今日は車の運転についてちょっとお話したいと思います。
私は最近バンコクでも運転しているんですが、すごい渋滞と、前後左右からバイクが入ってくるので、こちらでの運転はかなり神経を払います。ただ、運転していて「あれ?」と思うことがあるんです。
それは車線変更のときですね。
どんなに車線が渋滞していようとも、ウインカーをつけるとすぐに道を開けてくれるので入れます。
こんな当たり前のようなことに「あれ?」と思うんですね。
というか、車線変更がこんなにも当たり前のことに日本では気が付きませんでした。
と言いますのも、私は日本での車線変更はなるべく避けていたからです。
日本で車線変更をすると、必ず嫌な思いをするからです。といいますか、人の小ささを知ると言いますか。人の小ささをみて嫌な気分になってその後の一日が台無しになってしまうからです。
皆さんは経験ありますか?
私の車が1000ccとかそんなのに乗ってるからですかね?
日本ではウインカーをあげるだけでは車線変更はできませんね。日本の場合ウインカーをあげると無理に車線を詰めてきたりして入れないようにしてきますね。うまく入れたとしてもクラクションを鳴らしてきたり、あおられたりしますね。
二車線の道路が急に一車線になるような道路なんて最悪です。車線変更ならばさけられますが、何らかの工事などで一車線がなくなるときに減少車線にいる場合なんて最悪ですね。
ただ車線が減少することを知らなくてただその車線にいただけなのに、その車線にいたことが悪いことであるかのようになかなか車線変更を許してくれませんね。
ある時一方通行に侵入してしまった哀れな車を見たことがあります。
その車はおそらく地元の人じゃないんでしょうね。
というか、どんな場合にかかわらず、好き好んでわざと一方通行に侵入する車があるでしょうか?一方通行に突入してしまう車はほぼ全員が知らないで入っていくものだと思います。
いわゆるただの間違いですね。
ただ、その間違いさえも日本では許されません。人々は別に自分の道でもないのに、一方通行に侵入してしまった車をものすごい顔で睨んだり、進路をふさいだり、ものすごい勢いでクラクションを鳴らしたり、白昼なのに上目ライトでてらしたり、本当にひどい目にあいます。
私は、誰かが一方通行を逆に入ってしまった場合、一番困って焦っているのは間違って侵入した本人だと思います。この本人は早く正道に出なければと必死なはずです。そこでなぜに
人は嫌がらせをするのでしょうか?
日本人は得てして他人に無関心です。
私はいっとき、人とのつながりが欲しくて、新幹線や飛行機で隣になった人や、温泉に入ってる人やバスを待っている人に声をかけていたことがあります。
意外だと思う人もいるかもしれませんが、話しかけると日本人は話します。あまり嫌がられたことはないですが、あまり話は弾みませんが、皆さんは聞かれたことには答えるようです。ただこちらから質問がなくなると会話は消滅します。どうも日本では外国のように他人と自然な会話は弾みません。
ただ、別にいいんです。それだけなら。ただただ他人に無関心であってくれればそれでいいんです。
でもそうでもないんですよね。
最初にいったように日本人は人が間違ったときは、とんでもなく嫌がらせをします。全く見ず知らずの赤の他人にですよ。
私は日本で人に声をかけたことはありますが、かけられたことはありません。
そんな人見知り大国の日本人は人が間違ったときには「なんで?」と思うくらい嫌なことをします。
以前アメリカで生まれ育ったyoutuberの方が、「アメリカはいい意味で他人に無関心だけど、日本は悪い意味で他人に関心がある」と言っていました。
名言だなと思いましたね。
先日も書かせていただきましたが、間違ったり、目立った行動をとるとすぐに足を引っ張る。助けるのではなくただただいじめる。
だれも間違わない人なんていませんよね。自分が間違った時にそうされたら嫌じゃないですか?
間違いに対して目くじら立てるよりも、何か他人がいいことをしたときに褒めてあげたほうがいいんじゃないですか?
どうですか?
普段いいことをしたら褒めてくれたりしてる人なら、間違えたときに何か言われても仕方ないなと思いますが、いいことをしても何も言わないくせに、間違えたときだけ目くじらをたてられてもねえ。
これじゃあ外に出るのも嫌になりませんか?
みんなが笑顔で助けてくれるならいいですけどね。別にわざとじゃないのに間違えると怒られるんですからね。対人恐怖症にもなりますよね。
でも、一度友達の高そうな車を運転していたことがあったんですが、その時は車線変更もすんなりいくんですよね。
それはそれで最悪だと思いましたよ。もう情けなくなりましたね。
あともう一つ。
これは常識なんですかね?
私は職があったときはよく外国行ってましたからね、空港をよく使うんですよ。成田に帰って荷物検査が終わって外に出てくるとすぐに携帯電話屋さん?SIMレンタル?わかりませんが、そんな店があるんですね。
ああ、SIMカードを海外SIMから日本のSIMに変えなきゃ思って、いつもならSIMカードを押し出すピンをもってるんですが、たまたま持っていない時があって、その携帯電話屋さんが首からかけてるネームプレートにSIMカードを変えるときのピンをぶら下げていたので、「それかしていただけます?」と言ったら、「買っていただけるのならおかしします」といってただでは貸してくれませんでした。
海外ならもちろん誰でも貸してくれます。なんなら無料でくれたりします。
まあ、郷に従うしかありませんからね、でも私は誰か困っている人がいればなるべくその人のためになりたいと思いますから郷には従いませんけどね。
ただ、ああ感じ悪いな。私はしないけど。って思いましたね。
私は境界性人格障害ですから、その中の見捨てられ不安というのがすごい働いているのでしょうね。自分ではそう思わないのですが、私は他人に普通の人ならしないようなことまでしてあげてしまっているような気がします。それが見捨てられ不安からきているものだと最近までわかりませんでした。こうしてあげるのが当然だろうと思っていましたから。
でも、人々は私の親切には何か裏があるのではないか?日本ではあらゆる親切にはお金がかかると思っているのでしょうね。親切なことをしようとしてもそれさえも相手は受け取ってくれません。
まあ、SIMカードのピン一つ貸してくれない国ですからね。
私は正直日本人との距離のとりかたがよくわからないんですよね。
間違えれば烈火のごとく怒って、親切をしようとすれば疑われるんですからね。
これではやりようがありませんね。
ああ、あと煽り運転とかも。
私タイで車を運転していて煽られたことなんて一度もありませんね。というか、会社のなかなどでは別ですが、普通に生きていてあまり怒ってる人に会わないというか、外国人が声をかけてくるんだとしたら、「そのシャツいいね。どこで買ったの?」とか、エレベーターの中なんてよく声をかけてきますけどね「えー、そんなに高い階にいるの!」とか、別に怒られたことはないですね。
笑顔でいられる国と、いつ怒られるかとびくびくしながら生きる国と、どちらが精神保健の観点からみるとどちらが精神にはいいのでしょうかね?
何で日本人はあんなに他人に腹を立てるんでしょうね?