タイ中部のチャオプラヤー河流域は幾度となく川の氾濫に依って浸水を繰り返してきたと聞きました。そこで、時間のたっぷりある私は見にいってみました。

 上写真はアユタヤ県所有(実際に訪れた地域ではありません)
 

古くから繰り返される川の氾濫による床上浸水で苦しまされた地域の方々の家々は、盛土して土台を作ったり高床式に作られた家々がある事は知ったので、それをちょこっとだけ歩いて見て来ました。

 

アユタヤ遺跡からも僅か数キロでアントン県に入る。アユタヤもアントンも昔から河の氾濫で苦しんで来た(タイ中部の平原はそんな歴史があるみたい。)らしいです。

 

で、アユタヤに首都(1350年~1767年)があった16世紀以降には既に治水工事が行われていたみたいです。1956年以降にチ ャオ プラヤ川の上流域にダムが建設されてからは随分良くはなったらしい。

 

最近で大きなものは「タイでは、2011年7月から3か月以上続いた大洪水で、446人が死亡し、230万人が影響を受けたとされています。グーグル先生談」

 

私が見てきた地区への道は、タイのあちこちで見る盛土して嵩上げされた道路を走ってゆく。

田畑の位置がいわゆるグランドで、一旦川が氾濫するとほぼ水没してしまう。道路は五メートル位は盛土してあるだろうか。こんな道路があちこちに走っています。
チャオプラヤー河からの支流には、魚を獲る仕掛けがいくつもあって、現役で利用されているみたい。網がついていて何時でも投入可能って感じでした。
日本にも観光漁みたいなのを残している地域をテレビで見たように記憶している。
 
チャオプラヤー川の様子。
 
浚渫して運ぶ船がゆっくりと進みます。
過去に浸水した地域とチャオプラヤー川を隔てる為に高く盛土して防波堤にしたコンクリート舗装された道から見ています。
盛土してコンクリートを打って道路兼防波堤になっていますが、やはり高さは五メートル以上はある様に見えます。
家屋が所狭しと並ぶ地域ですが、地上一階部分は寝室などは作らず駐車場や寛ぎのスペースだったりします。
こちらには、ニワトリが沢山いました。
柱がコンクリート製に交換されています。地表が如何にも浸水で被害を受けたんだと判る。氾濫によってヘドロが運ばれて長期間排水し切れなかったと聞きます。後に乾燥してひび割れています。
部分的には木のままの箇所もあります。二階の床下迄濡れた形跡がある家もありました。
木を切ってコンクリートに交換するには大変な手間や費用が掛かったことでしょうね。大変だったと思います。
 
道路から見た住宅街です。高低差がお判り頂けますか?
もう、大きな氾濫は無いことを祈るばかりです。
 
最後までありがとうございました。