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バンタヤン島のお別れはサンタフェ港です。
ここを離れるために最後の切符を買います。

実は、このサンタフェ港は日本のODAで整備されました。
このJICAによるプロジェクトがどういう経緯で行なわれらのか調べようとしていますがまだ分かりません。このサンタフェだけでなくて同じバンタヤン島の他の二つの町にも同時期に同じくJICAによるプロジェクトが行なわれました。戦後補償の一環なのでしょうか?

それにしては、このサンタフェに住んでいて特に日本の評価が変わった印象が有りません。住民からその時の良い噂も聞きません。日本のODAが有効に使われたのでしょうか?

あの時にメーヨーの家に行った時にメーヨーから日本人からの貰い物と言って日本酒のお土産を見せて貰いましたがあれはJICA関係の日本人からのものでしょう。

唯一有難かったのは港整備のあと一年間くらい、フェリーに乗る時の車の出入りに徴収される港湾利用税が日本人だと無料になりました。今では誰もそのことを覚えていませんのでちゃんと徴収されます。

写真は、サンタフェ港のフェリー切符売場。