山口県光市の母子殺害事件、最高裁に差し戻された第4回公判が28日午前、広島高裁で行われた。


犯罪心理の鑑定人への弁護側の承認尋問が行われ、『被害者をしぼうさせた行為では、パニック状態で正常な判断ができなくなっていた』と証言した。


犯罪を犯す人間は、正常な精神状態ではないから、犯罪を犯す。殺害時はだれでもパニック状態ではないだろうか。パニック状態だから、減刑されるとしたらおかしな話だ。


それでは、全ての犯罪に精神鑑定を入れれば、減刑されることになっとしまう。
 
テレビなどでは、鑑定人のこの部分ばかりがクローズアップされているが、他にもいくつか興味深い内容を話している。


それは、動かない被害者女性に対し、『性的欲求が起きてもおかしくはない。(欲求がなかったという)被告の主張は必ずしも適切ではない』という点だ。


この話は、生き返らせるために性的暴行を加えたという元少年の話はおかしいということを指摘している。


そしてもう一つ、被告の厚生の可能性については、『自分を正当化する意識が強く、反省は全く足りない』とし、『心から謝罪できるための専門家のサポートが必要だ』と述べている。


しかし、このような話もしている。『調査結果を精査していれば母胎回帰のストーリーは見えてきたはず。なぜきちんと吟味しなかったのか』と審理に対して疑問も投げかける。
 
しかし、母親を早くに亡くしたため、母胎回帰の願望があると決め付けるのはいい訳のようにしか聞こえない。母胎回帰、母親の中に戻りたいという願望と性的な欲望による暴行がどう結びつくのか、相反するものなだけに理解できない。

 

犯罪心理鑑定を聴くたびに、思うことは行動の理由を無理やり探す、まるで言葉遊びのようなイメージだ。犯罪者が犯罪を犯した理由を探すのは学問的に追求すればよく、実際の犯罪をそれをもとに減刑するのは変な話だ。
 
犯罪行為を未然に防ぐ手段として、学者は勝手に犯罪心理を掘り下げ、実際の犯罪はすでに結果として法を犯しているのだか、適切に判断すればこれほど裁判に時間がかかることはない。
 
この二つを同じ土俵にのせるから、裁判の方向性を失い、わけのわからない子供の作り話に付き合わされることになる。


今回の裁判で、元少年はこれまでと全く違う証言を繰り返している。このように考え方を都合よくコロコロ変える、不安定な人間の精神面が鑑定できると思っている時点で間違っている。


精神分析の父的な存在であるジークムント・フロイトの本を読んだことがあるが、何でもかんでも理由を探す。


その本の中で、面白いエピソードがあった。フロイトを中心とするサークル活動のようなものがあり、その中の一人が『スプーン一つ落としても大変なことになる』といったことを書いていた。


これは、スプーンを落としたことで、なぜ、落としたのかということで、精神分析的なことでみんな反し始めるという、ま、皮肉のようなものだろうが。


少々話がそれたが、犯罪者の心理分析は、常にそうだが、犯罪者の都合のいい、いい訳を探しているようにしか聞こえない。


しかし、このいい訳も裁判官だから通じる話でもある。もし、陪審員制度、つまり、一般の人たちが判決を下すとしたら、経緯がどうこうというはなしではなく、犯罪行為そのものにこれまで以上に注目するはずだ。


そうすれば、こんな七面倒なやり取りはなくなるのかもしれない。
 
陪審員制度になっていたら、この元少年、間違いなく極刑だろう。