フラメンコの巨匠、グラシアス小林。

昨年の暮も差し迫った12月30日に、神保町のお稽古場で初めてお会いし、僅かな時間でしたがお話を伺い、おまけに公演のdvdまで戴き、とても光栄でした。

3月の最終日に、グラシアスさんの茶話会がありました。

彼の50数年に渡る貴重な経歴や体験談に、ヴァイオリンの生演奏がついた静かな会でした。

どんなことをお話しされるか興味津々でしたが、中心はジプシーについてのお話でした。

放浪の民ジプシー。

彼らは昔から厳しい差別にさらされて生きてきたのです。

その彼らの音楽こそ、フラメンコだったのです。

中でも印象的だったのは、朗読されたジプシーの少女の詩でした。ジプシーは文字をもっていないのだそうです。その彼女が差別され人間として認められずに生きなければならなかった胸の内を謳った詩。心を打つ言葉に、胸が痛くなりました。

あのフラメンコのリズムに歌声に、彼らの魂の叫びがあるのです。

グラシアスさんは、これまでの長い体験から、フラメンコを通してジプシーの心に触れ、その言い知れぬ思いを自らの心と体に染み込ませ、ダンスを作るのではなく、そこにあるものをダンスとして表現していると言います。

その時大切なのは、愛と謙虚さであると語っています。

ああ、思いもよらぬ話に、グラシアスさんのフラメンコに対する思いや、生きることの素晴らしさ、思いやり優しい心などか伝わってしました。

力ある者だけが優遇され、幸福になれる世の中。特に現代は、デジタル化やAIなど、人と人との触れ合いが蔑ろにされており、それを危惧することも憚られます。

世の中がどんなに豊かに便利になろうが、その片隅にしか生きられない人々かいます。貧しき者たち、力なき者たち、生まれたこと事態が疎まれ、強いたげられる者たち、そんな弱き者たちに目を向けずして、どんな未来があるというのでしょうか。

誰もが同じ人間である、そう認め合わずして、真の幸福が、平和がどこにあるというのでしょうか。

思いがけないジプシーの話に、心揺さぶられ、深く考えさせられた、今回の茶話会。

ようやく開いた桜に人々は喜び騒いでます。

真の人としての喜びとはなにか、

初夏を彷彿とさせる春の昼下がりに、深く考えさせられる、貴重なお話でした。

改めて、秘めた情熱のフラメンコに触れたいと、思いました。

グラシアスさん、有り難う❤️❤️❤️