ポテトめガネの創業者 亀ちゃんのブログ

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ポテトめガネの創業者が、ってまあ、私のことですけどね、
その私が日常で感じた事やメガネ業界に入ってからの奮闘記やら
いろいろと書いています。たまにふざけた事も書いてます。

【思いつくまま生きてきた】

 

『我が眼鏡屋人生』   

 

はじめに

 

1982年、私があるきっかけからメガネの訪問販売の会社で働くことになった経緯や、その会社で起きたいろんな出来事を乗り越え、数年後に独立し、訪問販売をスタートしたのはいいけど、なかなか上手くはいかず孤軍奮闘、その後、どうにか念願の店舗を出したのはいいけど、またまた、予期せぬ出来事や家族の病気、そしてさらに本人の大病、そこからの復活劇、などなど、そして、その後、数度の閉店の危機に直面し、いろんな方の力を借りながらどうにか乗り越えメガネ屋を続けてきた30数年間の奮闘回顧録です。

 

 

 

『第一章』

 

(岐路、そして、決断)

 

「亀ちゃん、うちにこんかね?」

 

アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれたハーフ、ちょっとブラッド・ピットに似たイケメンの植田さんが突然、声をかけてきた。

 

「はい?」

 

植田さんの突然のお誘い? スカウト? 

なんだか事態を把握できずに戸惑った。

 

もう既に辺りは日が落ちて暗くなっていた、まだ夕方の5時頃なのに。

それは、十二月の半ば師走の出来事だった。

 

 

俺はその頃は三傳商事というタイヤの卸販売会社でガソリンスタンドなどを回るルートセールスをしていた。

 

高校卒業後、関西の大手スーパーに就職し、毎日毎日のサービス残業に嫌気が差していた頃、母が胃癌で余命数ヶ月ということを親父から聞き、それを良いことに口実にして一年数ヶ月でスーパーを退職、故郷の下関に帰り、親戚のコネで地元の優良企業の三傳商事に就職した。

 

 

そんな頃、あるガソリンスタンドに毎朝給油に来ていた植田さんとは顔見知りの間柄になっていた。

 

植田さんの突然の言葉に戸惑いながらも、(うちにこんかね?)の真意をすぐにでも確認したいと思った。

 

「植田さん、うちにこんかね?って、どういうことですか?」

 

「うん、あのね、亀ちゃんと、このスタンドで知り合ってから、ずっと思うちょったほっちゃね」

 

植田さんは見た目はすっかりアメリカ人、だけど日本語しか、しゃべれない、しかもバリバリの下関弁、そのギャップが逆に魅力的な人だった。

 

 

「亀ちゃんは真面目で一所懸命に仕事しよる、このスタンドのスタッフさん達にも受けがええし」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「それでっちゃ、前から思うちょったほやけど、もし、亀ちゃんにその気があればうちの会社に来てくれんかなと、思うちょるんよね」

 

その頃、植田さんは大成眼鏡サービスというメガネの訪問販売の会社の営業部長をされていた方だった。

 

 

年の瀬の押し迫った夕方、辺りはもうすでに暗くなっていた。

 

突然のスカウトに戸惑いながらも俺は少し嬉しくなっていた。

 

 

このときの出来事から俺の人生は大きく変わって行こうとしていた。

 

 

 

   (大失恋)

 

対岸の門司港の街並みや小倉の工場の夜景がよく見える東大和町の築港に車を停めて、暫し夜景を眺める、今はそんな余裕がないことを俺はなんとなく察していた。

 

「話って、なん?」

 

沈黙を続ける訳にもいかず、俺から話を切り出した。

 

数日前、達美から話があるからと連絡があり、仕事終わりに車で達美の会社に迎えに行き、関門海峡の見える築港までやってきた。

 

だいたいのことは察しがついたが、俺から切り出さないと、達美は話し出さない、そう思ったので、俺から聞いてみた。

 

 

十二月二十二日、イブの前々日、関門海峡を行き交う商船も心なしか慌ただしく進んでいるような、そんなことなんかを無意識に思ったりもしたけど、それよりは目の前の現実、達美の口からどんな言葉が出てくるか、それが気になって仕方ない、でも一方ではこのまま何も聞きたくない、そんな何とも言えない嫌な予感もして時間だけが経っていった。

 

それからしばらくして、やっと達美が話し始めた。

 

「あのね、」

 

聞き耳をたてないと聞き取れない。

 

「うん、なに?」

 

「あのね、もう、終わりにしたいんよね」

 

「うん?   なにを?   なにを終わりに?」

 

達美は、なにを終わりにしたいのか、そんなこと聞き返さなくても察しはついたけど、分からないふりをして聞き返していた。

 

もう、何となく分かっていた、おそらくそんなことだろうとは思っていた。

 

ここ最近、達美との空気感というか、なんかそんな感じのものが何となく今までとは変わってきている、それは俺にも分かっていた。

 

だけど、俺は何度も聞き返すしかなかった。

 

 

達美とは十九歳の頃に知り合った、友人(女性)からの紹介だった。

 

実はこの友人とは高校三年生の時に付き合っていたけど、その後、卒業を期に自然消滅していた関係だった。

 

その友人から同じ短大の友達として達美を紹介されて、それからお互いに意識し始めて、というよりか、俺の方が一方的に好きになり猛アタックしたというのが本当のところだった。

 

「うん?   なにを終わりに?」

 

「だから、もう、付き合えない、って、ことなんよ」

 

もう、分かっている、だけど、もう一度聞き返したかった。

 

「うん?   なんで?」

 

「あなたとは、これから先のことを考えられないんよ、私もずっと考えて、そう決めたんよ」

 

「なんで、もう付き合えないん?  なんで、だめなん?」

 

また、もう一度聞き返していた。

 

俺は今まで自分のことを男らしい男なんだと思っていた。

 

でもそれは間違いだと、このときに思い知らされた。

 

なんでこんなに俺は未練たらしいんだろう、こんなはずじゃない、俺は男らしい男のはずなんだ。

でも、そのときは、

そんなことなんてどうでもいい、女々しくてもいい、それでもいい、達美が俺とのことを修復してくれるのなら、何度でも俺は懇願する、そんな気持ちになっていた。

 

 

「うん、言いにくいんやけど、現実的に考えて、あなたの給料では将来不安だし」

 

「いや、なんや、そんなことか、実際、俺の会社の給料は他の会社に比べたらすごい安いけど、将来は安定してるし、まだ、二十歳やし、これから給料上がると思うし」

 

「うん、でも、それだけじゃなくて」

 

「それだけじゃない?  って?」

 

それからまた、暫し沈黙が続いた。

 

 

築港には他にも何台か車が停まっていた、そのほとんどがカップル。

 

対岸の夜景を眺めながら、もうすぐやってくるクリスマスの予行をしているかのような、俺にはそう見えた。

 

もしかしたら、他の車から見えてる俺の車も楽しそうなカップルに見えているのかもしれないけど。

 

それから、しばらくして思い詰めたかのように達美は話し始めた。

 

「あのね、 他に、 好きな人ができたんよ」

 

「。。。。」

 

もう、この言葉が決定打だった、ぐうの音もでない、別れを切り出し、相手にも余地を与えない、これ以上の言葉が他にあるだろうか?

