捧げさせた。十一日、畿内うちつくにに大夫まえつきみ、謁者を遣わして、雨乞いをした。二十一日、直丁つかえのよぼろ(官司に当直する使丁)八人に官位を賜わった。天武陵を造ったとき、よく勤めたことを褒められたのであった。〕

19天皇觀藤原宮地。秋七月甲午朔乙未。大赦天下。但十惡盜賊不在赦例。賜相模國司布勢朝臣色布智等。

【癸巳みずのとみ〔三十日〕、天皇すめらみこと藤原ふじはらの宮地みやどころを觀みそなはす。秋あき七月ふみつき甲午きのえうまを朔つきたちとして乙未きのとひつじ〔二日〕。天下あめのしたに大赦おほきにつみゆるす。但ただし十惡じふあく盜賊ぬすびとは、赦ゆるしの例つらに不在あらず。相模國さがむのくにの司みこともち布勢朝臣ふせのあそみ色布智しこふち等ら】

〔三十日、天皇は藤原の宮地をご覧になった。秋七月二日、全国に大赦おおはらえをされた。ただし十悪(国家社会を乱す特に重い罪)、盗賊は枠に入らなかった。相模国司さがみのくにのみこともちである布勢朝臣色布智ふせのあそんしこふちらと、〕

20御浦郡少領〈闕姓名。〉與獲赤烏者鹿嶋臣橡樟位及祿。服御浦郡二年調。庚子。宴公卿。壬寅。幸吉野宮。

【御浦郡みうらのこほりの少領すけのみやつこ〈姓名うぢなを闕もらせり〉與と赤烏あかきからす獲えたる者もの鹿嶋臣かしまのおみ橡樟くすとに、位くらひ及および祿もの賜たまふ。御浦郡みうらのこほりの二年ふたとせの調えつき服ゆるす。庚子かのえね〔七日〕、公卿まへつきみに宴うたげ(とよのあかり)したまふ。壬寅みずのえとら〔九日〕、吉野宮よしののみやに幸いでます。】

〔三浦郡小領みうらのこおりのすけのみやつこと、赤烏あかからすを捕らえた鹿島臣機樟かしまのおみくすとに位と禄を賜わり、三浦郡みうらのこおりの二年間の調役を免じた。七日、公卿に宴を賜わった。九日、吉野宮にお出でになった。〕

21甲辰。遣使者祀廣瀬與龍田。辛酉。車駕還宮。▼是夜。熒惑與歳星。於一歩内乍光乍沒。相近相避四遍。

【甲辰きのえたつ〔十一日〕、使者つかひを遣まだし廣瀬ひろせ與と龍田たつたを祀いのらしむ。辛酉かのととり〔二十八日〕、車駕すめらみこと宮みやに還かへりたまふ。▼是この夜よる、熒惑けいごく與と歳星さいしやう、一歩ひとあしの内うち於に、乍あるは光ひかり乍あるは沒かくれし、相あひ近ちかつき相あひ避さること四遍よたび。】

〔十一日、使者を遣わし、広瀬と竜田とを祭らせた。二十八日、天皇は宮に帰られた。この夜、火星と木星が光ったり隠れたりしながら、一歩ぐらいまで近づいたり離れたりを四度繰り返した。〕

22八月癸亥朔乙丑。赦罪。己卯。幸飛鳥皇女田莊。即日還宮。

【八月はつき癸亥みずのとゐを朔つきたちとして乙丑きのとうし〔三日〕、罪つみ赦ゆるす。己卯つちのとう〔十七日〕、飛鳥あすかの皇女ひめみこ田莊たどころに幸いでます。即日そのひに宮みやに還かへりたまふ。】

〔八月三日、罪の者を赦ゆるされることがあった。十七日、飛鳥皇女あすかのみこの別荘にお出ましになり、その日の中に宮にお帰りになった。〕

13班田太夫の派遣

1九月癸巳朔辛丑。遣班田大夫等於四畿内。丙午。神祇官奏上神寶書四卷。鑰九箇。木印一箇。癸丑。

【九月ながつき癸巳みずのとみを朔つきたちとして辛丑かのとうし〔九日〕。班田たたまひの大夫まへつきみ等たちを四畿内よつのうちつく於にに遣つかはす。丙午ひのえうま〔十四日〕、神祇官かむつかさ奏まうして神寶書かむだからのふみ四卷よまき鑰かぎ九箇ここのつ木印きのおして一箇ひとつを上たてまつる。癸丑みずのとうし〔二十一日〕、】

