突然の新潟訪問から
あっという間に2週間が経ってしまいました。

実は

今回新潟に急遽訪れることになったのは
大好きなお友達の訃報を受けて
のことでした。

新潟で出逢った大好きなお友達の話をさせて下さい。
少し年上のお姉さん、直子さん。

彼女との出逢いは 2001年。
私がFM新潟に入社した年でした。

「月刊にいがた」に
当時毎月1ページ、FM新潟のページがあって。
そのページの担当で、お世話になったのが出逢いでした。

SOUND SPLASHはもちろん
私は冬のシーズンプログラム「Groovin’ Snow Jam 」でもお世話になりました。
夏の「SUMMER BRAVO!!」でもそうだったかな。
その頃にはプライベートでも仲良くなっていて。


中越大震災のその瞬間
巻の温浴施設で一緒にいたのも彼女でしたし、
私が新潟離れてからも何年も一緒に年越ししてたのも彼女でした。





沖縄に旅行に行ったり









浴衣を着て長岡花火を観に行ったり



県内も色んなところに
車で連れて行ってもらったり

本当に楽しい想い出ばかり。

今回訃報を受けて
いろんな想いが巡ったけれど

中でも
残されたご家族(特に息子さん達)に
何かできることはないかなと思った時に
私の知っている
可愛いママを
いつでも逢える状態で残してあげたい!という想いが強く浮かんできて。

そこからお通夜までの数日間、息子を寝かせてからできる限りの写真を掘り起こし
現像し、アルバムを作りました。

そしたら
たくさんたくさん楽しかった時間が蘇ってきて。




結局間に合わなくて、
そのまま新幹線に駆け乗り。

新幹線車内とホテルでようやく仕上げ。
旦那さまに無事 渡すことが出来ました。


ご家族にその時々のことを
紹介するようにコメントを添えていたはずが
最後には
彼女へのラブレターになっていました。

もしかして 翌日も
最後のお見送りまでできるなら
それでも大丈夫なようにしていましたが

翌日はご家族で、とのことでしたので
どうしようかな 
新潟にひとりでいたら
泣いて泣いて
泣いてしまいそうだな と想った時に
彼女の声が聴こえた様な気がしました。

「バンー。
 せっかくだから
 色んな人に会って行きなー。」  



そして 既述の
怒涛の再会、新たな出逢い。

彼女が引き合わせてくれました。

連日の寝不足と
前夜も泣き腫らした顔でしたが

限られた時間で 逢えたみなさんや
SNSなどでメッセージや❤︎などを下さったみなさんから
また元気を頂き。
やっぱり新潟大好きだな と思って。

横浜への帰路についたのでした。

去年の最後の
YouTube「ちょいスキ☺︎」のエンディングで
前述の棚橋和博さんの話から

"ふと思い浮かんだら
 迷惑かもと思っても
 逢えなくても
 電話しておくべきだよね"

って話をしていたのに。

できてなかった。
できてなかったんです、直ちゃんに。


正直、まだ信じられなかったり

たくさんの想い出
彼女がいない現実
家族を残して逝かなくてはならなかった彼女の気持ち

を想うと

まだまだ涙が溢れて止まりませんが。

最期まで頑張った彼女に
心から おつかれさまの気持ちと
楽しかった出逢いに
感謝の気持ちでいっぱいです。


ありがとう、直ちゃん。

ずっとずっと大好きだよ。







そんなわけで
今回逢えなかったみなさま
申し訳ありません。
またの機会に
どうぞよろしくお願いします。