今年の2月に父が死に、自分の中で何かが大きく変わったようだ。
父亡き後、今おかれた状況、立場が本当の自分のような気がする。
私は幸い父には反抗を繰り返したために、父から紹介された就職先などはことごとく辞めた。
みんながうらやましがる会社だったし、自分の実力では到底入れなかった会社だったので、今になってとても後悔している。
でも所詮父がいない今できないことは実力でもない。初めから父がいなければなしえなかったことだから、父のいない今が普通で、今の何もしていない、何もできない状況こそが本当の自分なのだろう。
私は父から悪い分をたくさん受け継いだ。
人見知りだったり、ネガティブに物を考えたり、1人で何もできなかったり、自信がなかったり、不眠症だったり、気が小さかったり、他力本願だったり。
父を見ているとあたかも自分の移り変わりなのかと思うほど性格の弱さは似ていた。
今までの人生を振り返ると、私はこの情けない性格を変えようとして多くの時間を費やしてきたように思う。
だから仕事なんて二の次だった。
父は高給取りだった。
でも決して父は自分の性格を変えようとはしていなかった。
いくらお金持ちでも、性格が弱かったら生きてても面白くないだろう。
私は父をみていつもそう思っていた。
私は父の性格の弱さをみて情けなささえ感じていた。
こうはなりたくないと。
だから私は父をとても批判した。常に逆らった。ひょっとすると何一つ肯定していなかったかもしれない。
そのうちに父は何も言わなくなった。
父は黙ってひっそりと、誰にも迷惑をかけずにいつも一人で生きていた。
にもかかわらず、私は父に対して何かを探しては文句をつけた。
父は一度も怒ることなくいつもニコニコして聞き流していた。
父は常々言っていた、楽しいという感情がわからない。何がおいしいのかもわからないと。
私もまったく同じだ。
過去を振り返って楽しかったという思い出はない。父が言うように楽しいという感情がわからないのだ。
おいしいものもよくわからない。お腹が空けばなんでもおいしいから、世間でいうおいしいお店とか行っても行かなくてもいいと思う。私にとってはどこで食べても同じだから。
父は出歩く人ではなかった。
働いていた時はどこへも寄り道せずにいつも家に帰ってきていた。休みの日はゴルフであまり家にいなかった。
定年退職するとずっと家にいた。
母や私がどこかに行こうと言うと、いつも一緒にどこかへ行った。
父にどこもいかないで家にいるだけで楽しいの?と聞いたことがあるが、父はそれで楽しいと言った。
普段はずっと家にいて、誰かに言われると一緒に外に出た。
父が自らの意思で単独で行動する姿を見たことがなかった。
でも父は退職して自分を変えたかったのだろう。
退職一年目で野球とサッカーの年間シートを買った。畑も借りた。
でも行ったのは最初だけで、きっと一人で行くのが嫌になってしまったのだろう。一年でいくら払ったのかわからないが、行ったのは最初だけで後は行かなかった。
畑も行って野菜を作っていたが、母が率先してやっていた。父はそれについて行っていたようだった。
そして退職後数年すると何もしなくなっていた。
ただ父は一度だけ一人でタイに行った。
父は一人で家にいて楽しいとはいうものの、本当は自分を変えたかったんだと思う。
私がタイに住んでいた時に、父と母、父と友達でタイにはよくいっていたが、1人だけで行ったことはなかった。
あの時は私も激しく一人旅を勧めたからだろう。
私は若いころから一人で海外を旅していたが、父の歳で一人で知り合いもいない外国に行くのはかなり勇気がいる行為だったのではないだろうか。
私の見る限りでは、父が一人で行動したのはこれが最初で最後だった。
しかし父は帰国すると、もう一人で海外へ行くこともなかったし、タイで何があったのかも言わなかった。
父は母と一緒にプールなども行っていたが、1人では決して行かなかった。
私も父に似たのでとてもわかるが、私たちは人がいると気になってしょうがなかった。外出自体人目が気になっていきたくないのに、プールなんて着替えなきゃいけないし、たくさん人が入っているプールになど行きたいはずがないだろう。
父はあらゆる面で人混みを避けた。
