【思いつくまま生きてきた】
『我が眼鏡屋人生』
はじめに
1982年、私があるきっかけからメガネの訪問販売の会社で働くことになった経緯や、その会社で起きたいろんな出来事を乗り越え、数年後に独立し、訪問販売をスタートしたのはいいけど、なかなか上手くはいかず孤軍奮闘、その後、どうにか念願の店舗を出したのはいいけど、またまた、予期せぬ出来事や家族の病気、そしてさらに本人の大病、そこからの復活劇、などなど、そして、その後、数度の閉店の危機に直面し、いろんな方の力を借りながらどうにか乗り越えメガネ屋を続けてきた30数年間の奮闘回顧録です。
『第一章』
(岐路、そして、決断)
「亀ちゃん、うちにこんかね?」
アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれたハーフ、ちょっとブラッド・ピットに似たイケメンの植田さんが突然、声をかけてきた。
「はい?」
植田さんの突然のお誘い? スカウト?
なんだか事態を把握できずに戸惑った。
もう既に辺りは日が落ちて暗くなっていた、まだ夕方の5時頃なのに。
それは、十二月の半ば師走の出来事だった。
俺はその頃は三傳商事というタイヤの卸販売会社でガソリンスタンドなどを回るルートセールスをしていた。
高校卒業後、関西の大手スーパーに就職し、毎日毎日のサービス残業に嫌気が差していた頃、母が胃癌で余命数ヶ月ということを親父から聞き、それを良いことに口実にして一年数ヶ月でスーパーを退職、故郷の下関に帰り、親戚のコネで地元の優良企業の三傳商事に就職した。
そんな頃、あるガソリンスタンドに毎朝給油に来ていた植田さんとは顔見知りの間柄になっていた。
植田さんの突然の言葉に戸惑いながらも、(うちにこんかね?)の真意をすぐにでも確認したいと思った。
「植田さん、うちにこんかね?って、どういうことですか?」
「うん、あのね、亀ちゃんと、このスタンドで知り合ってから、ずっと思うちょったほっちゃね」
植田さんは見た目はすっかりアメリカ人、だけど日本語しか、しゃべれない、しかもバリバリの下関弁、そのギャップが逆に魅力的な人だった。
「亀ちゃんは真面目で一所懸命に仕事しよる、このスタンドのスタッフさん達にも受けがええし」
「はい、ありがとうございます」
「それでっちゃ、前から思うちょったほやけど、もし、亀ちゃんにその気があればうちの会社に来てくれんかなと、思うちょるんよね」
その頃、植田さんは大成眼鏡サービスというメガネの訪問販売の会社の営業部長をされていた方だった。
年の瀬の押し迫った夕方、辺りはもうすでに暗くなっていた。
突然のスカウトに戸惑いながらも俺は少し嬉しくなっていた。
このときの出来事から俺の人生は大きく変わって行こうとしていた。
(大失恋)
対岸の門司港の街並みや小倉の工場の夜景がよく見える東大和町の築港に車を停めて、暫し夜景を眺める、今はそんな余裕がないことを俺はなんとなく察していた。
「話って、なん?」
沈黙を続ける訳にもいかず、俺から話を切り出した。
数日前、達美から話があるからと連絡があり、仕事終わりに車で達美の会社に迎えに行き、関門海峡の見える築港までやってきた。
だいたいのことは察しがついたが、俺から切り出さないと、達美は話し出さない、そう思ったので、俺から聞いてみた。
十二月二十二日、イブの前々日、関門海峡を行き交う商船も心なしか慌ただしく進んでいるような、そんなことなんかを無意識に思ったりもしたけど、それよりは目の前の現実、達美の口からどんな言葉が出てくるか、それが気になって仕方ない、でも一方ではこのまま何も聞きたくない、そんな何とも言えない嫌な予感もして時間だけが経っていった。
それからしばらくして、やっと達美が話し始めた。
「あのね、」