 

「そうなん。。。」

 

それしか出てこない。  

 

でも気を取り直して、押し絞るように言った。

 

「実は俺、今、転職を考えちょるんよ、ある人に誘われて、それで、その会社に移ったら給料は今の3倍くらいになるって、言ってもらってるんよ、それでもだめなん?」

 

給料は上がっても、、他に好きな人が出来たということは覆せない、

そんなことは俺にも分かっていたけど、それでも、もしかしたらという淡い期待で言ってみた。

 

「うん。」

 

たった一言「うん。」って言ったっきり、それ以上もう達美は喋らずに、ずっと俯いたままだった。

 

十二月二十二日、クリスマスイブの前々日。

 

その日が達美との最後の日となった。

 

 

 

 (生死を彷徨う)

 

1981年、正月気分もすっかり明けた一月十五日の朝、

 

(うん、なんかおかしい、頭は割れるように内側からズキンズキンと叩かれてるみたいやし、背中から下半身が痛くて全く動かせない、なんかおかしい)

 

自分の身体のそんな異変を感じたとき、もうこれで俺は終わってしまうのか? 

それくらいのことを思わせる、そんな痛みが俺を襲っていた。

 

何度か起き上がろうとしても身体が思うように動かない、というより、動こうとすると、身体中に激痛が走る。

 

 

俺は思わず叫んでいた。

 

「父ちゃ~ん、なんかおかし~い、身体がおかし〰い」

 

どうにかこうにか力を振り絞って親父を呼んだ。

 

その頃、親父と俺は離れの1階と2階で生活していた。

 

俺が2階から何度か叫んでから、まもなく、それが何なのか、何が起きてるのか、それを確かめるかのように、親父がびっくりしながらやってきた。

 

さすがに母屋の兄夫婦には俺の声は聞こえてないようで、普段と何ら変わらず、いつもの慌ただしい朝のルーティーンをこなしていた。

 

親父は俺の叫び声を聞き二階へやって来るなり、布団の中で動けない俺の顔を覗き込むように言ってきた。

 

「なん、したほか? どうしたほか?」

 

それはまるで俺を叱るときと同じような、そんな面持ちに見えた。

 

「父ちゃん、なんか変なんよ、身体があっちこっち痛たあし、起きられんほっちゃ」

 

「なしてか〰、なんしたほか〰?」

 

「いや、俺にも分からん、目が覚めたら、もうこんなんやったんよ〰」

 

俺は振り絞るように、親父に訴えた。

 

親父は明らかに焦っている、でも、そこはやっぱり、冷静を装う感じで、母屋に長男を呼びに行った。

 

それから暫くして、兄もやって来て、二人がかりで私を抱きかかえながら階段をゆっくりと下りていった。

 

身長180㎝、体重65㎏の成人男子を2階から抱えて下ろすのは至難の業、ふたりがかりでなんとか抱え下ろし、そしてそのまま近所のかかりつけ医まで俺を連れて行った。

 

「これは大変じゃ、熱が40度近くあるし、どうも肺炎をおこしているみたいじゃ」

 

近所のかかりつけ医の言葉を、親父も兄も、案外冷静に聞いていた。

 

「すぐに総合病院に連れて行って治療せんといけん」

 

医者のその言葉を聞いて、親父と兄はやっと少し焦り始めていた。

 

 

 

それからまもなくして、俺は総合病院へ搬送された。

緊急入院

 

 

「あれ?、、なんで俺、ここにおるん?」

 

「あんた〰、気がついたかん、目が覚めたかん」

 

俺のベッドの横にいたのは姉だった。

 

姉は数年前に嫁に行き、隣町に住んでいましたが、親父から連絡があり、俺の意識が戻るまでずっと付き添ってくれていた。

 

俺はなかなかその状況が把握できずに、何度も同じこと聞き返していた。

 

「なんで?  なんで俺、ここにおるん?」

 

「はあ? あんた~、覚えてないん?」

 

何度も同じこと聞いてくる俺に、姉は怪訝そうに聞き返してきた。

 

「あんた、ほんとうに覚えてないん?」

 

「うん、、親父を呼んで和田医院まで連れて行ってもろうたほは覚えちょるけど、その後はよう分からん」

 

「そうなん、、あんたね、肺炎をおこしちょって、和田医院じゃどうしょうもないけえ、って、小串の国立病院まで運ばれてきたほいね」

 

「そうなん」

 

「それから、まる二日間も、あんたが全然起きんから、うちが付き添っちょったほいね」

 

「そうなん」

 

姉の話を聞いて、やっと俺は現実に戻ってきたという感じだった、それになんだか、久しぶりにぐっすりとよく寝たなという実感もしていた。

 

 

「それで、あんた、具合はどんなかん?」

 

「そういえば、もう頭もあんまり痛うないし、身体もゆっくりなら動かれそう」

 

嘘みたいに、あれだけ痛かった一昨日までの身体中の痛みも今はそれほどでもなく、生き返ってるっていう実感がしていた。

 

「それなら、うちはもう付き添わんでもええかん?うちも帰って家のことをせんと、二日間もやりっぱなしにして来たから、帰ってもええかん?」

 

「うん、ええよ」

 

「うちゃ~、びっくりしたいね、父ちゃんから電話があった時は、あんたがもういかにも死にそうな感じみたいに言うけ~」

 

「そうやったん、ごめん、ありがとう、もうええよ帰っても」

 

二日前の朝方に国立病院に運び込まれてから三日目も、もうすぐ日付が変わろうとしていた。

姉の付き添いには感謝しかなかった。

 

母は二年前に他界していたので、六歳違いの姉は私にとっては母代わりのような存在だった。

 

それから三週間くらいした頃にはもうすっかり俺も元気になっていた。

 

「あ~、タバコが吸いたい~」

 

そう思えるようになったと言うことは、もう完全に肺も復活してる、だって、肺炎をおこしてからは、あれだけヘビースモーカーだった俺もこれっぽっちもタバコが吸いたいなんて思ったこともなかった。

 

「あ~、タバコが吸いたい~」

 

「だれ?、、タバコが吸いたい~、とか言いよる人は、だれ?」

 

「あっ、聞こえました?」

 

「しっかり聞こえてたよ、せっかく、やめてるんやから、退院してからも吸っちゃいけんよ」

 

そう言いながら部屋に入ってきた担当の看護婦さん。

 

その看護婦さんは俺の近所の人だった、時々顔は見て知っていたけど、ひと回り以上は年上(たぶん)なので、話をしたのは入院してからがはじめてだった。

 

そして、その看護婦さんから、ついでにとても嬉しい報告がありました。

 