〔九月九日、班田たたまい収授役の長官らを四畿内よつのうちつくにに遣わした。十四日、神祇官が神宝書四巻、鑰九箇、木印一箇を奉った。二十一日、〕

2伊勢國司獻嘉禾二本。越前國司獻白蛾。戊午。詔曰。獲白蛾於角鹿郡浦上之濱。■故増塒笥飯神廿戸。通前。

【伊勢國司いせのくにのみこともち嘉禾よきいね二本ふたもと獻たてまつれり。越前國こしのみちのくちのくにの司みこともち、白蛾しろきひひる獻たてまつれり。戊午つちのえうま〔二十六日〕、詔みことのりして曰のたまはく「白蛾しろきひひるを角鹿郡つぬがのこほりの浦上うらかみ之の濱はま於に獲えたり。■故かれ、塒笥とくらけの飯いひに、神かみの廿戸はたへを増まし加くはふこと、前さきに通かよはす。】

〔伊勢国司いせのくにのみこともちが嘉禾よきいね(めでたい稲)二本を奉った。越前国司えちぜんのくにのつかさが白い鵝鳥がちょうを奉った。二十六日、詔みことのりして、「白鵝を角鹿郡つぬがのこおり(敦賀郡)の浦上うらかみの浜で捕らえた。よって気比神宮にけひのじんぐう食封へひと二十戸を、これまでの分の上に加える」と言われた。〕

3冬十月壬戌朔壬申。授山田史御形務廣肆。前爲沙門學問新羅。癸酉。幸吉野宮。庚辰。車駕還宮。

【冬ふゆ十月かむなつき壬戌みずのえいぬを朔つきたちとして壬申みずのえさる〔十一日〕。山田史やまだのふびと御形みかたに務廣肆むくわうしを授さづけたまふ。前さきに沙門ほふしと爲なりて新羅しらきに學問ものならひき。癸酉みずのととり〔十二日〕、吉野宮よしののみやに幸いでます。庚辰かのえたつ〔十九日〕、車駕すめらみこと宮みやに還かへりたまふ。】

〔冬十月十一日、山田史御形やまだのふびとみかたに務広肆むこうしを授けられた。先に沙門ほうしとなって、新羅しらぎに学問をしに行ったものである。十二日、吉野宮よしののみやにお出でになり、十九日に帰られた。〕

4十一月辛卯朔戊戌。新羅遣級飡朴億徳。金深薩等進調。賜擬遣新羅使直廣肆息長眞人老。務大貳川内忌寸連等祿。

【十一月しもつき辛卯かのとうを朔つきたちとして戊戌つちのえいぬ〔八日〕。新羅しらき、級飡朴きふさんぼく億徳よくとく金深薩こむしむさち等らを遣まだして調みつき進たてまつる。擬新羅しらきに遣つかはさむとする使つかひ直廣肆ぢきくわうし息長おきながの眞人まひと老おゆ務大貳むだいに川内かふちの忌寸いみき連つら等らに祿もの賜たまふこと、】

〔十一月八日、新羅しらぎは級飡朴億徳きゅうさんぼくよくとく、金深薩こんしんさちらを遣わして調を奉った。新羅に遣わされる使者である直広肆息長真人老じきこうしおきながのまひとおゆ、務大貳川内忌寸連むだいにかわちのいみきつららに、〕

5各有差。辛丑。饗祿新羅朴憶徳於難波舘。十二月辛酉朔甲戌。賜音博士續守言。薩弘恪水田人四町。甲申。

【各おのおの差しな有あり。辛丑かのとうし〔十一日〕、新羅しらきの朴憶徳ぼくよくとくに難波なにはの舘むろつみ於に饗祿あへたまふ。十二月しはす辛酉かのととりを朔つきたちとして甲戌きのえいぬ〔十四日〕。音博士こゑのはかせ續守言しよくしゆげん薩弘恪さつこうかくに水田こなた人ひとごとに四町よところ賜たまふ。甲申きのえさる〔二十四日〕、】