聞き耳をたてないと聞き取れない。
「うん、なに?」
「あのね、もう、終わりにしたいんよね」
「うん? なにを? なにを終わりに?」
達美は、なにを終わりにしたいのか、そんなこと聞き返さなくても察しはついたけど、分からないふりをして聞き返していた。
もう、何となく分かっていた、おそらくそんなことだろうとは思っていた。
ここ最近、達美との空気感というか、なんかそんな感じのものが何となく今までとは変わってきている、それは俺にも分かっていた。
だけど、俺は何度も聞き返すしかなかった。
達美とは十九歳の頃に知り合った、友人(女性)からの紹介だった。
実はこの友人とは高校三年生の時に付き合っていたけど、その後、卒業を期に自然消滅していた関係だった。
その友人から同じ短大の友達として達美を紹介されて、それからお互いに意識し始めて、というよりか、俺の方が一方的に好きになり猛アタックしたというのが本当のところだった。
「うん? なにを終わりに?」
「だから、もう、付き合えない、って、ことなんよ」
もう、分かっている、だけど、もう一度聞き返したかった。
「うん? なんで?」
「あなたとは、これから先のことを考えられないんよ、私もずっと考えて、そう決めたんよ」
「なんで、もう付き合えないん? なんで、だめなん?」
また、もう一度聞き返していた。
俺は今まで自分のことを男らしい男なんだと思っていた。
でもそれは間違いだと、このときに思い知らされた。
なんでこんなに俺は未練たらしいんだろう、こんなはずじゃない、俺は男らしい男のはずなんだ。
でも、そのときは、
そんなことなんてどうでもいい、女々しくてもいい、それでもいい、達美が俺とのことを修復してくれるのなら、何度でも俺は懇願する、そんな気持ちになっていた。
「うん、言いにくいんやけど、現実的に考えて、あなたの給料では将来不安だし」
「いや、なんや、そんなことか、実際、俺の会社の給料は他の会社に比べたらすごい安いけど、将来は安定してるし、まだ、二十歳やし、これから給料上がると思うし」
「うん、でも、それだけじゃなくて」
「それだけじゃない? って?」
それからまた、暫し沈黙が続いた。
築港には他にも何台か車が停まっていた、そのほとんどがカップル。
対岸の夜景を眺めながら、もうすぐやってくるクリスマスの予行をしているかのような、俺にはそう見えた。
もしかしたら、他の車から見えてる俺の車も楽しそうなカップルに見えているのかもしれないけど。
それから、しばらくして思い詰めたかのように達美は話し始めた。
「あのね、 他に、 好きな人ができたんよ」
「。。。。」
もう、この言葉が決定打だった、ぐうの音もでない、別れを切り出し、相手にも余地を与えない、これ以上の言葉が他にあるだろうか?
「そうなん。。。」
それしか出てこない。
でも気を取り直して、押し絞るように言った。
「実は俺、今、転職を考えちょるんよ、ある人に誘われて、それで、その会社に移ったら給料は今の3倍くらいになるって、言ってもらってるんよ、それでもだめなん?」
給料は上がっても、、他に好きな人が出来たということは覆せない、
そんなことは俺にも分かっていたけど、それでも、もしかしたらという淡い期待で言ってみた。
「うん。」
たった一言「うん。」って言ったっきり、それ以上もう達美は喋らずに、ずっと俯いたままだった。
十二月二十二日、クリスマスイブの前々日。
その日が達美との最後の日となった。
(生死を彷徨う)
1981年、正月気分もすっかり明けた一月十五日の朝、
(うん、なんかおかしい、頭は割れるように内側からズキンズキンと叩かれてるみたいやし、背中から下半身が痛くて全く動かせない、なんかおかしい)
自分の身体のそんな異変を感じたとき、もうこれで俺は終わってしまうのか?