「もうだいぶ良くなってるから、そろそろ退院してもいいって、先生からのお墨付きが出ましたよ」

 

「そうですか~、良かった、ありがとうございます」

 

かれこれ一ヶ月近くの入院生活も、そろそろというか、いや、もうかなりの嫌気がさしていた頃なので、退院許可はすごく嬉しかった。

 

去年のクリスマスイブの前々日、達美にふられてからというものは、もうほとんど惰性の毎日を過ごしていた。

何をやっても身が入らず、とりあえず会社には行き、とりあえず目の前の仕事をこなしているという、そんな毎日だった。

 

特に週末になると、それまでは毎週のように達美と一緒に過ごしていたから、それがないということで、生きる張り合い、頑張れる張り合いがなくなって、もう何をやる元気もなくなって、いつも家でごろごろと過ごしていた。

 

そんなときの突然の入院ということだった。

 

そして、その入院生活も、もうじき終わろうとしいた時だった。

 

俺は病室のベットでいつものように、何気にラジオを聴いていた、何気に聴いていたはずなのに、ラジオから流れてくるパーソナリティが話しだした告知になぜか思わず聞き耳をたてていた。

 

そして、その告知が、その後の私の人生を左右する、あることに繋がっていった。

 

 

   (人生の転機) 

 

《こんど、このラジオ局とクラウンレコードが共催で「スター発掘オーディション」を開催します、参加希望の人は履歴書、本人の全身写真と上半身の写真を同封してこのラジオ局まで送ってください、一次書類審査合格の人には二次審査の連絡をさせていただきます》

 

そんなラジオの告知を聴きながらふと思った。

 

(そうなんか~、オーディションか~、受けてみようかな~、歌には自信あるしな~、もし受かって歌手デビューできたら、俺をふった達美にも鼻を明かす事ができるし、受けてみようかな~)

 

そんな姑息なことなんかを考えたりもした。

 

でもそれよりも、オーディションを受けてみようと思ったのは、今までの自分を変えてみたい、どちらかというと、新しい事なんかにチャレンジするとかには、ほとんど消極的だった今までの自分を、この退院を期に変えたいということの方がむしろ大きかったと思う。

 

退院してからの行動は自分でもびっくりするくらい素早かった、すぐに、履歴書と応募書類を発送した。

 

迷っていたら、結局きっと今までのように、やっぱり無理、やめておこうとなってしまいそうだったから、すぐに送った。

 

 

それから数日してオーディションの受験票が送ってきた。

なのに、それからもまた、オーディションに行くか行かないか、やっぱり迷ってしまっていた。

 

だけど、このままだったら今までの自分と何ら変わらない、そう思い、入院中に考えた(自分改造計画)を遂行してみようと決心した。

 

 

 

   (オーディションを受ける)

 

「120番から125番までの人、部屋に入って下さい」

 

係員の女性が急いで入るように、そんな感じで催促している。

俺はこのオーディション会場に来た時にびっくりした、ほんとにこんなに多くの人が一次審査を通ったのか?

 

実は選考書類を送った人、全員が通ってるんじゃないだろうか?

そう思ってしまうくらい面接選考会場の前には人集りができていました。

 

今朝、家を出たのは朝の5時半、三月始め、まだ薄暗い中、バスと汽車を乗り継いで新下関駅までやって来て、それから新幹線で博多に、そして、オーディション会場に着いた時はすでに昼前になっていた。

 

午後12時からオーディション開始、自分に渡された受験番号は125番、近くの大衆食堂で昼飯を食べてから、順番を待っていた。

 

朝からの緊張で、ちょっと疲れたけど、その緊張も緩んで、待ちくたびれた頃、やっと呼ばれた。

 

「120番から125番までの人は部屋に入って下さい、そして、順番に受験番号と名前を言ってから、審査員の質問に答えて下さい」

 

係の女性のこの言葉で、また一気に緊張感が襲ってきた、心臓がバクバクするのが自分でも分かるくらい。

 

(大丈夫、俺は絶対に受かる、だって、俺は農協主催ののど自慢大会で二年連続優勝してるんやから、大丈夫、絶対に受かる)

 

「125番、亀田和利、19歳です、よろしくお願いします。」

 

実はこのオーディションには年齢制限があり、歌手志望の場合は20歳未満。

俺はその時、実は21歳、一歳半ほどサバを読んで履歴書に書いて応募していた。

 

「はい、では、125番の方、何の曲でもいいのでアカペラで歌ってもらえますか?」

 

審査員の突然の振りに、ちょっと戸惑いながらも、これくらいでビビったりしないよ、って、そんな素振りで、(本当は、突然のリクエストだったので緊張する暇もなかった)山本譲二さんのみちのくひとり旅を歌った。

 

この曲は地元の農協主催ののど自慢大会に初めて出た時に歌って優勝した曲だった。

 

そして、、歌い始めてまもなく、

 

「はい、ありがとうございます、結構です」

 

審査員の突然のストップ。

 

上手く歌えてたはずだし、この後のサビのところの節回しとビブラートが俺の一番の腕の見せどころ、聞かせどころ、なのに、突然のストップ。

 

(うそっ、なんで、ストップ?  ダメだったのか?)

 

 

「125番の人、君は笑顔がいいね、背も高いし、歌もまあまあだしね」

 

審査員の一人が俺に声をかけてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

(おお、ええ感じやん、こりゃ~受かるかもしれん)

 

その審査員は、俺が子供の頃に、テレビの映画番組で見た九州の炭鉱を舞台にした映画に出演していた、確か、大宮貫一とかいう俳優さんだったと思う。

 

「君は仮に歌手でだめでも俳優っていう線もあるね」

 

「ありがとうございます」

 

(おお、こりゃ~ええやん、受かるかもしれん、でも、俳優っていう線よりも、俺はやっぱり歌手でやりたい)

 

もう受かった気になって、そんなことを思ったりしていた。

 

「はい、以上で120番から125番の方のオーディションは終了です。後日、合格の方には通知を送ります。二週間くらい待っても通知が届かない方は不合格となります、合格の方は通知が届き次第、こちらにご連絡を下さい、それではお疲れ様でした」

 

相変わらず機械的な喋り方の係の女性、「オーディションが済んだ人はとっとと帰って下さい」そう言ってるように聞こえた。

 

(うそ、もうこんなに暗うなっちょるやん)

 

オーディション会場を出た時、辺りはすっかり暗くなっていて、福岡天神の街はネオンの灯りが散りばめられ、田舎もんの俺には、なんだかちょっと怖いような、そんなことを考えながらバス停まで行き、通勤の帰路のバス待ちの人の多さに圧倒され、今までの疲れが一気に蘇って来た。

 

 

 

 

   (人生の決断)

 

「父ちゃん、俺、歌手になろうかと思うんやけど」

 

突然の俺の言葉に、親父は一瞬何が起きたのか、「はっ?」正に、「はっ?」て感じの目で振り返った。

 

「おう?、、、なんてや?、、、なんになるってや?」

 

