ダンスが好きで、これまでに多くの作品に触れてきた。敬愛するダンサーも沢山いる。その中で最も魅力的で陶酔してしまうダンサーが、勅使川原三郎である。

今回、だいぶご無沙汰していた彼の公演に足を運んだ。会場は池袋の東京芸術劇場のブレイハウス、かつての中劇場。

台風の影響で、突然強い雨が降る中、初めて駅から劇場まで地下で繋がっていることを知った。何度も何度も来てるというのに、なんと言うことか。

劇場名物?のエスカレーターで二階へ。登るにつれて、期待で胸が一杯になってきた。



この作品では、ランボーの詩をダンスにするのでなく、「ランボーという一人の人間が、発した知性と混乱が輝く音声による楽曲やノイズに定着したり反射する振動のダンスを目指した」という。
これをもとに、彼特有のダンスが次々と展開する。
舞台上にはまっしろで背の高い何重もの衝立が立ち、開いたり閉じたりし、ダンサーはその間から出たり入ったり。
まるで詩集のページをめくるようだ。
ビートの効いた激しいリズムが鳴り響いた、と、次はバッハのマダイ受難曲の荘厳な調べに包まれる、突然、強烈な不協和音が炸裂。舞台上の四人のダンサーから生まれる動きは、時には早く大きく、時には緩やかに繊細に、調和と破壊、静と動、明と暗を繰り返す。その、流れの中で、様々な思いが浮かんでは消えていく。そこに、時代の反逆者ランボー自身の姿が見え隠れするようだ。
しばらく、私は彼の声に、呼吸に、足音に耳を傾けた。

ダンスの持つ無限性・・・、常にダンスに触れる度に思うことだ。
それに刺激されて、創造力が大きく膨らんでくる。
その瞬間が何とも言えず心地よい。そして、自らの発想が次々と浮かび広がり、創作意欲が激しく刺激される。
それが強く大きく、更に深く感じられる作品が、ダンスが、そしてダンサーが、私は好きなのだろう。
勅使川原三郎の身体の動きは、縦横無尽、及びも付かない多種多様な動きに満ちている。次から次へと途切れることなく生み出される動きの、なんて魅力的なことだろうか。
音楽やリズム、様々な思考や事情に束縛されることなく、自然に身を任せて動くこと、それこそが創作というものだ。
良いものを観たあとに感じる、心地よい解放感。
いつまた、味わえるか、待ち遠しい。