〔それぞれ禄を賜わった。十一日、新羅の朴億徳ぼくよくとくに難波館なにわのむろつみで饗あえを賜わった。十二月十四日、音博士続守言こえのはかせしょくしゅげん、薩弘格さつこうかくにそれぞれ水田四町を賜わった。二十四日、〕

6遣大夫等奉新羅調於五社。伊勢。住吉。紀伊。大倭。菟名足。七年春正月辛卯朔壬辰。以淨廣壹授皇子高市。

【大夫まへつきみ等たちを遣まだし、新羅しらきの調みつきを、五社いつつのやしろ、伊勢いせ住吉すみのえ紀伊きい大倭やまと菟名足うなたり於に奉たてまつる。七年ななとせ春はる正月むつき辛卯かのとうを朔つきたちとして壬辰みずのえたつ〔二日〕。淨廣壹じやうくわういちを以もちて、皇子高市みこたけちに授さづけたまふ。】

〔大夫まえつきみらを遣わして新羅しらぎの調を五社、伊勢、住吉すみのえ、紀伊、大倭やまと、菟名足うなたり(大和添上郡宇那足、高御魂神社)に奉った。七年春一月二日、浄広壱じょうこういちの位を皇子高市たけちに授けられた。〕

7瀞廣貳授皇子長與皇子弓削。▼是日。詔。令天下百姓服黄色衣。奴皀衣。丁酉。饗公卿大夫等。癸卯。

【瀞廣貳じやうくわうにを、皇子長みこなが與と皇子弓削みこゆげに授さづけたまふ。▼是この日ひ、詔みことのりして、天下あめのしたの百姓おほみたからをして、黄色きそめの衣きぬを服き令しむ。奴やつこは皀衣くろきぬなり。丁酉ひのととり〔七日〕、公卿大夫まへつきみ等たちに饗あへたまふ。癸卯みずのとう〔十三日〕、】

〔浄広貳じょうこうにを皇子長ながと皇子弓削ゆげとに授けられた。この日、詔みことのりして、全国の人民は黄色の衣服を、奴やっこは皁衣つるばみ(墨染めの衣)を着ることとされた。七日、公卿大夫まえつきみたちらに饗を賜わった。十三日、〕

8賜京師及畿内有位年八十以上人衾一領。絁二匹。緜二屯。布四端。乙巳。以正廣參贈百濟王善光。并賜賻物。

【京師みやこ及および畿内うちつくにの、有位くらひありて年とし八十やそぢより以上かみつかた、人ひとごとに衾ふすま一領ひとつ絁ふとぎぬ二匹ふたむら緜わた二屯ふたもぢ布ぬの四端よむら賜たまふ。乙巳きのとみ〔十五日〕、正廣參しやうくわうさむを以もちて、百濟くたらの王こきし善光ぜんくわうに贈おひてたまふ。并あはせて賻物はぶりもの賜たまふ。】

〔京師みやこと畿内うちつくにの有位者で八十歳以上の者に、衾一揃、絁ふとぎぬ二匹、綿二屯、布四端ずっを賜わった。十五日、正広参しょうこうさんの位を百済王くだらおう善光ぜんこうに追贈され、合わせて賻物はぶりものを賜わった。〕

9丙午。賜京師男女年八十以上。及困乏窮者布。各有差。賜船瀬沙門法鏡水田三町。▼是日。漢人等奏踏歌。

【丙午ひのえうま〔十六日〕、京師みやこの男をのこ女めのこの年よはひ八十やそぢより以上かみ、及および困乏まどしくて窮せまれる者ものに布ぬの賜たまふ。各おのおの差しな有あり。船瀬ふなせの沙門ほふし法鏡ほふきやうに水田こなた三町みところ賜たまふ。▼是この日ひ、漢人あやひと等ら踏歌あられはしり奏つかへまつる。】