それくらいのことを思わせる、そんな痛みが俺を襲っていた。
何度か起き上がろうとしても身体が思うように動かない、というより、動こうとすると、身体中に激痛が走る。
俺は思わず叫んでいた。
「父ちゃ~ん、なんかおかし~い、身体がおかし〰い」
どうにかこうにか力を振り絞って親父を呼んだ。
その頃、親父と俺は離れの1階と2階で生活していた。
俺が2階から何度か叫んでから、まもなく、それが何なのか、何が起きてるのか、それを確かめるかのように、親父がびっくりしながらやってきた。
さすがに母屋の兄夫婦には俺の声は聞こえてないようで、普段と何ら変わらず、いつもの慌ただしい朝のルーティーンをこなしていた。
親父は俺の叫び声を聞き二階へやって来るなり、布団の中で動けない俺の顔を覗き込むように言ってきた。
「なん、したほか? どうしたほか?」
それはまるで俺を叱るときと同じような、そんな面持ちに見えた。
「父ちゃん、なんか変なんよ、身体があっちこっち痛たあし、起きられんほっちゃ」
「なしてか〰、なんしたほか〰?」
「いや、俺にも分からん、目が覚めたら、もうこんなんやったんよ〰」
俺は振り絞るように、親父に訴えた。
親父は明らかに焦っている、でも、そこはやっぱり、冷静を装う感じで、母屋に長男を呼びに行った。
それから暫くして、兄もやって来て、二人がかりで私を抱きかかえながら階段をゆっくりと下りていった。
身長180㎝、体重65㎏の成人男子を2階から抱えて下ろすのは至難の業、ふたりがかりでなんとか抱え下ろし、そしてそのまま近所のかかりつけ医まで俺を連れて行った。
「これは大変じゃ、熱が40度近くあるし、どうも肺炎をおこしているみたいじゃ」
近所のかかりつけ医の言葉を、親父も兄も、案外冷静に聞いていた。
「すぐに総合病院に連れて行って治療せんといけん」
医者のその言葉を聞いて、親父と兄はやっと少し焦り始めていた。
それからまもなくして、俺は総合病院へ搬送された。
緊急入院
「あれ?、、なんで俺、ここにおるん?」
「あんた〰、気がついたかん、目が覚めたかん」
俺のベッドの横にいたのは姉だった。
姉は数年前に嫁に行き、隣町に住んでいましたが、親父から連絡があり、俺の意識が戻るまでずっと付き添ってくれていた。
俺はなかなかその状況が把握できずに、何度も同じこと聞き返していた。
「なんで? なんで俺、ここにおるん?」
「はあ? あんた~、覚えてないん?」
何度も同じこと聞いてくる俺に、姉は怪訝そうに聞き返してきた。
「あんた、ほんとうに覚えてないん?」
「うん、、親父を呼んで和田医院まで連れて行ってもろうたほは覚えちょるけど、その後はよう分からん」
「そうなん、、あんたね、肺炎をおこしちょって、和田医院じゃどうしょうもないけえ、って、小串の国立病院まで運ばれてきたほいね」
「そうなん」
「それから、まる二日間も、あんたが全然起きんから、うちが付き添っちょったほいね」
「そうなん」
姉の話を聞いて、やっと俺は現実に戻ってきたという感じだった、それになんだか、久しぶりにぐっすりとよく寝たなという実感もしていた。
「それで、あんた、具合はどんなかん?」
「そういえば、もう頭もあんまり痛うないし、身体もゆっくりなら動かれそう」
嘘みたいに、あれだけ痛かった一昨日までの身体中の痛みも今はそれほどでもなく、生き返ってるっていう実感がしていた。
「それなら、うちはもう付き添わんでもええかん?うちも帰って家のことをせんと、二日間もやりっぱなしにして来たから、帰ってもええかん?」
「うん、ええよ」
「うちゃ~、びっくりしたいね、父ちゃんから電話があった時は、あんたがもういかにも死にそうな感じみたいに言うけ~」
「そうやったん、ごめん、ありがとう、もうええよ帰っても」
二日前の朝方に国立病院に運び込まれてから三日目も、もうすぐ日付が変わろうとしていた。
姉の付き添いには感謝しかなかった。
母は二年前に他界していたので、六歳違いの姉は私にとっては母代わりのような存在だった。