親父は俺の口から歌手になるなんて言葉が発せられることなど思ってもいないから、また和利がいつものように気まぐれの思いつきを言い出してる、と思っていた、それが歌手とは思いもせず。

 

「おう?、、、なんてや?」

 

親父はもう一度聞き返してきた。

 

 

オーディションを受けてから、数日がたった頃、いつものように朝一で、郵便受けを覗いたら一通の封筒が入っていた。

 

(おーーー。やったやん、通知が来てるやん、待て、待て、通知が来てるということは、合格のはずやけど、いや、いや、もしかしたら合格の通知じゃないかもしれん、喜ぶのはまだ早い)

 

実はオーディションを受けてから毎日のように朝一で郵便受けを確認していた。

 

自分が一番最初に確認したくて、というより、他の家族には内緒で受けてたオーディションだったので、タレント養成事務所からの封筒は家族には見られたくない、そんな感じになっていた。

 

でも、そもそも、不合格だったら通知はないと言っていたのに、オーディションの後は毎日、毎朝、郵便受けを確認するのが習慣になっていた。

 

他の郵便物が郵便受けに入っていても、それは知らんぷり、けっして回収したりはしない、それは、郵便受けを毎日のように確認してる事自体が内緒だったから。

 

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亀田和利様

おめでとうございます。

貴方は弊社のタレント養成所、福岡校の第一期生(歌手部門)として合格されました。

つきましては記載の電話番号までご連絡をいただけたらと思います、今後の詳細をお伝えいたします。

よろしくお願いいたします。

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(しっかりと合格と書いてある、間違いない、俺は合格したんだ、嬉しい、いいや違う、なんか違う、嬉しいはずなのになんか不安のほうが大きい)

 

そんな複雑な気持ちだ、でも、せっかくのチャンスなんだから、これで俺の人生を大きく変える、自分自身にそう言い聞かせた。

 

合格通知を見た時、すぐに親父の顔も浮かんできて、一人で迷ってる前に親父に相談することにしたのだった。

 

 

「父ちゃん、俺、歌手になろうかと思うんやけど」

 

親父にもう一度、今度ははっきりと分かるように言った。

 

「はあ?なんてや?歌手になるって?、、」

 

「うん」

 

「なしてまた、急に、歌手になるって、どうしたほか~?」

 

「うん、あんね、俺、オーディション受けちょったんよ、それで今日、合格通知が届いちょったんよ、それで、またとないチャンスやから、挑戦してみようかと思うちょるんよ」

 

「はあ?合格したって?、、お前、それですぐに歌手になれるほか?」

 

「うん、一応、その事務所に電話して聞いてみたら、一年くらいはレッスンに通わんといけんみたいやけど」

 

「一年レッスンに通うって、そりゃあ、お前、無理やろう、仕事はどうするほか?」

 

「仕事は辞めて、博多に行かんといけん」

 

「仕事を辞めて行って、生活費はどねえするほか」

 

「うん、それはまだ考えてない」

 

そりゃ、そうです、合格通知を見て親父にすぐに相談したので、そこまでは考えていなかった。

 

「一年間って、いうても、レッスンは週3日くらいで、そのレッスン期間にレコード会社のオーディションを受けて合格になればレッスン中でもデビューはできるみたいやし」

 

「デビューできるみたいやし、って、言うても、お前、売れる保証はないんやから、生活費と住む所をはっきりせんといけんやろう、やし、お前が歌手になっても売れるわきゃないし」

 

親父は、いつになく真剣な顔で俺のほうを見てきた。

 

そりゃあ、そうです、息子が急に歌手になるとか言いだしたんだから、父親としては真剣になるのは当然です。

 

「いや、俺は売れる自信がある」

 

何の根拠もなく、何となく俺なら売れる、その時は不思議とそう思った。

 

 

 

   (もう一つの決断)

 

「亀ちゃん、おはよう、あれから考えてくれた」

 

「あ、植田さん、おはようございます」

 

いつも週二のペースで、朝一に訪問しているガソリンスタンドに着いた時、大成眼鏡の植田さんが声をかけてきた。

 

植田さんはいつも爽やかで、朝一で、まだ寝ぼけ眼の俺にはとても眩しく見えた。

 

「あ、すいません、もう少し待ってもらえますか?」

 

「ええよ、いつでも、亀ちゃんの気持ちが固まったら教えて、ずっと待っちょるからね」

なんて、いい人なんだ植田さんは、イケメンで爽やかで、そして優しい。

 

こんな人の下で働くことになったら、そりゃええやろうな~、歌手になっても食べていける保証もないし、そろそろ決断せんといけんよな。

 

タレント養成事務所への返信期限も数日後に迫っている、確か三月末までに返事をするようにと合格通知に書いてあった。

 

それから数日悩んで、結論を出した。

 

「あ、すいません、そちらのオーディションを受けて合格通知をもらっていた亀田和利といいます、いろいろと悩んだんですが、今回はそちらでお世話になるのを諦めることにしました」

 

「え?、、亀田さん、もったいない、君の才能なら直ぐにでもデビューできると思うし、諦めるのはもったいない」

 

そう、言ってもらえるかもしれんと、少しは淡い期待もしていた。

 

「はい、125番の亀田和利さんですね、分かりました」

 

(あれ?、、、なんだ?、、、このあっさりした感じは?、、、もっと、いや、せめて少しは引き止められるかと思ったけど、もし引き止められたら、また迷ってしまうかもしれん、とか思っていたのに、なんだ、このあっさりとした返答は)

 

そして、結局、なんだかんだあったけど、俺は大成眼鏡にお世話になることにした。

 

 

 

 

 

『第二章』

 

(転職、七転八倒)

 

「おはようございます、今日からお世話になる亀田和利です、よろしくお願いいたします」

 

大成眼鏡に入社初日、やっぱり緊張してたのか、いつもより一時間早くに目が覚めた、というか、ほとんど眠れてない、数時間置きに目が覚めて、気がついたらもう5時になっていた。

 

始業は9時だと聞いていた、やっぱり出社初日だし、早めに出社したほうがいいと思ったので、8時半までには会社に着くように家を出た。

 

「おはよう、亀ちゃん、今日からやったね、もうちょっと早く出社したほうがええかもね」

 

植田さんはいつものガソリンスタンドの時の爽やかな顔とは違って、眉間にシワを寄せ厳しい表情で言ってきた。

 

「あ、すいません、9時が始業って聞いていたので」

 

はい、すいません、明日からはもっと早く出社します、と、言っておけばいいものを、9時から始業だから、8時半なら大丈夫かと思って、みたいな気持ちで言い返してしまった。

 

「まあね、8時半ならOKなんやけど、先輩たちはもう来て今日の営業の準備をして、9時には営業に出ていくからね、9時始業っていうのは9時には営業に出るっていうことなんよね」

 

「そうなんですね、すいません、明日からはもう少し早く出社します」

 