〔十六日、京師みやこの男女八十歳以上の困窮者に、それぞれ布を賜わった。船瀬の沙門である法鏡ほうきょうに水田三町を賜わった。この日、漢人あやひと(漢氏の配下の渡来系氏族)らが、蹈歌あられはしり(隋ずいや唐とうの行事。足で地を踏みながら調子をとって歌う。終曲に阿良礼あられと歌う)を奉った。〕

10二月庚申朔壬戌。新羅遣沙飡金江南。韓奈麻金陽元等來赴王喪。己巳。詔造京司衣縫王等收所掘尸。己丑。

【二月きさらぎ庚申かのえさるを朔つきたちとして壬戌みずのえいぬ〔三日〕。新羅しらき、沙飡金ささんこむ江南かうなむ韓奈麻かんなま金陽こむやう元ぐゑん等らを遣まだし、來まうきて王こきしの喪もを赴つげまうす。己巳つちのとみ〔十日〕、造京司みやこつくるつかさ衣縫王きぬぬひのおほきみ等らに詔みことのりして、掘ほりいだせる所ところの尸かばねを收おさめしむ。己丑つちのとうし〔三十日〕、】

〔二月三日、新羅しらぎは沙飡金江南ささんこんこうなん、韓奈麻金陽元かんなまこんようげんらを遣わしてきて、王こきし(神文王)の喪を告げた。十日、造京司衣縫王みやこつくるつかさきぬぬいのおおきみらに詔みことのりして、工事で掘り出された尸かばねを、他に埋葬させた。三十日、〕

11以流來新羅人牟自毛禮等卅七人。付賜憶徳等三月庚寅朔。日有蝕之。甲子。賜大學博士勤廣貳上村主百濟食封卅戸。

【流來まうける新羅人しらきひと牟自毛禮むじもれ等ら卅七人みそあまりななたりを以もちて、憶徳よくとく等らに付さづけ賜たまふ。三月やよひ庚寅かのえとらの朔つきたち〔一日〕、日ひ蝕はえたること之ここに有あり。甲子きのえね〔五日〕、大學博士ふむやつかさのはかせ勤廣貳ごんくわうに上村主うえのすぐり百濟くたらに、食封へひと卅戸みそへ賜たまふ。】

〔難船して漂着した新羅しらぎの人である牟自毛礼むじもれら三十七人を、億徳よくとくらに託された。三月一日、日蝕にっしょくがあった。五日、大学博士である勤広貳上村主百済ごんこうにうえのすぐりくだらに、食封へひと五十戸を賜わった。博士の仕事を褒め〕

12以優儒道。乙未。幸吉野宮。庚子。賜直大貳葛原朝臣大嶋賻物。壬寅。天皇至自吉野宮。乙巳。賜擬遣新羅使直廣肆息長眞人老。

【以もちて儒道はかせのみちを優にぎほへたまふとなり。乙未きのとひつじ〔六日〕、吉野宮よしののみやに幸いでます。庚子かのえね〔十一日〕、直大貳ぢきだいに葛原ひぢはらの朝臣あそみ大嶋おほしまに賻物はぶりもの賜たまふ。壬寅みずのえとら〔十三日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみや自より至かへりおはします。乙巳きのとみ〔十六日〕、新羅しらきに遣つかはさむと擬ならへたる使つかひ直廣肆ぢきくわうし息長おきながの眞人まひと老おい】

〔優遇されたのである。六日、吉野宮にお出でになった。十一日、直大貳葛原朝臣大嶋じきだいにくずはらのおみおおしまに賻物はぶりものを賜わった。十三日、天皇は吉野宮よしののみやより帰られた。十六日、新羅しらぎに遣わされる使者の直広肆息長真人老じきこうしおきながのまひとおゆ、〕