それから三週間くらいした頃にはもうすっかり俺も元気になっていた。
「あ~、タバコが吸いたい~」
そう思えるようになったと言うことは、もう完全に肺も復活してる、だって、肺炎をおこしてからは、あれだけヘビースモーカーだった俺もこれっぽっちもタバコが吸いたいなんて思ったこともなかった。
「あ~、タバコが吸いたい~」
「だれ?、、タバコが吸いたい~、とか言いよる人は、だれ?」
「あっ、聞こえました?」
「しっかり聞こえてたよ、せっかく、やめてるんやから、退院してからも吸っちゃいけんよ」
そう言いながら部屋に入ってきた担当の看護婦さん。
その看護婦さんは俺の近所の人だった、時々顔は見て知っていたけど、ひと回り以上は年上(たぶん)なので、話をしたのは入院してからがはじめてだった。
そして、その看護婦さんから、ついでにとても嬉しい報告がありました。
「もうだいぶ良くなってるから、そろそろ退院してもいいって、先生からのお墨付きが出ましたよ」
「そうですか~、良かった、ありがとうございます」
かれこれ一ヶ月近くの入院生活も、そろそろというか、いや、もうかなりの嫌気がさしていた頃なので、退院許可はすごく嬉しかった。
去年のクリスマスイブの前々日、達美にふられてからというものは、もうほとんど惰性の毎日を過ごしていた。
何をやっても身が入らず、とりあえず会社には行き、とりあえず目の前の仕事をこなしているという、そんな毎日だった。
特に週末になると、それまでは毎週のように達美と一緒に過ごしていたから、それがないということで、生きる張り合い、頑張れる張り合いがなくなって、もう何をやる元気もなくなって、いつも家でごろごろと過ごしていた。
そんなときの突然の入院ということだった。
そして、その入院生活も、もうじき終わろうとしいた時だった。
俺は病室のベットでいつものように、何気にラジオを聴いていた、何気に聴いていたはずなのに、ラジオから流れてくるパーソナリティが話しだした告知になぜか思わず聞き耳をたてていた。
そして、その告知が、その後の私の人生を左右する、あることに繋がっていった。
(人生の転機)
《こんど、このラジオ局とクラウンレコードが共催で「スター発掘オーディション」を開催します、参加希望の人は履歴書、本人の全身写真と上半身の写真を同封してこのラジオ局まで送ってください、一次書類審査合格の人には二次審査の連絡をさせていただきます》
そんなラジオの告知を聴きながらふと思った。
(そうなんか~、オーディションか~、受けてみようかな~、歌には自信あるしな~、もし受かって歌手デビューできたら、俺をふった達美にも鼻を明かす事ができるし、受けてみようかな~)
そんな姑息なことなんかを考えたりもした。
でもそれよりも、オーディションを受けてみようと思ったのは、今までの自分を変えてみたい、どちらかというと、新しい事なんかにチャレンジするとかには、ほとんど消極的だった今までの自分を、この退院を期に変えたいということの方がむしろ大きかったと思う。
退院してからの行動は自分でもびっくりするくらい素早かった、すぐに、履歴書と応募書類を発送した。
迷っていたら、結局きっと今までのように、やっぱり無理、やめておこうとなってしまいそうだったから、すぐに送った。
それから数日してオーディションの受験票が送ってきた。
なのに、それからもまた、オーディションに行くか行かないか、やっぱり迷ってしまっていた。
だけど、このままだったら今までの自分と何ら変わらない、そう思い、入院中に考えた(自分改造計画)を遂行してみようと決心した。
(オーディションを受ける)
「120番から125番までの人、部屋に入って下さい」
係員の女性が急いで入るように、そんな感じで催促している。
俺はこのオーディション会場に来た時にびっくりした、ほんとにこんなに多くの人が一次審査を通ったのか?
実は選考書類を送った人、全員が通ってるんじゃないだろうか?