そういえば、すでに何台かの営業車は出て行ってるみたい、駐車場に空きがある、でも、なんかおかしい、確か営業車は10台くらいあると聞いてたけど、営業車用のスペースは3台分くらいしかない。

 

「植田さん、あのう、確か営業車は10台くらいあるって聞いていたんですけど、、」

 

「ああ、あるよ、10台、その内7台はフランチャイズの人の車で、社員の営業車は3台なんよね」

「フランチャイズ、って、なんですか?」

 

「ああ、言ってなかったかね、フランチャイズ契約の人たちは、大成眼鏡からフレームとレンズを仕入れて、自営でやってる人たちなんよ」

 

「そうなんですね」

 

「社員は亀ちゃんが4人目なんよね、今から増やしていって一年後くらいには10人する予定なんよね」

 

「そうなんですね」

 

「亀ちゃん、社長にはこの前の面接で会っちょるけど、専務にはまだ会った事ないよね」

 

「はい、専務さんには、まだ」

 

「専務はもうすぐ来ると思うから、紹介するから事務所で待ちょって」

 

「はい」

 

確か、以前に植田さんから聞いた話では、社長、専務、そして部長の植田さんの3人が大成眼鏡を起ち上げたとか言ってた。

 

社長と植田さんは起ち上げ以前は他のメガネ屋で訪問販売をしていて、起ち上げの時に他業種で働いていた専務を誘って3人で起業したとか。

 

 

「専務、今日から入社する亀田君」

 

事務所で植田さんからメガネの外販のことについていろいろと聞いてた時、専務が出社して来た、一瞬、誰だろうと思っていたら、植田さんがいきなり俺を紹介し始めたので、その人が専務なんだと認識した。

慌てて椅子から立ち上がり、すぐに自己紹介を始めた。

 

「専務さん、おはようございます、今日からお世話になる亀田和利です、よろしくお願いいたします」

 

「ああ、君が亀田君?植田部長から話は聞いています、こちらこそよろしくお願いします、ああ、あと、専務さんじゃなく、専務でええから、さ

んはいらんから」

 

「はい、すいません」

 

金縁のふちなしメガネをキラリと光らせ、ちょっと気難しそうな顔の専務さん、いや、専務です。

{ 角島 の鬼伝説 }

 

(角島側から見た角島大橋)

 

昔々、神田(かんだ)村の島戸という集落の漁師たちはあることに頭を悩ませていました。

 

「あの大きな島に歩いていけたらどんなに楽かの~」と一人の漁師がつぶやきました。

すると他の漁師たちも同調します。

 

というのも、その大きな島に行けば、とてもいい「潮巻き」という漁場があります。

 

もちろんその島戸からも「潮巻き」に漁にいくことは可能です。

でも、その島と島戸の間は潮の流れが速く当時の手漕ぎの伝馬船ではなかなか行くことができずに、島に渡るにはわざわざ遠回りをしていかなくてはなりませんでした。

 

「あの島に歩いて渡れたら、いつも伝馬船は島の一番端に着けちょって、朝一番で「潮巻き」まで漕いで行きゃ~日が暮れるまで漁ができるほじゃが~」

これは島戸の漁師のいつも思っている叶わぬ夢物語のようなことでした。

 

つまり、島戸から島に伝馬船で渡るのに半日かかるのでその日は島に泊まって、次の日の朝早くに「潮巻き」まで漁に行っても島に帰り着くのはその日の夕方になってしまい、もう一泊は島に泊まって、を繰り返していたので、島まで歩いて渡れたらどれだけ楽に漁ができるか、というのが漁師がいつも思っている願望ということでした。

 

もう一つ、島戸の漁師たちがいつも頭を悩ませている事がありました。

 

それは、「鬼」の存在です。

 

この島戸の集落には長羽山という山に鬼が住んでおり、その鬼たちが毎夜、島戸の集落に下りてきては漁師が捕って来て活かしていた生け簀から魚や貝などを盗んでいったり、畑の作物が実ったと思ったら掻っ攫っていって困らせていたのです。

 

(その昔この神田村という地域は書いて字の如く「神の田」ということで、この地域でとれたお米や農作物の一部は地元の住吉の神様にお供えする事になっていたのです、そしてこの近くには「特牛(こっとい)」という港町があります、その地名も「神様の田畑を耕す牛」を飼育しているという特別な牛の土地ということで名付けられたとか?これは諸説あるので、ホントかどうかは解りません)

 

そんな事を聞きつけた住吉神社の神様が、

「よし、そんな悪い鬼たちがいるのなら私が懲らしめてやろう~」

ということで、一計を案じます。

 

そして住吉の神様は島戸の住民に集落にある全ての酒を壺に入れて持ってくるように指示しました。

 

住民たちは「こんなにいっぱいの酒をどうするんだろ~」と思いながらも住吉の神様の言う通りにありったけの酒を集め壺に入れて持って来ました。

 

次の日、住吉の神様は鬼の頭(かしら)を呼び出して言いました。

 

「おい、お前たちは島戸の住民を困らせているらしいが、住民もほとほと弱っておる、もうこれ以上住民を困らせる事はやめてくれんか?」

 

「いや~、神様、俺たちも生きていくには仕方ないことです、

だから、やめる事はできません」

 

「う~ん、、よし分かった、では、わしと賭けをしようじゃないか」

 

「ええ?、、神様と賭けを?」

 

「おおそうじゃ」

 

「ええ?じゃ~、どんな賭けを?」

 

「お前たち、あの島が見えるか?」

 

「ええ、そりゃ~見えるさ~、あんなに大きい島なんやけ~」

 

「じゃ~、お前たち明日の夜明けの一番鶏が鳴くまでにこの島戸とあの島を地続きにする事が出来るか?」

 

「おお、そんな簡単な事ですか~、できますよ、簡単な事ですよ~」

 

「よし、分かった、では、もし明日の朝一番鶏が鳴くまでにこの島戸とあの島を地続きにする事ができたらこの神田という地域で捕れた魚や貝や収穫された農作物の内でわしに献上されている分は全てお前たちにやろう~」

 

「ええ~、ホントですか~、そんな賭けをして、神様はいいんですか?」

 

「ああ~、じゃが、もしお前たちが一番鶏が鳴くまでに、この島戸とあの島を地続きにする事が出来なかったら、この島戸の長羽山から出て行くんじゃど!」

 

「ああ~、ええですよ~、、、」

 

「ああそうじゃ、それともう一つ、今後は何処に行っても、もう二度と人間の里に下りてきて悪さをせんという証(あかし)にお前たちのその角をわしにくれんか?」

 

「えっ?角を?、、なんでまた?」

 

「それはの~、お前たちも角がなければただの人間と同じじゃ、その角があるから強くなった気になって人間たちに悪さをするからの~、よその山に行っても悪さはもうせん、という証に角をくれ」

 

「はあ?、まあええけど?、どうせ俺たちが勝つに決まっているから」

 

「そうか、くれるか、その角をワシに」

 

「はあ、、ええですよ~」

 