一緒にどこかへ出かけても、いつも帰りたそうな顔をしていた。母の買い物などに付き合わされた日には、どこにいたらいいのかわからないといった感じだった。
今思うと、あまり記憶はないが、私が子供の頃からそうだったのだろう。
ただ一つ覚えているのは、子供のころ、お年玉でラジコンを買ったことがあった。
あの時は母も初売りでいろいろな店で買い物をして一番最後に私のラジコンショップに行くことになっていた。母の買い物の途中で、父は母のいないところで私に言った。
「お前はラジコンを買ってもらえるから、ついてきたんだけだろ。こんなときだけニコニコついてきやがって」と。
私はこのころは反抗期でもないただの従順な小学生だ。
未だになぜに父がこんな至極当然のことをいったのか不明である。
父は子供が嫌いだったようだ。
私の幼いころの父の記憶はあまりない。いつも母親と一緒に何かしていた気がする。
どちらかというと父は私が物言わない子供の時には高圧的で、私が物心ついて父のような嫌味ばかり言う大人になってからは父は私に何もいわなくなった。
私は子供の頃の記憶はないからわからないが、父に何か嫌なことを言われていたのだろうか。
成人してからの私は何をしても言っても言い返してこない父に散々嫌味をいい、紹介してもらった会社もことごとく辞めた。
そして父は死んだ。
今思うと私は父にろくなことをしなかった。親孝行どころか恩を仇で返した。
どうしてかわからないが、父を見ていると無性に腹が立った。こういう人にだけはなりたくないと常々思っていた。
でも死んでしまった。
私は父にありがとうの一つも言わずに、しかも私はタイにいたので、死に目にも会えなかった。
そして未だに悲しいという感情がない。
もっといろいろやっていたらよかったとは思うが、じゃあ仮に父が生きていたとしたら、私はもっと嫌味を言ったと思う。
死ぬと分かっていれば別だが、生きているうちはいつ死ぬかなんてわからないから、父が仮に死ななかったとしても、暴言や嫌味を言い続けただろう。
さっき洗濯をしていて思ったが、父は80歳を過ぎても、文句の一つもいわずに家族の洗濯や家の掃除などなんでもやっていた。
この家に住めているのも父が仕事を頑張ってくれたおかげなんだろうが、どうしてもそう思えないのだ。
母は父がいなくなってとても悲しんでいるが、母も確かに父の生前、悪口しかいってなかったし、父を一人家において、母は外に行ってばかりいた。
私も父がいたら嫌味ばかり言っていた。
私の兄はもっとひどい。父と話している姿を見たことがないし、話してもいつも兄は怒っていた。
私は思う。
父はきっと死んだほうが幸せだったのではないかと。
可哀想な言い方だが、父が生きていたら、私たちはあの日常を続けたことだろう。
母は相手にせず、私は嫌味をいい、兄は無関心だった。
それでも父は生きていたかったのだろうか。
ただ家族のために働いて、感謝もされず、それでも家族の役にたとうと一生懸命家事をして、誰に何もいわれずに、1人で部屋で本を読んだりテレビを見たりしていた。
ごはんのときだけ居間でごはんを食べてはまた自室に戻っていった。
私は他の家庭の父親はわからないが、こういうものなのだろうか。
父親という生き方はこんなにも可哀想なものなのだろうか。
家族のために一生懸命働いて、定年退職しても家事をやって、誰からも褒められずに死んでいく。
父親とはそういうものなのだろうか。
生前あんな態度を取っておいて母親はなぜに悲しむのだろうか。
私は父が死んでうれしいとはいわないが、あのまま生きていても、きっと父が私たちの分の家事をこなすことに何の躊躇もなかっただろうし、四六時中家にいることに対して何か文句さえ言ったと思う。
これは不謹慎極まりないのだけど、正直私は父が死んでどこかほっとしているところがあるのかもしれない。
父がいなければ父を責めなくて済むからだ。
父を責めた後、いつも何であんなことを言ってしまったんだと後悔するから、父がいなければ後悔もないから。
だから少しほっとしているのかもしれない。
でも家族のために一生懸命生きて、死んで尚こんな風に思われるなんてとても気の毒だ。
きっと私が子供を作っても子供からはこう思われるに違いない。
私が父にできるせめてもの償いは、自分が子供を作って子供に同じことを思われながら死んでいくことかもしれない。