13勤大貳大伴宿禰子君等。及學問僧弁通。神叡等絁綿布賜。各有差。又賜新羅王賻物。丙午。詔。令天下勸殖桑紵。梨栗。蕪菁等草木。

【勤大貳ごんだいに大伴おほともの宿禰すくね子君こきみ等ら及および學問ものならふ僧ほふし弁通べんつう神叡じんえい等らに絁ふとぎぬ綿わた布ぬの賜たまふ、各おのおの差しな有あり。又また新羅しらきの王こきしに賻物はぶりもの賜たまふ。丙午ひのえうま〔十七日〕、詔みことのりして、令天下あめのしたに桑くは紵からむし梨なし栗くり蕪菁あをな等らの草木くさきを勸すすめ殖うゑしむ。】

〔勤大貳大伴宿禰子君ごんだいにおおとものすくねこきみら、および学問僧の弁通、べんつう神馭じんえいらに、絁ふとぎぬ、綿、布をそれぞれ賜わった。また新羅の王に、賻物はぶりものを賜わった。十七日、詔して、全国に桑くわ、苧からむし、梨なし、栗くり、蕪青あおななどの草木を勧め植えさせられた。〕

14以助五穀。夏四月庚申朔丙子。遣大夫謁者。詣諸社祈雨。又遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。

【以もちて五穀いつつのたなすものを助たすく。夏なつ四月うつき庚申かのえさるを朔つきたちとして丙子ひのえね〔十七日〕。大夫まへつきみ謁者ものまうしひとを遣まだし、諸社もろもろのやしろに詣まうでて祈雨あまごひす。又また使者つかひを遣まだし、廣瀬ひろせの大忌神おほいみのかみ與と龍田たつたの風神かぜのかみを祀まつらしむ。】

〔五穀の助けのためである。夏四月十七日、大夫まえつきみ、謁者を遣わして、諸社に詣でて雨乞いをした。また使者を遣わして、広瀬大忌神ひろせのおおいみのかみと竜田風神たつたのかぜのかみとを祭らせた。〕

15辛巳。詔。内藏寮允大伴男人坐贓。降位二階解見任官。典鎰置始多久。與菟野大伴亦坐贓。降位一階解見任官。

【辛巳かのとみ〔二十二日〕、詔みことのりしたまはく「内藏寮允くらのつかさのまつりごとひと大伴おほともの男人をひと、贓すみものに坐つみす。位くらひ二階ふたしなを降くだし、見任官いまよさせるつかさを解とけ。典鎰かぎつかさ置始おきそめの多久おほく與と菟野うのの大伴おほとも、亦また贓ぬすみものに坐つみす。位くらひ一階ひとしなを降くだし、見任官いまよさせるつかさを解とけ。】

〔二十二日、詔みことのりして、「内蔵寮允大伴男人くらのつかさのまつりごとひとおおとものおひとは、不当利得を図ったので、位二階を下して現職を解任せよ。典鑰置始多久かぎつかさおきそめのおおくと菟野大伴うののおおともも不当利得を図ったので、位一階を降して現職解任せよ。〕

16監物巨勢邑治雖物不入於己。知情令盜之故。降位二階解見任官。然置始多久有勤勞於壬申年役之故赦之。

【監物おろしもののつかさ巨勢こせの邑治おほく、物もの己おのがみ於に不入いれず雖とも、情こころを知しりて之ここに盜ぬすま令しめたり。故かれ、位くらひ二階ふたしなを降くだし、見任官いまよさせるつかさを解とけ。然しかれども置始多久おきそめのおほくは、勞壬申みずのえさるの年とし役えだち於に勤いそしきこと之ここに有あり。故かれ、之これを赦ゆるしたまふ。】

〔監物おろしもののつかさ巨勢こせの邑治おおじは物を自分に収めなかったが、事情を知っていて盗ませたゆえに、位二階を降して現職解任せよ。しかし置始多久おきそめのおおくは、壬申じんしんの年の役によく勤めたことがあるので赦ゆるされる。〕

17但贓者依律徴納。五月己丑朔。幸吉野宮。乙未。天皇至自吉野宮。癸卯。設無遮大會於内裏。六月己未朔。

【但ただし贓ぬすみもの者は律のりの依ままに徴めし納いれよ。五月己丑つちのとうし朔つきたち〔一日〕、吉野宮よしののみやに幸いでます。乙未きのとひつじ〔七日〕、天皇すめらみこと吉野宮よしののみや自より至かへりおはします。癸卯みずのとう〔十五日〕、無遮かぎりなき大會をがみを内裏おほうち於に設まうく。六月みなつき己未つちのとひつじの朔つきたち〔一日〕。】

