「質的統合法 混沌から秩序を導く創発の技法」(新曜社)という書籍が出版されました。編者は山浦晴男先生他3人。B5版で500頁を超す大著です。山浦先生は川喜田二郎先生の薫陶を受け、KJ法をベースに質的統合法の研究と普及活動を続けてこられた方。筆者がサラリーマン時代にKJ法の指導を受けた先生です。その後、山浦先生も私も独立し,先生は質的統合法の研究とその実践指導に従事されました。仕事での接点を持てる時期もあれば、接点が持てない時期もありながら、お互いの問題意識に共通する部分があると意識していました。
この本の3章付論に「実感科学の提唱」という節があります。内容は省きますが、
私が90年代後半に使っていた「実感科学」という言葉を先生が覚えておられ、先生の考えと重なる言葉として、紹介してくださいました。そのおかげで、しばらく忘れていた、私の根底的な問題意識を思い出すことにもなりました。
「実感科学」で主張したいことは「頭の中だけで組み立てられた知識ではなく、事実と頭の中を行きつ戻りつして組み立てられた事実認識が大事だ」ということです。粗っぽくいえば、客観的な正しさよりも主観的な納得性が大事であり、その主観の科学性が大事だという問題意識です。たとえ話でいえば、「歴史小説は人の行動に影響を与えるのに、歴史学は、なぜ、人の行動に影響を与えないのか?」という問題意識です。事実の吟味や論理の構築は、歴史学の方が圧倒的に優れているのに、歴史学をヒントに意思決定を行う人は稀です。多くの人は、歴史上の登場人物がどんな事実をどう判断したのかをヒントに意思決定をおこないます。「●●のリーダーシップ」は、いつの時代にもベストセラーになるのがその証拠です。
2つの違いは、歴史学においては、事実を吟味するプロセスも、論理構築のプロセスも研究者が行い、多くの人はそれを体験できません。従って、歴史学の知識に当事者感を持つことができません。歴史小説であれば、小説の範囲のなかという制約がありながらも、登場人物に仮託して、事実を吟味するプロセスや論理構築を疑似体験できます。つまり、知識の当事者感の違いがあるわけです。
実生活における重要な意思決定は,未来に関する決定です。つまり、十分な情報が得られないなかでの決定です。となると、当事者性のある情報をもとに意思決定を行うしか、実務的行動を決める方法はありません。当事者感のある知識の科学性を高めることが大切と考える所以です。