Image.jpg

セブ島の『宝物』の一つが地域社会だと聞いて不思議に思うかも知れません。

それは、セブ島でも日本でも、どこでも住民が居るのは当たり前だけれど、海外にリゾートに来た日本人には関係ないと思っているからです。

私 自身の体験を振り返ってみても、過去にマクタン島のリゾートホテルのタンブリビーチクラブの中に一年半住んでいましたが、リゾートホテルには(コンドミニ アムやゲートコミュニティも同じかも知れませんが)当然ですが地域共同体は有りませんでしたし、ホテルでの自分の立場は旅行客であって住民ではありません でしたので、地域社会と交流が無いことが当然と思っていました。

なぜ日本人が、海外旅行や海外移住に出掛けたら、地域社会と交流しないの でしょうか?それは、セブ島に出掛ける目的はリゾートだから、なるべく海外の外国人には関わらないで、近くの限られた人間とだけ付き合ったり、領事館や日 本人会からの情報を得て、滞在中に事故や危険な目に合わないように注意して過ごしたいと考えているからです。

つまり日本人は、海外に住んでいても、心は常に日本に在って、生活に係わる商品やサービスだけ海外を利用したいという旅行者の意識なのですが、この日本人に特有な習性は、日本人の外国語能力の不足の要因も大きいのですが、それ以上に、日本人が外国を単に自分が客(消費者)の立場で利用できる便利なレジャーランド(例えばディズニーランドのような)としてしか考えていないことが考えられます。

もし海外がレジャーランドなら、自分が客で主人(消費者は王様)なので、廻りの外人や施設は自分を楽しませるためにのみ存在していると考えて、その外人のためにわざわざ気を遣うことはしないのも当然なのでした。

し かし、このように外国を、その地域で生活している住民には無関心で、彼らをただ単なる消費材としか考えないような心理と行動は、明らかに社会的動物として の人間能力の低下であり、人間性の退化にもつながる重大な事象なのです。人間は都市化の中で、消費者という名前のモンスターを産み出しているのでしょう か。

モンスターで在ることは、他人に対してよりも自分に不幸に働くようになります。例えば、日本人のような海外移住のスタイルを続けてい ると、やがて自分自身に「生きがい不足」という適応障害を起こすようになります。その結果、海外移住に挫折して日本に帰国する事になってしまいます。

人 間という生き物は社会的動物なのですから、自分から社会とのコミュニケーションを避けて閉じこもってしまいますと、新しい「生きがい」が創出できなくて、 生活に飽きて行き詰まってしまうのです。ついでに言いますと、海外生活で観光とか買い物とかに「生きがい」が生まれると思うのは幻想で、直ぐに飽きてしま います。やはり人間は人間関係の中からしか「生きがい」は生まれないようです。

しかし、だからと言って、海外では誰とでも交流して良いと いう訳には行きません。特に、フィリピンのような貧富の差が激しい発展途上国の、特に都市部では尚更です。では、都市を避けて田舎なら安心かと言えば、田 舎は、保守的な伝統社会であり監視社会ですから、その異文化の習わしに溶け込む努力と地域共同体で信用されるような日常生活の積み上げが必要です。

写真は、バンタヤン島のサンタフェの街頭で、地域共同体のイベントが行われている光景です。この光景に、あなたがストレンジャーとして傍観するのか、それとも地域生活者として連帯して参加するのかが分かれ目になります。

私 は、このバンタヤン島に来て10年になりますが、以来、Jトピアでという国際交流施設を建設し、サンタフェ地球人クラブというNPO団体を作って、日本人 が居住者として地域住民と連帯交流する機会を作って来るなかで、地域共同体、地方自治体、学校、漁業協同組合などとの関わりが生まれ、またNPO団体から 地方議員を送り出すことにも成功して、サンタフェ町の中でJトピアと日本人の認知度の向上を計る事が出来ました。

このようにセブ島に来 て、初めて地域には地域共同体があることを体験して、その中に住まわせて頂きながら、地域とつながる暮らしを送っているうちに、都市のストレンジャーでは なくて、地域の平和・治安に対して責任を分担する居住者としての意識に変化して来て、地域とつながって絆を積み上げて行ける人間関係を築いて行くことに快 感を取り戻して、人間は人間との絆によって癒やされる存在で有ったことを悟り、『地域共同体』が『宝物』であったことに驚いたのです。


それでもし、あなたが、このバンタヤン島の『地域共同体』に来て、「積み上がる人間関係の中で絆でつながることの快感」が蘇って来なかったなら、人間性が退化してしまったと考えて間違い有りません。