〔ただし盗んだものは法に従って徴収せよ」と言われた。五月一日、吉野宮よしののみやにお出でになり、七日、お帰りになった。十五日、無遮大会かぎりなきおがみを内裏で催された。六月一日、〕

18詔高麗沙門福嘉還俗。壬戌窶以直廣肆授引田朝臣廣目。守君苅田。巨勢朝臣磨。葛原朝臣臣磨。巨勢朝臣多益須。

【高麗こまの沙門ほふし福嘉ふくかに詔みことのりして俗しらきぬに還かへす。壬戌みずのえいぬ〔四日〕、窶以直廣肆ぢきくわうしをもちて、引田ひけたの朝臣あそみ廣目ひろめ守君もりのきみ苅田かりた巨勢こせの朝臣磨呂あそみまろ葛原ふぢはらの朝臣あそみ臣おみ磨呂まろ巨勢こせの朝臣あそみ多益須たやす】

〔高麗こまの沙門ほうしである福嘉ふくかに詔して、還俗させられた。四日、直広肆じきこうしの位を、引田朝臣広目ひけたのあそんひろめ、守君莉田もりのきみかりた、巨勢朝臣麻呂こせのあそんまろ、葛原朝臣臣麻呂ふじわらのあそんおみまろ、巨勢朝臣多益須こせのあそんたやす、〕

19丹比眞人池守。紀朝臣磨七人。秋七月戊子朔甲午。幸吉野宮。己亥。遣使者祀廣瀬大忌神與龍田風神。辛丑。

【丹比たぢひの眞人まひと池守いけもり紀朝きいの臣あそみ磨呂まろ、七人ななたりに授さづく。秋あき七月ふみつき戊子つちのえねを朔つきたちとして甲午きのえうま〔七日〕。吉野宮よしののみやに幸いでます。己亥つちのとゐ〔十二日〕、使者つかひを遣まだし廣瀬ひろせの大忌神おほいみのかみ與と龍田たつたの風神かぜのかみを祀まつらしむ。辛丑かのとうし〔十四日〕、】

〔丹比真人池守たじひのまひといけもり、紀朝臣麻呂きのあそんまろの七人に授けられた。七月七日、吉野宮にお出でになった。十二日、使者を遣わして広瀬大忌神ひろせのおおいみのかみと竜田風神たつたのかぜのかみとを祭らせた。十四日、〕

20大夫謁者遣詣諸社祈雨。癸卯。遣大夫謁者詣諸社請雨。▼是日。天皇至自吉野。八月戊午朔。幸藤原宮地。甲戌。

【大夫まへつきみ謁者ものまうしひとを遣つかはし、諸社もろもろのやしろに詣まうでて祈雨あまごひす。癸卯みずのとう〔十六日〕、大夫まへつきみ謁者ものまうしひとを遣つかはし、諸社もろもろのやしろに詣まうでて祈雨あまごひす。▼是この日ひ、天皇すめらみこと吉野よしの自より至かへりおはします。八月はつき戊午つちのえうまの朔つきたち〔一日〕。藤原ふぢはらの宮地みやところに幸いでます。甲戌きのえいぬ〔十七日〕、】

〔大夫、謁者を遣わして、諸社に詣でて雨乞いをさせた。この日、天皇は吉野より帰られた。八月一日、藤原ふじわらの宮地みやとこにお出でになった。十七日、〕

21幸吉野宮。戊寅。車駕還宮。九月丁亥朔。日有蝕之。辛卯。幸多武嶺。壬辰。車駕還宮。丙申。爲清御原天皇。

【吉野宮よしののみやに幸いでます。戊寅つちのえとら〔二十一日〕、車駕すめらみこと宮みやに還かへりたまふ。九月ながつき丁亥ひのとゐの朔つきたち〔一日〕、日ひ蝕はえたる之こと有あり。辛卯かのとう〔五日〕、多武嶺たむのみねに幸いでます。壬辰みずのえたつ〔六日〕、車駕すめらみこと宮みやに還かへりたまふ。丙申ひのえさる〔十日〕、清御原きよみはらの天皇すめらみことの爲おほみために、】

