欲しいものが全て手に入る/入ったとしたら、何がしたい?
自分の願望を知るには、この質問が一番良いです。
欲しい物、時間、お金、土地、名誉、仲間、愛など……。全て思い通りになったと仮定しましょう。
そのうえで、あなたは何がしたいでしょうか?
ちなみに、最近判明した私の願望は、「人を癒すこと」でした。
モチロン、旅をしたり、遊んだり、そういったこともやりたいのですが、
自分の心を満たす遊びや欲は、自分の真の願望、喜びではないことを知っています。
快楽では心は満たされない~不登校の経験~
私は中学生時代は不登校で、そのうち半分以上は、
家にこもってゲーム、食事、ゲーム、調べもの、寝る……の繰り返しであった時がありました。
食事はいつもある、雨風しのげる家がある、いつでもゲーム、ネットができる……。
始めは天国のような生活でしたが、いつしか虚しさが心を覆いました。
「本当にこれでいいんだろうか?」「自分の生まれてきた意味は何なのだろうか?」
そんなことを考えるようになりました。
始めのうちは、オンラインで狩りの仲間を募り、共にゲームで一狩り行く生活で心の虚しさを満たそうとしたり、
オンラインポルノなどの危険なものに浸る時もありました。
だけれど、満たされぬ心。何かが足りない。
ある時、今までプレイ時間1000時間、調べもの2000時間以上費やしてきた
某ハンティングゲームのデータを消し、毎日ノートに記録をつけ勉強し、
一日一食に減らし、筋力トレーニングを行う生活に移りました。
いわば、快楽から苦行への移行です。
ですが、長くは続きませんでした。
流石に一日一食は不健康でやめて、
筋力トレーニングも、続く日、続かぬ日。
勉強も長くは続かず、14,15日ほどでまたやらなくなりました。
ゲーム一日12時間は0にはなったものの、それを埋めるように、ネットが一日8時間以上を占めていました。
そして相変わらず、学校には行けていません。
そこに虚しさを満たすものはありませんでした。
寄り添うこと、本当の自分を見てくれた家族に救われた
そんなタイミングで、某ハンティングゲームの新作が発表され、体験版が出たのです。
私はそれをプレイすることにしました。
ただ、今までと違ったのは、母や妹も一緒にやってくれたのです。
「みんなやっている」「できて当たり前」「期待している」「真面目に取り組む」
そんなことを言われ続け、心が限界を迎え、不登校という選択をとった私。
当時は学校の何が嫌なのかを言語化できず、
・友達もいて、
・先生も家族も優しく、
・部活や宿題も苦しいわけでもなく、
・勉強にもついて行ける。
・障害や病も無い。
加えて学校に行っていた時は優等生とされていたにも関わらず、
なぜ学校がこんなにも息苦しいのか。
当時は自分では気づいていませんでしたが、
周りが認めてくれていたのは、あくまで「真面目な私」「努力する私」「勤勉で従順な私」。
認められていたのは、本当の自分ではありませんでした。
そんな中、妹と母親が某ハンティングゲームの体験版を一緒にやってくれた時。
まだ下手だったり、上手くできない中、自分が一緒に見て、勝手に口出ししたりアドバイスしながら、共に楽しむ。
それが有益か否か、善か悪かを判断して決めつける、押し付けるのでなく、
自分の好きなものを、一緒にプレイし、一緒に楽しみ、認めてくれたのです。
その時に、心の虚しさが満たされた気がしました。
「そうか、私は誰かと比べてでなく、ありのままの自分を認めて欲しかったんだ」
すぐにゲーム依存が治ったわけではありませんでしたが、家族との関係や言葉遣い、
ネットと触れ合う時間は確実に変化し、
今では一日3時間以内にとどまっています。(半年から一年かけて)
父親にも当たりが強かった私ですが、少しづつ、普通に会話できるまでになりました。
そして、ずっとゲームの中に籠っていた思いから、
「不登校の苦しかった経験を生かして、仕事にしたい」そう思うようになりました。
私の心のベクトルが外に向き始めたのです。
人は自分を受け入れてくれる場所、帰る場所があって、初めて外に向かえる
自立しなさい。勉強しなさい。
そんな言葉を発しながら、案外、勉強や自立を妨げているのは、案外親なのかもしれません。
「○○に比べてあなたはー」ありのままの自分でなく、誰かと比べて正論を押し付けることは、
その子供の心を踏み潰してしまっています。
「こうあるべき」「これが理想。これが正解。」白黒はっきりつけることは
自分の気持ちを楽にしてくれるかもしれませんが、反面、善と悪を生み出します。
もちろん、犯罪や人の命に関わるような、本当に危険な行為は叱り、再発を防ぐようにせねばなりません。
ただ、その子のためにと、社会の理想像のレールを作り、その通りに歩ませることは、
自分で考え、自分で歩くことを妨げてしまいます。
どうか子供を信じてあげてください。
ゲーム依存であっても、ネット依存であっても、取柄が一つも無いと思っていても。
その子その子の才能や使命、好きなことがあります。
子どもも一人の人間です。
- 意見や話を始めから否定せず、まず聞く
- やりたい事は否定せず、応援する
- 困っていそうなことがあったら、本人にどうして欲しいかを聞き、意見を尊重する
- 本当に危ないことだけ叱る
- 子どもの関心事について、親も知り、できるものなら一緒に楽しんでみる
天才を作るのも、犯罪者を作るのも家庭です。
そして、誰もが失敗を犯すこともあります。
完璧な親である必要はありません。
ただ、子どもに寄り添ってあげてください。一緒に成長してください。
自分の非は認め、謝る。
助かることがあったら感謝する。
相手を認める。
誠心誠意を言葉、行動で示せば、相手もこちらを尊重してくれます。
相手も人間ですから。
対等な人間として接し、必要最小限のサポートをしていくことで、焦らずとも、自ずと自立していきます。
長い目で見てあげてください。
平和は家庭から。マザーテレサの平和のためにできることと、「自分の嫌な事は相手にしてはいけない」の落とし穴
貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯を捧げ、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサさんも、
1972年の受賞後のインタビューで、「世界平和のために私たちにできることは?」との質問に対し、
「家に帰って、あなたの家族を大切にしてあげなさい」
と答えたそうです。
国レベルでの戦争も、相手が喜ぶだろう、もしくは嫌がると思っていなかった行動で衝突が起こり、
復讐し、そこから止まらぬ負の連鎖が起きてゆきます。
社会の思う親でなく、”私は”どうしたいのか。社会の望む子でなく、”この子は”どうしたいのか。
「自分の嫌な事は相手にしてはいけない」とよく言いますが、
裏返せば「自分のされて嬉しいことは相手にしても良い」ということになってしまいます。
だからこそ、自分と相手の同じところ、違うところを知った上で歩み寄ることが大事になっていきます。
私は今は通信制の学校に通い、社会で言う”エリートの道”からは外れています。
だけれど、家族は今の私を認めてくれて、やりたい事も応援してくれて、
毎日を楽しく、幸せに生きれています。
今は気まぐれにブログを書いたり、イラストを描いたり、外に出たり、本を読んだり。
今は、職業はカウンセラーや医者、整体師なんかもアリかも……なんて思ってたりします。
親だけで抱えこまないでください。
子どもと一緒に、どうか歩んでください。
日々の生活が豊かになることを祈って。
読んでくださり、誠にありがとうございました。