「イノセント・デイズ」 早見和真 を読んでひとり言

この小説を手に取ったのは、「店長がバカすぎて」を読んだからだ

あの本を好きになったから、同じ作家のを読んでみたくなった

この物語は、同じ人が書いたものなの?ってくらい違うものだった

重く暗い物語だった

なのに、重くて暗い話なはずなのに、スラスラと読めてしまうのだ

基本的に重くて暗い物語は、なかなか読むのが進まなかったりするのに、なぜかどんどん読んでしまった

しかも、ずっとイライラしてて、自分が思う様に登場人物が動かないことに、ムカムカしているのだ

 

この物語はミステリーだ、そして幸乃の人生だ

田中幸乃が死刑執行されるところから遡って、過去の物語が進んでいく

いろんな登場人物の目線、幸乃自身の目線、幸乃と関わった場面が展開されていく

 

幸乃の人生を想えば、彼女の絶望も失望も、望まないものばかりで、結果がそうなることは分らなくもない

もしも私だったらと何度も考えた

考えれば考えるほど、幸乃にムカつくんだ

恵まれた環境の私にはムカつく権利なんて全くないのに・・・

 

この歳になって自分の過去を振り返って、あの時の、あの思い、あの後悔、あの寂しさ、あのくやしさ、あの愛しさ・・・・

結局、どんな感情も、自分次第で誰かのせいでもなければ、誰かがそれを解決してくれるわけでもない

どんないきさつがあったとしても、誰のせいでもない、自分で進んだ道なのだ

歳を重ねてやっとわかる

誰かが自分を幸せになんてできない

誰かのために、自分が犠牲になったって、結果的には誰も救われたりしない、犠牲になり損だ

自分自身も、自分の大切な誰かも、自分自身を救えるのは自分しかいないと考えるべきだ

自分をないがしろにしたって、誰かのために自分が犠牲になったって、誰も感謝なんてしないし、誰も私が犠牲になってるなんて気付いてさえいない

 

幸乃の人生を読んで、ずっと思うんだ

誰かに自分を必要として欲しい、そこに囚われ過ぎてないか?って

不幸な生い立ちだった、それもわかる

希望もなにもみえなかった、絶望していたかもしれない

じゃあ、誰も自分を必要としないのなら、自分が自分を必要として、誰も、自分を大切にしてくれないなら、自分が自分を大切にすべきじゃなかったのか?自分をちゃんと理解すべきではなかったのか?_

何度も傷つけられたのなら、自分が誰かを傷つけたっていいじゃないか、自分を守るために傷つけるのだから、自己防衛しただけでしょ?

自分が誰かの代わりに厄介ごとを引き受けて、誰かを救ったって、結果、救われた誰かは幸乃を犠牲にしたことに一生付きまとわれる

誰かのためには、自分のエゴじゃないのか?見返りがない事にどうせ絶望するくせに、自己満足で、誰一人、本当は救われていないのに。どうせ救えないのなら、せめて自分だけでも救われるべきだ、救えたならきっと、周りにいた人も傷つけなくて済んだのに・・・それに気付かなくてはいけなかったんだ

いつもなぜ、誰かにとっての自分という目線なんだろうか?

自分にとっての誰かで良かったんじゃないのか?

怒りはどこにいったの?

私なら、一緒に地獄に行ってもらう

私だけが我慢なんてしない、復讐そして、一緒に地獄旅行だ

いやいや、誰に復讐するん?そういうことじゃないね?(笑)

いや待って、幸乃も、もしかしてそう考えて、黙っていったの?

幸乃が終われば、誰かの後悔も謝罪も、切なさも、もうなにもできないまま、心の中に幸乃が住み続ける

そういう、復讐だった?いやいや、幸乃はそういう性格ではないよね、一文字も復讐を思わせる文字は書いてない(笑)

なぜ、一人じゃダメだったのか?

彼女にとってこの世は白黒の世界だったのだろうか?・・・なんかいろいろ切ない・・・・

孤独な飢えを、私ってかまってちゃんよなって開き直って、笑い飛ばせればよかったのに・・・・

 

この小説を読んで、ただただ叫びたいのだ!

自分の自己満足を貫き通して、すべてを諦めて、救おうとしてくれた人を、はねのけて、楽になる方を選んだ、逃げたんだ!

卑怯者!

物語の終わりに、このどこにも持って行きようのない感情と共に、何度も叫ぶ

そんなひとり言だ

 

補足
ここに書いていることは、ひとり言で、あくまでも私の個人の感想で個人的に感じたものです
気分を害した方がおられましたら、すみません
どうかスルーしてやってくださいm(_ _ )m