〔吉野宮よしののみやにお出でになり、二十一日、宮に帰られた。九月一日、日蝕にっしょくがあった。五日、多武峯たむのむねにお出でになった。六日、宮にお帰りになった。十日、天武天皇てんむてんのうのために、〕

22設無遮大會於内裏。繋囚悉原遣。壬寅。以直廣參贈蚊屋忌寸木間。并賜賻物。以褒壬申年之役功。

【遮かぎり無なき大會をがみを内裏おほうち於に設まうく。繋囚とらはれびと、悉ことごとくに原ゆるし遣やる。壬寅みずのえとら〔十六日〕、直廣參ぢきくわうさむを以もちて、蚊屋かやの忌寸いみき木間このまに贈おひてたまふ。并あはせて賻物はぶりもの賜たまふ。以もちて壬申みずのえさるの年とし之の役えだちの功いたはりを褒ほめたまふとなり。】

〔無遮大会かぎりなきおがみを内裏で設けられた。獄囚をすベて赦された。十六日、直広参じきこうさんの位を、蚊屋忌寸木間かやのいみきこのまに追贈された。合せて賻物はぶりものを賜わった。壬申じんしんの年の役の功を褒められたのである。〕

23冬十月丁巳朔戊午。詔。自今年始於親王下至進位。觀所儲兵。淨冠至直冠。人甲一領。大刀一口。弓一張。

【冬ふゆ十月かむなつき丁巳ひのとみを朔つきたちとして戊午つちのえうま〔二日〕。詔みことのりしたまはく、「今年ことし自より、親王みこ於より始はじめて、下しも進位しんゐに至いたるまでに、儲まうくる所ところの兵つはものを觀みそなはさむ。淨冠じやうくわんより直冠ぢきくわんに至いたるまで、人ひとごとに甲よろひ一領ひとつ大刀たち一口ひとから弓ゆみ一張ひとはり】

〔冬十月二日、詔みことのりして、「今年より親王以下、進位に至るまでの人々の備えている武器を調べさせる。浄冠じょうかんより直冠じきかんに至るまでは、各人甲一領、大刀一口、弓一張、〕

24矢一具。鞆一枚。鞍馬。勤冠至進冠。人大刀一口。弓一張。矢一具。鞆一枚。如此預備。己卯。始講仁王經於百國。

【矢や一具ひとそなへ鞆とも一枚ひとひら鞍馬くらおけるうま。勤冠ごんくわんより進冠しんくわんに至いたるまでに、人ひとごとに大刀たち一口ひとから弓ゆみ一張ひとはり矢や一具ひとそなへ鞆とも一枚ひとひら。如此かく預あらかじめ備そなへよ。己卯つちのとう〔二十三日〕より始はじめて、仁王經にんわうぎやうを百國くにぐに於に講とかしむ。】

〔矢一具、鞆とも一枚、鞍くらを置いた馬。勤冠ごんかんより進冠しんかんまでは、各人大刀一口、弓一張、矢一具、鞆一枚。このように予め備えておくように」と言われた。二十三日、この日から始まって、仁王経にんのうぎょうを諸国に講説させた。〕

25四日而畢。十一月丙戌朔庚寅。幸吉野宮。壬辰。賜耽羅王子佐平等。各有差。乙未。車駕還宮。

【四日よかあり而て畢をはりぬ。十一月しもつき丙戌ひのえいぬを朔つきたちとして庚寅かのえとら〔五日〕。吉野宮よしののみやに幸いでます。壬辰みずのえたつ〔七日〕、耽羅たむらの王子せしむ佐平さへい等らに賜ものたまふこと、各おのおの差しな有あり。乙未きのとひつじ〔十日〕、車駕すめらみこと宮みやに還かへりたまふ。】

〔四日間かかって終わった。十一月五日、吉野宮よしののみやにお出でになった。七日、耽羅たんらの王子や佐平さへいらに物を賜わった。十日、宮にお帰りになった。〕