そう思ってしまうくらい面接選考会場の前には人集りができていました。
今朝、家を出たのは朝の5時半、三月始め、まだ薄暗い中、バスと汽車を乗り継いで新下関駅までやって来て、それから新幹線で博多に、そして、オーディション会場に着いた時はすでに昼前になっていた。
午後12時からオーディション開始、自分に渡された受験番号は125番、近くの大衆食堂で昼飯を食べてから、順番を待っていた。
朝からの緊張で、ちょっと疲れたけど、その緊張も緩んで、待ちくたびれた頃、やっと呼ばれた。
「120番から125番までの人は部屋に入って下さい、そして、順番に受験番号と名前を言ってから、審査員の質問に答えて下さい」
係の女性のこの言葉で、また一気に緊張感が襲ってきた、心臓がバクバクするのが自分でも分かるくらい。
(大丈夫、俺は絶対に受かる、だって、俺は農協主催ののど自慢大会で二年連続優勝してるんやから、大丈夫、絶対に受かる)
「125番、亀田和利、19歳です、よろしくお願いします。」
実はこのオーディションには年齢制限があり、歌手志望の場合は20歳未満。
俺はその時、実は21歳、一歳半ほどサバを読んで履歴書に書いて応募していた。
「はい、では、125番の方、何の曲でもいいのでアカペラで歌ってもらえますか?」
審査員の突然の振りに、ちょっと戸惑いながらも、これくらいでビビったりしないよ、って、そんな素振りで、(本当は、突然のリクエストだったので緊張する暇もなかった)山本譲二さんのみちのくひとり旅を歌った。
この曲は地元の農協主催ののど自慢大会に初めて出た時に歌って優勝した曲だった。
そして、、歌い始めてまもなく、
「はい、ありがとうございます、結構です」
審査員の突然のストップ。
上手く歌えてたはずだし、この後のサビのところの節回しとビブラートが俺の一番の腕の見せどころ、聞かせどころ、なのに、突然のストップ。
(うそっ、なんで、ストップ? ダメだったのか?)
「125番の人、君は笑顔がいいね、背も高いし、歌もまあまあだしね」
審査員の一人が俺に声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
(おお、ええ感じやん、こりゃ~受かるかもしれん)
その審査員は、俺が子供の頃に、テレビの映画番組で見た九州の炭鉱を舞台にした映画に出演していた、確か、大宮貫一とかいう俳優さんだったと思う。
「君は仮に歌手でだめでも俳優っていう線もあるね」
「ありがとうございます」
(おお、こりゃ~ええやん、受かるかもしれん、でも、俳優っていう線よりも、俺はやっぱり歌手でやりたい)
もう受かった気になって、そんなことを思ったりしていた。
「はい、以上で120番から125番の方のオーディションは終了です。後日、合格の方には通知を送ります。二週間くらい待っても通知が届かない方は不合格となります、合格の方は通知が届き次第、こちらにご連絡を下さい、それではお疲れ様でした」
相変わらず機械的な喋り方の係の女性、「オーディションが済んだ人はとっとと帰って下さい」そう言ってるように聞こえた。
(うそ、もうこんなに暗うなっちょるやん)
オーディション会場を出た時、辺りはすっかり暗くなっていて、福岡天神の街はネオンの灯りが散りばめられ、田舎もんの俺には、なんだかちょっと怖いような、そんなことを考えながらバス停まで行き、通勤の帰路のバス待ちの人の多さに圧倒され、今までの疲れが一気に蘇って来た。
(人生の決断)
「父ちゃん、俺、歌手になろうかと思うんやけど」
突然の俺の言葉に、親父は一瞬何が起きたのか、「はっ?」正に、「はっ?」て感じの目で振り返った。
「おう?、、、なんてや?、、、なんになるってや?」
親父は俺の口から歌手になるなんて言葉が発せられることなど思ってもいないから、また和利がいつものように気まぐれの思いつきを言い出してる、と思っていた、それが歌手とは思いもせず。
「おう?、、、なんてや?」
親父はもう一度聞き返してきた。
オーディションを受けてから、数日がたった頃、いつものように朝一で、郵便受けを覗いたら一通の封筒が入っていた。