「よし、じゃ~快く約束を受けてくれたお礼に集落中のありたっけの酒を集めて来たからこの酒をお前たちにやろう~」

 

「ええっ!ええんですか~?」

 

ということで、住吉の神様と鬼たちの賭けが成立したのです。

 

鬼たちは勝つに決まっているという賭けだったので、シメシメ と思ってました。

 

鬼の頭(かしら)はみんなを集め呼んで言いました。

 

「おい、もうこの賭けは俺たちが勝ったも同然じゃ~、集落中の酒も貰ったし今から前祝じゃ~!さあ~みんな~呑め!今日は前祝じゃ~、どうせ俺たちが勝てば食いもんも酒もこれからは何でも手に入る、この酒も全部飲んでしもうてもええど」

 

集落から集めた酒を鬼たちは美味(うま)そうに全て飲み干してしまい、それから間もなく一人、二人と呑みつぶれて寝入ってしまいました。

 

実はこれもすべて住吉の神様の作戦だったのです、まんまと鬼たちは引っかかってしまい、みんな眠ってしまったのです。

 

ところがその鬼の中の一番年下の鬼は見張り役だったので酒が呑めずにいたのですが、でもこれが幸いするのです。

 

そして、その一番年下の鬼はみんなから「ハト」と呼ばれていました、ハトはむしろ鬼の連中の中では体も大きく一番力持ちだったのに、気が優しくて頼りなかったので、その一番年下の鬼が自分のことを「ワシ」と言うと、他の鬼たちが「お前はおとなしくて気弱やから「ワシ」じゃのうて「ハト」じゃ~」と言って、からかって、みんなから「ハト」と呼ばれるようになっていたのです。

 

「ああ~よ~寝たの~、今、何時くらいかの~、おっ!大変じゃ、寝てる場合じゃない、みんなを起こさんにゃいけん!」

 

その見張り役の年下の鬼「ハト」はみんなを起こす役目をするように言われていたのに、うっかり眠ってしまったのです。

 

「みんな大変じゃ~!起きてくれ!早よ~せんにゃ~夜が明けてしまう~起きてくれ~!!」

 

「ゔぉ~~!!」   「ゔゔぉ~~!!」   「うぼ~~!!」

 

他の鬼たちもやっと気付いてくれて、次々に起きてきました、ところが正気に戻ると、他の鬼たちはかなり寝過ごしたことに気付き、みんなで「ハト」を責めたました。

 

「おい、ハト!お前、もしかして寝過ごしたな~」

 

「ハト、どうしてくれるんっか!」

 

「おい、賭けに負けたら全部お前のせいやからの~!」

 

他の鬼たちは、みんなでハトを責め立てます。

 

「みんな、ごめん!ちょっと寝過ごしてしもう~て、ごめん」

 

ハトも申し訳なさそうに何度も謝っていると、鬼の頭(かしら)がみんなに言いました。

 

「ハトを責めてもしょうがない、それより早よ~地続きにする事を始めんと一番どりが鳴いてしまう!」

 

「頭(かしら)、でもどうやって?、何から始めますか?」

 

一人の青鬼が頭(かしら)にこれからの段取りを聞いています。

 

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ええ?そんな段階?今まで計画は立ててなかった?そう思いますよね、

鬼たちは余裕をぶっこいていて、何の計画も立ててなかったのです。

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「頭(かしら)、、さしでがましいようですけど~、、」

 

そんな時、ハトがなにか遠慮ぎみに言おうとしています。

 

「おお~、ハト、、なんじゃ、言うてみ~!!」

 

「はい、あの島とこの岸を地続きにするには、まずあの真ん中辺りに大きな岩を投げ入れて、それからあの島の方にその大きな岩から砕いた小岩を投げ入れて、岸からあの大きな岩までは岸から小岩を投げ入れたら半分の時間で地続きにする事が出来ると思うんですけど」

 

すごいですよね~、このアイデア。

 

ハトはみんなを起こす役目も出来ない自分を責めていました、なので、どうにかして役に立ちたいそんな気持ちで一生懸命に考えたアイデアだったんです。

 

「おお~~」

 

頭(かしら)はもちろん、他の鬼たちもこのアイデアには感心しています。

 

「よし!!決まった!!みんないいか~、ハトの言う通りにやろう~!!」

 

「おおっ~!!」 「おっ!!」

 

「うん?でも、よう考えたら、あの中ほどに大きな岩を誰が投げ入れるんじゃ?」

 

一人の赤鬼がそのことに気が付いて頭(かしら)に尋ねました。

 

するとそれを聞いていたハトが「頭(かしら)、、ワシがやります!」

 

ハトが「ワシ」と言っても、もうその時は「お前は「ワシ」じゃなくて「ハト」じゃ!」

とはもう誰も言いませんでした。

 

「おお、ハトか~、うん、お前なら一番の力持ちやから容易な事じゃろ~の~」

 

「はいっ!!頭、、わしに任せて下さい!!」 

と言って裏山に回り、そこにあった小高い丘をそのまま丘ごと一気に抱え上げ、いとも簡単に海の方へ投げやりました。

 

「えっい!!!」

掛け声と同時に小高い丘はそのまま海の、しかも島と岸のほぼ中間に見事に投げ入れられたのです。

 

「ほ~~」   「へ~~」   「おっ!!~~」

 

他の鬼たちも感心して、それぞれが何か喚(わめ)いているようでした、中には「ナイスピッチ」って言う鬼もいたとか?いないとか?

 

「ハトよ~、、お前凄いの~」 頭も感心しています。

 

他の鬼たちはハトが小高い丘をそのまま持ち上げて向こうの島とこっちの対岸の島戸のちょうど中ほどの海に投げ入れた事に感心していました。

 

「よ~し、なら、今からみんなであの島とこの岸を地続きにするぞ~!!」

 

鬼の頭(かしら)はみんなを鼓舞するように叫び、それに応えるように鬼たち全員が声をそろえて雄叫びです。

 

「えいっ!、えいっ!、おっ~!!」  「えいっ!、えいっ!、おっ~!!」

 

「よ~し、じゃ、二手に分かれて、半数はハトが投げ入れたあの小島まで行ってから大きい島に向かって小岩を投げ入れて、残りの者はこの岸から小岩を投げ入れるぞ~!さ~、始めるぞ!!」

 

この長羽山に住んでいた鬼たちは全員で20人近くいたということです。

 

半分の10人がこっちの岸から、そして、もう半分の10人がハトが投げ入れた小島に渡りそこから大きい島に向かって小岩を投げ入れるという段取りです。

 

そして、いよいよ鬼たちによる小岩の投げ入れが始まりましたが、そのうちハトが投げ入れた小島がだんだんとみるみる小さくなっていきます。

 

鬼たちがその小島から小岩を取っては海に投げ入れているとさらに小島が小さくなっていきます。

 

すると、ハトが頭 (かしら)に何やら言っています。

 

