大英帝国はインドを統治するために、英国的栄光を見せびらかすことによって神性を保っていたが、実は英国の方も、インドの文化に惹かれていた。
整った口ひげを生やすことはインドの文化で、英国陸軍は我先にこの口ひげを真似したという。
彼らにはインドの女性も魅力的に映っていた。本国の女性は地味なドレスを着て何か冴えなかったが、インドの女性はまあ派手だ、パンジャビもそうだしメイクも欠かせない。
結果、性行為に走り、この間から生まれた子孫を「アングロ・インディアン」という。マザー・テレサでよく知られるインドのカトリックは彼らが関係していることも多い。
クイーン・ヴィクトリアの時代に入り、このような「同化」の路線に本国では反感が芽生え始める。英国の植民地支配というのは、独善で欲望に満ち満ちていたが、
同時に使命感と勇気を持って動いていた。欧州で見れば英国は小さなの島国で、自分たちが世界の「絶滅危惧種」であるという危機感があったからだ。
ここからインドの支配は苛烈さを増していき、シンガポールではそもそも現地民と関わらない方針がとられた。
また違う方向では、人がいない土地へ移住もされた、それがカナダだ。もっとも原住民が少数ながらも存在しており、彼らは追い出されることになってしまうのだが・・・
さらに、ケベックではフランス系カナダ人が定住しており、今もイギリス系カナダ人とたびたび問題を起こしている。
植民地支配に上流階級が通った道は、実はケニヤだ。今アフリカで開発支援というと、寄付なり募金なりで解決するだろうが、この時代はそんな生っちょろいものでは駄目だ。
上流階級のような裕福層が、全財産投げ打って投資をする必要があった。全財産投げ込むのだから自ら移住せざる負えない。
そこまでして大英帝国を担おうという(なんというかここまでするのがまだピンとこないが)使命感があったのだろう。
彼らは昼はライオンを狩りして楽しみつつ、一方では開発に投資をする。「偉大な寄生虫」であった。
3C政策の一環として、鉄道も建設される「ウガンダ鉄道」だ。労働力にはインドの苦力3万2000人が用いられた。植民地開発に別の植民地の人間を使ったのである。
猛暑、マラニア、ツァボの人食いライオン、これらによって亡くなった作業員は2500人に及ぶ。
もちろん彼らはウガンダ鉄道が完成された後も送還されることはなく、現地民として定住することになった。
しかし、ケニヤ独立のときに邪魔となった。ケニヤのインド人は植民地支配の象徴であったからだ。
KANUによって彼らは強制送還、向かった先は英国本国であった。まだサッチャー政権じゃなくてよかったというところか、だからサッチャーが出てきたとも言えるが
彼らはレスターに移住した、レスターの人口30%はインド人だ。仕事もあり、大学へも問題なく通えているらしい。