(おーーー。やったやん、通知が来てるやん、待て、待て、通知が来てるということは、合格のはずやけど、いや、いや、もしかしたら合格の通知じゃないかもしれん、喜ぶのはまだ早い)
実はオーディションを受けてから毎日のように朝一で郵便受けを確認していた。
自分が一番最初に確認したくて、というより、他の家族には内緒で受けてたオーディションだったので、タレント養成事務所からの封筒は家族には見られたくない、そんな感じになっていた。
でも、そもそも、不合格だったら通知はないと言っていたのに、オーディションの後は毎日、毎朝、郵便受けを確認するのが習慣になっていた。
他の郵便物が郵便受けに入っていても、それは知らんぷり、けっして回収したりはしない、それは、郵便受けを毎日のように確認してる事自体が内緒だったから。
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亀田和利様
おめでとうございます。
貴方は弊社のタレント養成所、福岡校の第一期生(歌手部門)として合格されました。
つきましては記載の電話番号までご連絡をいただけたらと思います、今後の詳細をお伝えいたします。
よろしくお願いいたします。
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(しっかりと合格と書いてある、間違いない、俺は合格したんだ、嬉しい、いいや違う、なんか違う、嬉しいはずなのになんか不安のほうが大きい)
そんな複雑な気持ちだ、でも、せっかくのチャンスなんだから、これで俺の人生を大きく変える、自分自身にそう言い聞かせた。
合格通知を見た時、すぐに親父の顔も浮かんできて、一人で迷ってる前に親父に相談することにしたのだった。
「父ちゃん、俺、歌手になろうかと思うんやけど」
親父にもう一度、今度ははっきりと分かるように言った。
「はあ?なんてや?歌手になるって?、、」
「うん」
「なしてまた、急に、歌手になるって、どうしたほか~?」
「うん、あんね、俺、オーディション受けちょったんよ、それで今日、合格通知が届いちょったんよ、それで、またとないチャンスやから、挑戦してみようかと思うちょるんよ」
「はあ?合格したって?、、お前、それですぐに歌手になれるほか?」
「うん、一応、その事務所に電話して聞いてみたら、一年くらいはレッスンに通わんといけんみたいやけど」
「一年レッスンに通うって、そりゃあ、お前、無理やろう、仕事はどうするほか?」
「仕事は辞めて、博多に行かんといけん」
「仕事を辞めて行って、生活費はどねえするほか」
「うん、それはまだ考えてない」
そりゃ、そうです、合格通知を見て親父にすぐに相談したので、そこまでは考えていなかった。
「一年間って、いうても、レッスンは週3日くらいで、そのレッスン期間にレコード会社のオーディションを受けて合格になればレッスン中でもデビューはできるみたいやし」
「デビューできるみたいやし、って、言うても、お前、売れる保証はないんやから、生活費と住む所をはっきりせんといけんやろう、やし、お前が歌手になっても売れるわきゃないし」
親父は、いつになく真剣な顔で俺のほうを見てきた。
そりゃあ、そうです、息子が急に歌手になるとか言いだしたんだから、父親としては真剣になるのは当然です。
「いや、俺は売れる自信がある」
何の根拠もなく、何となく俺なら売れる、その時は不思議とそう思った。
(もう一つの決断)
「亀ちゃん、おはよう、あれから考えてくれた」
「あ、植田さん、おはようございます」
いつも週二のペースで、朝一に訪問しているガソリンスタンドに着いた時、大成眼鏡の植田さんが声をかけてきた。
植田さんはいつも爽やかで、朝一で、まだ寝ぼけ眼の俺にはとても眩しく見えた。
「あ、すいません、もう少し待ってもらえますか?」
「ええよ、いつでも、亀ちゃんの気持ちが固まったら教えて、ずっと待っちょるからね」
なんて、いい人なんだ植田さんは、イケメンで爽やかで、そして優しい。
こんな人の下で働くことになったら、そりゃええやろうな~、歌手になっても食べていける保証もないし、そろそろ決断せんといけんよな。
タレント養成事務所への返信期限も数日後に迫っている、確か三月末までに返事をするようにと合格通知に書いてあった。