「頭 (かしら) 、このままだと小島がどんどんなくなっていってしまうので、ワシが向こうの大きい島に渡って向こうからこっちに小岩を投げ入れます」

 

「おお~それがえかろうの~、ハト、なら、もう一人連れていけ、ほいで、二人でこっちに小岩を投げ入れてこい」

 

「はい、解りました」

 

そう言うとハトはもう一人連れて大きい島に渡り、そこから小岩を取っては投げ入れる事を始めました。

 

そのうちに元々岸に近い方から小島までは浅瀬でもあったこともあり、ほぼ繋がりそうなくらいになっていきました、でも小島から大きい島までは流れも早くなかなか海が埋まりませんでした。

 

小島にいる鬼たちも大きい島に渡ったハトたちもちょと焦っています。

 

「なかなか海が埋まらん、よお~し、じゃ~この岩を抱えて投げ入れてやろ~」

 

ハトが抱え上げようとした小岩は見た目はさほど大きくなかったのですが、どうしても、ハトの腕力をもってしても持ち上がりません。

 

鬼たちの中では最も力持ちだったハトにしても持ち上がりません、そのうちにハトはだんだん必死になってきていました。

 

「悔しい~、、、絶対に持ち上げてやる、絶対にあきらめん!!」

 

終いにはハトはもう意地になっていました。

 

それに気付いた鬼の頭(かしら)はハトに言いました。

 

「ハト、もうその小岩はええから~、他の小岩を取って投げ入れえ~!!」

 

でも、ハトにはもう頭(かしら)の忠告は聞こえて無いようでした、いや、もう誰が言ってもダメなくらい意地になってその小岩と格闘していた、そんな感じでした。

 

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ちなみに、現在の角島小学校の近くに鬼の手形が付いた岩があり

「鬼の手形岩」といって残っているらしいです。

それがもしかしたらハトが意地になって格闘していた小岩かもしれないですね、定かではありませんが。

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そうこうしているうちに、それでもどうにか対岸と小島と大きい島までが地続きなりそうなくらいになって来ました。

 

このままでは、住吉の神様が鬼たちに負けてしまいます。

 

「ほ~、鬼たちもよ~やるの~、このままだと本当にあの大きい島とこの岸を地続きにしてくれそうじゃの~」

 

住吉の神様は他人事のように感心しています。

 

すると、集落の長が

「神様、このままだと本当に地続きになって神様が負けてしまいます、わしら集落のみんなはもう地続きにならんでもええけ~、もう、鬼たちを止めさせましょう~や~」

 

「ほう?、、けど、集落のみんなももうそれでええのか?」

 

住吉の神様は集落の長に念をおしました。

 

「は~、ええですよ~、もう~、」

 

「よし、じゃ~、解った!!」

 

そう言うと神様はおもむろに、ひょいっと、近くの木立に飛び乗り、

「コケコッコ~~!!、コケコッコ~~!!、コケコッコ~~!!」 と

一番鶏の鳴き声を始めました、というか、身なりもまるで本物の鶏に見えます

そうです、神様が他のものに化けるのは簡単な事なんです。

 

それを聞いた鬼たちは慌てて

「おお~~、、だめじゃ~、、鳴いてしも~た~~」

「うそ~、俺たちの負けじゃ~、、、、うそ~~~!!」

 

その時、鬼の頭(かしら)は

「くそ~、住吉の神様に一杯喰わされた~、、そう云う事か~!!」

 

頭(かしら)は自分たちが住吉の神様にまんまと乗せられてしまった事に気付きました、でも、約束です、負けは負けです。

 

ちゃんとホントに夜が明けるまで、という約束にしておけば良かったのです、しかもあの一番鶏の鳴き声も住吉の神様が化けているという事にも気付いていました、でも、そんな事をいまさら言ってももう後の祭りです。

 

その事がよく解っている鬼の頭(かしら)は自分の愚かさが招いたことだから、仕方ないと負けを認めたのでした。

 

そして、鬼の頭(かしら)はみんなに

「お~~い!!みんな~、もうええど~、、、引き上げて帰って来い!!」

そう言って鬼たち全員を呼び集めて言いました。

 

「みんな、すまん、俺のせいでこんな事になってしもうて、やけど、お前たちはようやった、

「一番鶏が鳴くまでに」でのうて「夜が明けるまで」っていう約束にしちょったら俺たちが勝っていたに違いない、やからの~今から俺が住吉の神様に話して、約束通りにこの長羽山からはみんな出て行くけど、俺たちの角を神様に差し上げるのだけは勘弁して貰うように頼んでみるから

お前たちも、どね~かそれで了解してくれんか~?」

 

「はあ~、頭がそこまで言うほなら、しょうがないやろ~、ええですよ~、頭(かしら)に任せますけ~」

 

鬼の頭(かしら)は住吉の神様の所に行き

「神様、この賭けは俺たちの負けです、ただ、夜が明けるまでちゅう条件やったら、俺たちの方が勝っちょったに違いありません、やけ~この長羽山からは、みんな出て行きますけど、みんなの角を取るのはこらえてもらえんでしょうか?その代わりにわしの角は神様に差し上げますけ~、それと、わしは今たびの負けの責任を取って頭(かしら)は辞めますけ~それで勘弁してくれませんか?」

 

「おお~そうか~、そう云う事か~、でもお前たちもようやったの~、あのままじゃ~わしの負けやったからの」

 

「神様、いや、俺たちの負けです、負けた俺たちはこの島戸の長羽山から出て行きます、ほんで、わしも鬼の頭(かしら)は責任を取って辞めます、やけ~、他のみんなの角を取るのだけは勘弁して貰えんでしょうか?」

 

「おお~、そうか~、頭(かしら)をやめるか~、ほいでも、お前が頭(かしら)を

辞めたら誰が他の鬼たちを束ねるほか~?」

 

「はい、それは、今日の働きを見ちょってから、「おお、こいつしかおらん」って、思うた奴がおりました、そいつは今までみんなから、どっちかっちゅうとバカにされていたほやけど、今日の一連の働きを見て他のみんなも感心して見直しちょったみたいやけ~、そいつにしようと思うちょるほやけど」

 

「おお、それは、誰じゃ?」

 

住吉の神様は大体の予想は付いていました、住吉の神様も鬼たちの働きの様子を見ていて、一連の行動に感心していた鬼がおりました、でも、一応、頭(かしら)の意見に耳を傾けました。

 

「はい、それは、ハトという若い鬼です」

 

「おお~、そうか~、ハト、か~、うん、良かろうの~、ハトなら」

 

「はい、ハトに頭(かしら)になって貰いみんなを束ねてもらおうと思うてます」

 

「よし!解った!!じゃ~お前の言う通りに他の鬼たちの角を取るのだけは勘弁してやろう~!!

 

ところで、頭(かしら)、お前はこれからどうするのじゃ?

