本日1回目の投稿です。

2020年8月24日

「マルコ・ポーロ」
文:木暮 正夫 絵:清水 耕蔵



「伝記絵本ライブラリー」というシリーズの「マルコ・ポーロ」を読んだ。


以前紹介した「キュリー夫人」「ヘレン・ケラー」「コロンブス」「リンカーン」と同じシリーズの本。


一覧はこちら。



マルコ・ポーロと聞いても、

「東方見聞録を書いた人」としか知らなかった。



なかなか面白いお話だった。


マルコ・ポーロは1254年にイタリアのベネチアで生まれた。


父親はマルコが生まれる前の年に東方貿易に出掛けて行き、

ずっと帰ってこなかった。


父親不在のまま時は過ぎ、

マルコは15歳で母親を亡くす。


マルコはおばさんに引き取られて働き始めた。


マルコが働き始めて1年ほど経ったある日、

父親が16年ぶりにイタリアに帰ってきてマルコと会う。


「やあ、お前がマルコか」って!


軽いな!


父親、ちゃんと生きていたのね…

失踪したのかと思ったわ(^_^;)



マルコの父親は中国に行き、

フビライ・ハーンと会っていたらしい。



マルコより父親の方が偉人なのでは?!



フビライ・ハーンにお使いを頼まれたので、

再び中国に行くと言う父親に、

「どうか  ぼくも  つれていってください」
とマルコはお願いする。


そして1270年、

マルコが16歳の時に中国に向けて旅立った。


途中で盗賊に襲われたり、

パミール高原を越えたり、

ゴビ砂漠を越えたりしながら旅を続けて、

1274年、マルコが20歳の時に上都(内蒙古)に到着。


フビライ・ハーンと会った。


フビライ・ハーンに気に入られたマルコは、

およそ17年間中国(元)に滞在して、

フビライの臣下として活躍したらしい。


当時の中国は既に紙幣が導入されていたのだが、

ヨーロッパではまだだったので、

マルコはとても驚いたそうだ。


中国の方が進んでいたのね。

知らなかったわ。


調べてみたら、

ヨーロッパで最初の紙幣は15世紀後半(1483年のスペイン)になってからなんだって。

意外だった。

ちなみに日本は1600年頃になってからだそうだ。




マルコがベネチアに帰国したのは1295年。

マルコが41歳の時だった。

25年ぶりにイタリアに帰国したのだが、

ベネチアとジェノバの戦争が激しさを増し、

マルコはジェノバ側に捕らえられて牢屋に入れられる。
 

マルコは投獄中にピサ出身の作家ルスティケロと出会い、

旅の思い出を語った(マルコ44歳)


それがもととなって、

「東方見聞録」ができたらしい…



ん?ちょっと待って。


「東方見聞録」を書いたのはマルコ・ポーロではなく、

ルスティケロってこと?




初めて知ったわ…



マルコはその後、
釈放されてベネチアに帰り、

70歳の時に病気で亡くなったそうだ。



知らないことがいっぱいだった。

マルコ・ポーロが旅をしたのは16歳から20歳の頃だったのね。

見るもの全てが初めてで、
ワクワクがいっぱいだっただろうなぁ。

素晴らしい経験だっただろうね。


マルコ・ポーロが「東方見聞録」で黄金の国ジパングの話なんか書いちゃったものだから、

コロンブスとかが憧れて旅に出ちゃったのね。


でもマルコ・ポーロ、

日本に来てなかったわ(^_^;)


中国が素晴らしかったから日本も素晴らしいと思ったんだろうね。


日本なんて鎌倉時代…

北条時宗とかの頃か…

黄金の国ではないよね(^_^;)



世界地図を持ってきて、

「パミール高原ってどこだ?」
とか言いながら息子と絵本を読んだのだけど、


年表の下に地図があり、

行きと帰りの旅行経路が書いてあった。


この本、本当にわかりやすいですよ。


イタリアからモンゴルまで4年もかかるなんて…

昔は大変だったなぁ…


今なら飛行機であっという間なのに…



この日の晩は、 

夫とモンゴル帝国の話で盛り上がった。

モンゴル帝国って最盛期はトルコとかまで支配しちゃってたのね…


何だかもうよくわからないくらいの広さですよね。


本当にそんなに支配できるものなんですかねぇ…





大人になってから伝記シリーズを読むと楽しいですよ。


おすすめです!



最後まで読んでくださってありがとうございました!