それから数日悩んで、結論を出した。
「あ、すいません、そちらのオーディションを受けて合格通知をもらっていた亀田和利といいます、いろいろと悩んだんですが、今回はそちらでお世話になるのを諦めることにしました」
「え?、、亀田さん、もったいない、君の才能なら直ぐにでもデビューできると思うし、諦めるのはもったいない」
そう、言ってもらえるかもしれんと、少しは淡い期待もしていた。
「はい、125番の亀田和利さんですね、分かりました」
(あれ?、、、なんだ?、、、このあっさりした感じは?、、、もっと、いや、せめて少しは引き止められるかと思ったけど、もし引き止められたら、また迷ってしまうかもしれん、とか思っていたのに、なんだ、このあっさりとした返答は)
そして、結局、なんだかんだあったけど、俺は大成眼鏡にお世話になることにした。
『第二章』
(転職、七転八倒)
「おはようございます、今日からお世話になる亀田和利です、よろしくお願いいたします」
大成眼鏡に入社初日、やっぱり緊張してたのか、いつもより一時間早くに目が覚めた、というか、ほとんど眠れてない、数時間置きに目が覚めて、気がついたらもう5時になっていた。
始業は9時だと聞いていた、やっぱり出社初日だし、早めに出社したほうがいいと思ったので、8時半までには会社に着くように家を出た。
「おはよう、亀ちゃん、今日からやったね、もうちょっと早く出社したほうがええかもね」
植田さんはいつものガソリンスタンドの時の爽やかな顔とは違って、眉間にシワを寄せ厳しい表情で言ってきた。
「あ、すいません、9時が始業って聞いていたので」
はい、すいません、明日からはもっと早く出社します、と、言っておけばいいものを、9時から始業だから、8時半なら大丈夫かと思って、みたいな気持ちで言い返してしまった。
「まあね、8時半ならOKなんやけど、先輩たちはもう来て今日の営業の準備をして、9時には営業に出ていくからね、9時始業っていうのは9時には営業に出るっていうことなんよね」
「そうなんですね、すいません、明日からはもう少し早く出社します」
そういえば、すでに何台かの営業車は出て行ってるみたい、駐車場に空きがある、でも、なんかおかしい、確か営業車は10台くらいあると聞いてたけど、営業車用のスペースは3台分くらいしかない。
「植田さん、あのう、確か営業車は10台くらいあるって聞いていたんですけど、、」
「ああ、あるよ、10台、その内7台はフランチャイズの人の車で、社員の営業車は3台なんよね」
「フランチャイズ、って、なんですか?」
「ああ、言ってなかったかね、フランチャイズ契約の人たちは、大成眼鏡からフレームとレンズを仕入れて、自営でやってる人たちなんよ」
「そうなんですね」
「社員は亀ちゃんが4人目なんよね、今から増やしていって一年後くらいには10人する予定なんよね」
「そうなんですね」
「亀ちゃん、社長にはこの前の面接で会っちょるけど、専務にはまだ会った事ないよね」
「はい、専務さんには、まだ」
「専務はもうすぐ来ると思うから、紹介するから事務所で待ちょって」
「はい」
確か、以前に植田さんから聞いた話では、社長、専務、そして部長の植田さんの3人が大成眼鏡を起ち上げたとか言ってた。
社長と植田さんは起ち上げ以前は他のメガネ屋で訪問販売をしていて、起ち上げの時に他業種で働いていた専務を誘って3人で起業したとか。
「専務、今日から入社する亀田君」
事務所で植田さんからメガネの外販のことについていろいろと聞いてた時、専務が出社して来た、一瞬、誰だろうと思っていたら、植田さんがいきなり俺を紹介し始めたので、その人が専務なんだと認識した。
慌てて椅子から立ち上がり、すぐに自己紹介を始めた。
「専務さん、おはようございます、今日からお世話になる亀田和利です、よろしくお願いいたします」
「ああ、君が亀田君?植田部長から話は聞いています、こちらこそよろしくお願いします、ああ、あと、専務さんじゃなく、専務でええから、さ
んはいらんから」
「はい、すいません」
金縁のふちなしメガネをキラリと光らせ、ちょっと気難しそうな顔の専務さん、いや、専務です。