神様にはある考えあったのですが、まずは頭(かしら)の意見を聞いてみようと思い尋ねました。

 

「はい、わしは住吉の神様に自分の角をお預けしてから鬼をやめて、それから許されるほなら、これからは人間として生きて行きたいと思ちょります」

 

「そうか~」 そう言うと住吉の神様はしばらくしてから、頭(かしら)に言いました。

 

「頭(かしら)、もし、お前さえ良かったら人間になってから、わしの社(やしろ)の守(もり)をしてくれんか?」

 

「ええっ!!?」

 

頭(かしら)は思いもよらぬ神様の申し出にびっくりしてしまい当分の間、言葉が出ませんでした。

 

「どうじゃ!?頭(かしら)、やってくれんか?」

 

「いや~~、神様、勿体ない、わしが神様の社(やしろ)を守(もり)するなんて」

 

「頼む、頭(かしら)、、やってくれんか?」

 

頭(かしら)は住吉の神様の頼みを断ることなんて出来ません、というか、逆に恐れ多くて自分に務まるかどうか不安でした。

それでも、住吉の神様にそこまで言われたら、快く受けることが神様へのお礼になると思い申し出を受けさせて貰うことにしました。

 

「はい、住吉の神様、じゃ~喜んで引き受けさせて貰います」

 

ということで、鬼の頭(かしら)はその後、住吉の神様の社(やしろ)をお守りするという役目に一生を費やしたとのことでした。

 

そして、頭(かしら)が亡くなった後に、住吉の神様の社(やしろ)の山門の横には

仁王(におう)像ではなく赤鬼の像が山門の横に建てられたとか。

 

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一方、他の鬼たちはこの島戸の長羽山から出て行き、住吉の神様の言いつけで島戸の集落から六~七里離れたところにあるその地域では一番高い山に、ハトを新しい頭(かしら)として暮らすように言われ、そして人里には二度と下りて来ないという約束で角を住吉の神様に預ける事は許されたとか、そして、その山が現在の下関市豊浦町の「鬼が城」という山だったとか、そして、住吉の神様は鬼の頭(かしら)から預かった頭(かしら)の角を島戸の沖にある大きな島のある場所に埋めたらしということから、その後、その島の事を「角島」というようになったとか、そして、角島と対岸の島戸のちょうど中ほどにある小さい島は鬼の「ハト」が島戸から小高い丘を抱え上げてそのまま海に投げ入れたということから「鳩島」と言われるようになったとか、そして、現在の角島大橋が通っているちょうど下の海底部分は潮が引いた時に鬼たちが投げ入れた小岩が瀬のように繋がっていて、その昔、地元の漁師たちが島戸から沖の大きな島まで地続きにならないかと思っていた場所なので「海士(漁師)ヶ瀬 」(あまがせ) と呼ばれるようになったか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

本当の「鳩島」の由来は解りませのですみません、悪しからずです。

 

ああ~っ!!そうそう、もう一つ、これは本当に地元に伝わっている事ですけどね、あの鬼たちが住み着いていた「長羽山」という山は実在しています。

そして、今でもその山の地中から壺(土器)が出土するらしくて、長羽山を地元では別名(通称)で「高壺山」と呼んでいてそれが現在は「高坪山」になっているとか?

 

住吉の神様が島戸の集落から集めた酒を壺に入れて鬼たちに振る舞ったという話がありましたよね、その壺が現在も長羽山から出土しているんでしょうかね?

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

みなさんこんにちは!

 

前回の続きです。

 

個人店と量販店のメガネの価格。

 

量販店に比べて個人店は高い、という疑問。

 

前回では、

ただ単純に物が違うから価格差がある、という答えでした。

 

でも、本当はもっと複雑な理由があるんです。

 

物が違えば価格は違う、とういう単純明快な理由だけではないんです。

 

ということで、ここでみなさんにも質問をさせてください。

 

 

質問1)まったく同じコーヒー豆と水で淹れた一杯1,000円のコーヒー。

 

A;私が淹れたコーヒー。

 

   B;キムタクが淹れたコーヒー。

 

あなたはどっちのコーヒーに1,000円払いますか?

 

 

質問2)まったく同じコーヒー豆と水で淹れた一杯1,000円のコーヒー。

 

  A;テイクアウトのコーヒー。

 

  B;銀座の喫茶店のコーヒー。

 

あなたはどっちのコーヒーなら高いと感じませんか?

 

質問3)まったく同じ豆と水で淹れた一杯1,000円のコーヒー。

 

     A;アルバイト店員が淹れたコーヒー。

 

     B;一流のバイリスタが淹れたコーヒー。

 

あなたはどっちのコーヒーに1,000円の価値があると思いますか?

 

もうお分かりですよね。

 

物の価格は、ただ単純に品物だけで決まるものではないっていうことなんです。

 

ただ単純に品物だけを販売するのなら安い価格のほうがいいかもしれません。

 

でも物の価値っていろんな付加価値があるから単純に価格だけでは比べられないんです。

 

VOL1で書いた冷蔵庫の価格もそうですが、

もちろん同じメーカーの同じ冷蔵庫なら安いほうがいいかもしれません。

なので、電気量販店のほうが安い。

 

でも、後々のアフターケアとかを考えると、

近所の電気屋さんのほうが多少高くても何かあった時にすぐに来てくれる。

とか、

ついでに他の電気製品の不具合なんかも気軽にみてくれる。

とか、

そんなことなんかを考えたらその価格差は気にならないかもしれません。

 

まさに、すぐに来てくれる、ついでに○○してもらえる、という付加価値ですよね。

 

メガネ屋の場合は、むしろ、

物そのものの価値よりも付加価値や付属価値のほうが大きい職種かもしれません。

 

度数検査やフレーム調整などの技術力。

                    使用する用途に最適なレンズの提案力。

ファッション的なアドバイス。

後々のアフターケア、フレーム調整。

 

フレーム調整に関しては、

例えば、そのお店のお客様であれば、後々のフレーム調整などは、

ほとんどの個人店は永年無料でされていると思います。

 

仮に、フレーム調整一回につき2,000円頂いたとしたら、

お客様が年に二回、調整をしてもらったとしたら4,000円です。

 

3年間だと12,000円。

5年間だと20,000円。

 

もちろん有料の調整もありますが、

そのお店で可能な調整だったらほとんどの個人店は無料でされていると思います。

 

メガネの価格は

単純に物そのものの価値の価格差もありますが、

実は目に見えない、付加価値、付属価値での価格差もあるということなんです。

 

自分の顔の真ん中に掛けるメガネです。

 

自分の顔の一部になるメガネです。

 

自分を着飾るアイテムです。

 

技術のしっかりしたメガネ屋さん。

 

的確な提案、アドバイスをしてくれるメガネ屋さん。

 

そしてなにより、

ファッション的なアドバイスもできるお店や店員さんなら安心ですよね。

 

 

それでは今日はこのへんで終わります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

POTATO MEGANE Inc.

(ポテトめガネのホームページ)

 

 

付加価値と付属価値については下に貼り付けているブログでも書いています。

よかったら見てくださいね。