バツイチシングルマザーの私と大学院博士課程の学生だった夫。


現在ワタシ50歳、オット39歳。


毎日楽しく穏やかに暮らしています。


そんな私たちの日常と老後資金2000万円を貯める過程を記録していきます。




今でこそ、毎月ちゃんと(?)家計簿をつけているワタシですが…笑



貧乏シングルマザー時代は、家計簿なんてつけられなかったのです。



理由、落ち込むだけだから。



毎月 毎月


収入より支出の方が多くて。。。





この前、やっと当時の家計をざっくり計算してみたら↑の通りでした。


マイルド貧困層って言うみたいですね。

初めて知りました。



マイルド貧困層とは↓





マイルド貧困層の我が家でしたが、元夫の稼ぎがやや多かったため養育費は多めにもらえていたのと、財産分与でもまあまあもらえていたのが救いでした。


元夫、30代半ばで年収1000万超えてたからたぶん多めなのかな。



その分残業もものすごい多い職種でしたね。毎晩帰宅は23時頃。

海外営業って接待も多かったし、出張(海外も含む)も多かったし。

女性とお泊まりされても分からなかったし。笑



今の夫は研究開発職なので、超ホワイトです。

帰宅は遅い日が20時頃、毎週ノー残業デーがありその日は必ず定時に上がります。

どこかに寄り道することなくまっすぐ帰ってきてくれるのでとても安心しますウインク






おっと、私の稼ぎの話だったわ。(すぐ脱線するのが悪い癖ですねアセアセアセアセアセアセ


35歳で元夫と離婚したときはパート(子ども英会話教室の講師)を闘病のために辞めていました。つまり無職。



無職という肩書が情けなくて、悔しくて辛かったのを覚えています。



まあ、しゃあない。

身体が弱かったのだから。



40歳でようやく少しだけ働ける体力がつき、進学塾に雇ってもらいました。


アルバイト大学生が多い中、独りだけ40歳オバサン。

ただ大学生よりずっと経験もスキルもあるので時給もその分高かったです。



希望は週2日3時間程度で出したのですが…



即戦力で使えると判断され…


週4日、5日と授業や事務の仕事を入れられてしまい…


夏期講習は社員よりコマを入れられ…


毎晩帰宅は最終電車。

自宅に着くのは午前1時頃…



息子達は母に見てもらってなんとかやりくりしていましたが…



結局せっかく良くなった体調が再び悪くなってしまい…



一年で退職。





絶望しましたね…




その後は別の進学塾で非常勤講師として雇ってもらい、労働時間も週2日、2、3時間にしてもらいやっとこさ仕事が続けられるようになりました。






夫と一緒に住むようになって、通勤に片道2時間もかかるようになり通勤で再び体調を崩し、


現在の自宅でオンラインで家庭教師の仕事をするようになりました。



今は、1日3時間✖5日=週15時間自宅でいい感じに働けています。


報酬も10万円程度で全額積み立てNISAに入れられるようになりました。


昔の無職時代から考えたら夢のような生活です。




無職時代は将来を悲観していました。

稼げないから情けなくて。



しかし、我が子(特に長男)はものすごくしっかりした子だったので、





母さん、養育費なくなる頃には俺も○○(弟)も就職してんで。

俺らちゃんと大学も出るし、まともな仕事に就くから安心しろ。

母さん独りくらいなら2人で養っていけるし。

母さんは働かんでも笑って生きてりゃそれでいい。



当時小学校高学年の息子に言われた言葉です。



本当にちゃんと大学出て、まともな仕事(公務員)に就いてくれました。





だけど、私にこんなこと言ったのは覚えてないらしく、

お給料全てを旅行や推し活に費やしております。笑








2人とも給付型奨学金をもらえるような良い成績を取ってくれていたから無事に大学まで出せたと思います。



彼らは親ガチャハズレましたが、





私は子ガチャ大当たりだったと思います。


感謝してもしきれません。





そして、2回目の結婚、パートナーガチャも大当たりだと思っています。





人生無計画に生きてきましたが、なんとかなっているのはいつも周りに支えられているから。



私も少しは恩返しできるようになりたいですおねがい