この作品は、オチと言ったら変だけど、明確な終わり方というか落としポイントがない。
普通ならそれは駄作なんだけど、この作品は、逆にオチがないのがいいのかもしれないと思った。
これで、例えば、娘は誘拐されてて死んでました、とか、娘は二年の歳月を経て無事に保護されました、とかオチをつけることはいくらでもできたんだろうけど、
その後の行方はあえて書かなかったんだろう。
それはきっと、物語の終点を娘の安否に着地させたくなかったからだと思う。
この作品では、親や他の親族、記者、知人、SNS上の見知らぬ人など色々な人が登場するけど、一番フォーカスしていてメインになるのは、もちろん親。そして、親の“成長”。
娘がいなくなって、最初はヒステリックで、悪く言えば「やばい人」だった母親が、徐々に落ち着きを取り戻し、現実を受け入れ、他人の娘の無事を純粋に祝えるようになり、終いには自らスクールガードのボランティアに応募するまでに至った(いなくなった娘と同世代の子供を見るだけで辛かっただろうに)。
この作品にオチをつけてしまうと、この成長に終わりができてしまう。それだけでなく、娘が見つかればこの母親は、またやばい人に戻ってしまう気がする(超過保護の毒親みたいな)。
母親も、まだ元通りに復活したわけじゃない。心の傷はいつまでも消えない。それでも前を向いて、受け入れて、進もうとしている。その歩みに終わりをつけたくなかったから、オチがないんだと思う。この作品はそれでいいと思う。


あとは、出てくる多くの人物全てが異なる視点を持っていて、そのどれもが間違っていないところも新しい気付きだった。
母親はもちろん傷心して半狂乱になっている。周りにもたくさん当たってしまう。でもそれは仕方のないこと。
一方父親は、一見冷静になって俯瞰している。でも彼も苦しいのは当たり前。
記者は、面白いビッグな記事を書くというニーズと、小さいニュースでも当事者に寄り添い続ける責任があるというギャップに悩む。
マスメディア会社としては、なるべく大きなニュースを求めるのは当たり前。それは仕方のないこと。
でも、この家族に寄り添い続けたいと思う記者の気持ちももちろん理解できる。
SNSで誹謗中傷をする人も例外じゃない。流石に作中で出てきたような非人道的な所業をする人は別だが、そこじゃなく、「この家族がどうせ犯人だろう」「母親が悪い」という意見を書く人たちに対して、決して蔑むことはできない、自分も同じだと感じる。
この間小学生が行方不明になり遺体で発見された事件があったが、僕は特に何とも思わなかった。どこまで行っても他人の家族。ネットで「父親が犯人だろう」という書き込みを見ても、「そうなのかもな」としか思っていなかった(結局父親が犯人だったが)。
なのに、この映画を見て、突然このような書き込みを軽蔑し出すのは変な話である。このネットユーザーたちの書き込みも、言ってしまえば「普通の反応」なのだと思った。
だからこそ、どの人の考えが正しいなどない。
多角的な視点に思いを馳せるきっかけになってよかった。


最後に、石原さとみ演技うますぎじゃね、、、。狂気でした。


以上が僕の感想。