弘前は津軽平野の南部にあり、慶長年間(1586~1614)に城下町が形成され、寛永5年に弘前と称された。

 

重要伝統的建造物群保存地区は仲町と総称される武家町の一部であり、道に面して生垣を植え、薬医門を開き、その奥に茅葺や板葺の主屋を配し、武家町を構成している。

 

地割は江戸時代の姿をよく伝え、江戸時代末期の主屋も残り、今日なお侍屋敷の特性をよく維持している。

 

旧笠森家住宅は地区内小人町にあったものを移籍復元したもので、地区内に現存する最古の武家住宅である。座敷、住居等主屋の間取りも建築当初から変わらず、部材も当初のものが多く残っている。

 

石場家住宅は代々清兵衛を名乗った商家で、釿(ちょうな)で 角材を仕上げた大きな梁や指物を使用しており、座敷部分の造作も優れており、津軽地方の数少ない遺構である。

 

弘前城は津軽藩代々の居城として慶長16年(1611)に築城された。明治28年に弘前公園として開放され、史跡に指定されて、園内の水濠には杉の大橋ら八つの橋が架けられている。

 

津軽城は津軽統一を遂げた津軽為信によって計画され、天守は二代藩主信枚によって築城された。現在石垣修理のため、隅櫓にあった天守を本丸の内側に約7m移動している。

 

市内には明治・大正期の洋風建築物が点在する。昭和18年10月、第59銀行ほか数行が合併して青森銀行が創立された。弘前支店新築のため、記念物として移設したもので、ルネッサンス様式の洋風建築物で重要文化財だ。