最近読んだ本 宮城谷昌光『孔丘 上』 | どうもこんにちは 番長です

どうもこんにちは 番長です

本編の重大なネタバレはなしの方向で

みなさんどうもこんばんは!番長です!JPY!

昔このブログで最近読んだ本という記事を書いていました

以前は5冊くらい読んだらそれぞれについて簡単な感想を書く

というような感じでしたが

今はそんなにたくさん本を読めなくなってしまっているので…

逆に1冊についてしっかり描いていくような感じにしたいなと思います

というわけで復活第1弾は宮城谷昌光「孔丘」の上巻です

 

孔丘というのはあの論語とかで有名な孔子の本名です

宮城谷さんは古代中国の人物について小説を書くことが多く

楽毅や管仲など主人公の名前をそのままタイトルにすることも多いので

いつもの流れだと言えなくもないですが…

この孔丘に関してだけはあえてこのタイトルにしたように思えてなりません

儒教で尊崇される孔子ではなく

ひとりの人間としての孔丘を描こうというような意図からではないでしょうか

 

なんか知ったような顔でここから書いていこうと思うのですが

正直儒教や時代背景についてはそこまで詳しくなく

あくまでも浅い知識による俺個人の考えだということをご了承ください

 

○この本を読む前の孔子に対する印象

正直なところ孔子にはあまり魅力的に感じていませんでした

諸子百家で言えば孫子や韓非子の方が好きです

なぜかと言えば孫子や韓非子は強くてかっこよくて実用的だと感じていたからです

孫子は戦に強く韓非子は秦の天下統一の一助になったわけなので

実利がとても分かりやすいですよね

 

反面孔子はどうかというと

その思想は当時の国々に受け入れられていたとは到底言えず

本人も国を動かすほどの地位を得られたわけではありません

孔子自身が偉くなりたいと思っていたのかどうかわからないところでもありますが…

どちらかというと自分の思想が受け入れられなかったため

弟子と一緒に放浪の旅をしていたというイメージが強いです

 

のちの世に前漢で国教化されたようですが

国をうまく治めるために儒教を利用したような感じで

やはり思想的に乱世を乗り切るような力強さはないように感じていました

 

また孔子の死後の儒教についてですが

たしか有力な弟子によって八派に分派したように思います

これが俺にとってはけっこう引っかかっていて…

同じ教えを受けていたはずの高名な弟子が

なぜ派閥に分かれてしまうのかということですね

これは孔子の教えがあいまいだったりぶれていたりしたせいなのではないか

と単純に考えてしまっていました

もしも一貫していたなら一人の後継者の下に受け継がれるのでは

というような考え方です

 

それでも今日に至るまでその言行録である論語が生き続けている

これは厳然たる事実です

俺が感じている印象そのままの人物であればそんな風にはならないのではとも思っていました

そういうわけで孔子について詳しく知りたいという願望は前からあったように思います

実際白川静先生の孔子伝を買ってみたりしたのですが

途中で挫折してしまった覚えもあります…

 

随分前置きが長くなってしまいましたが

俺がこの孔丘という小説に求めていたものは

そういった俺が抱いていた孔子に対する印象を払拭してくれるようなものです

上巻を読んだ段階では完全に払拭できたわけではないですが

一部考え方が変わった部分があるようにも思います

しかし最初から話をなぞって書いていっても仕方ないですし…どう書いていこうかなぁ

 

やはり印象深い部分をピックアップして書いていくことにします

そういう書き方じゃないといくら文字を費やしても終わる気がしないので…

 

○学問を志した理由

父親が武で名を馳せた勇者であり

健康な男子を望んだことから母親に対して虐待と言っていいような扱い方をしていたことから

幼くして武を捨てた という経緯があったようです

徹底して学ぼうとする姿勢はちょっと父親譲りなのではと思う部分もあります

 

あと孔丘の名とあざなの由来についても興味深かったです

 

○延陵の季子

この時代で最高の知識人といえばこの延陵の季子だったわけですが

この人物が旅先で息子を亡くしてしまい

その葬礼の様子を孔丘が見に行く場面があります

 

そこで行われた葬礼は

本来凶事で行われる礼ではなく吉事において行われる礼でした

延陵の季子が行ったのでなければ物笑いの種になるところかもしれないのですが…

延陵の季子は魂が肉体から解き放たれて自由を得たことをあえて祝ったのだと解釈していました

この時代の死生観についても詳しくないのですが

不幸を行いと言辞によって反転させるというか…

息子の死は決して不幸ではないのだと自分に言い聞かせたようにも思え

ほんの短いエピソードでしたが涙ぐんでしまいました

 

○孔子の思想

あまり思想的な部分については深く語られることはないのですが

ひとつ印象に残っている一節があります

該当するページを見ながら書いているわけではないため少しあやふやですが…

 

徳をもって民を導き 礼をもって民を治める

というような言葉がありました

礼を庶民に教えるということは庶民に自立を促すことでもあり

それは徳によって人々を導くこととは矛盾することである

というようにも書かれていたと思います

礼はかっちりとした形があるものですが

徳というのは形にすることが難しく

それが弟子を惑わせてしまった原因でもあったようです

 

また孔子は生涯学ぶことをやめなかった人でもあり

常に思考はアップデートされ続けたと言ってもいいのではないかと考えると

その思想は過去未来や場面それに相手によって

言葉や対応を変えられるだけの柔軟性を持っていたはずです

 

孔子の死後に分派してしまった原因はこのあたりにあるのかなと感じました

孔子の思想は広く柔軟であり

弟子たちはその思想を自分の中でそれぞれ解釈しアウトプットしたため

それぞれの派閥に分かれてしまったのですが

孔子の思想にはそのすべてが内包されているということではないでしょうか

 

○学ぶ姿勢と教える姿勢

よく教えることによってより理解が深まるというようなことを言いますが

孔丘の姿勢にもそういうものがありました

孔丘の学ぶ姿勢はひたすら貪欲であり

教える側からはいい加減にしろと怒られたり嫌われたりしていたようです

 

また教える側としても貪欲というか…

教えを乞う者にはどんな者にも教えていたらしいですね

単純に自分の教えていることへの理解がより深まるという意味だけではなく

どんな相手からも教わることはあるというような考え方も持っていたように思います

他人を見て良いところは見習い 悪いところは自分でも戒める

これだけでも成長が見込めるわけですもんね

 

知識を得ることによって人は豊かになれるはずだと思うのですが

実際のところそれが傲慢や驕りにつながることも多いと思います

しかし孔丘はどれだけ知識を身に着けても驕らず

ひたすら学び続ける姿勢を崩しません

これだけでも稀有な人だったという印象ですね

 

 

なんか書きたいことが書けたのか書けてないのかよくわからないですが

このへんにしておこうと思います

下巻を読むときには付箋かなにかを買っておいて

気になる一節があったら貼るようにしようかと思います…

グッと来るシーンは多々あった気がするんですが

いざこうして記事にしようと思うとなかなか出てこなくて…

 

宮城谷さんの小説は読んでてとても落ち着くんですよね

落ち込んだ時にもなんかはしゃいだ感じの時にも

フラットな精神状態まで戻してくれるような感じがします

もちろんこれは副次的な効果なんですが…

常に近くに1冊置いておきたい作家さんです

 

それじゃあみなさんおやすみなさい!JPB!