令和5年(2023)5月、ようやくコロナが終息(?)、窮屈な日常から開放された。まだ多分に不安は残るが、まずは一息。

早速、嬉しい芝居の情報が入り、急いで紀伊國屋ホールに駆けつけた。

青年座による水上勉の『金閣炎上』だ。昭和25年に起きた金閣寺消失という大事件が題材の名作小説の、作者自身による舞台作品である。

原因が、同寺院の若手僧侶の放火という、ショッキングな事件であった。

これをもとに三島由紀夫が小説『金閣寺』を執筆、彼の代表作となった。


かつて私はこの小説の舞台作品を観た。

鳴り物入りの公演であり、学生時代三島の戯曲も学び、自らの創作の源としているので、どんなものか興味津々だった。

が、ああ、ただ原作をなぞっただけの薄っぺらな内容の愚作だった。

奇をてらった鼻に付く業とらしい見え見えの演出、美意識に欠ける説明台詞の羅列を、所々原作を読むことで誤魔化しているだけの不愉快なものだった。

一体何が言いたかったのか、いや、三島ブランドだけが欲しかったのか・・・

演出家の「どうだ、すごいだろう!あの

三島文学を理解してるんだぞ!」という言葉だけが響いた、作者不在、作品不在の図々しいものだった。

それに比べて、今回の公演は、何と充実したものだったか。

作品の感動とは別に、思わず涙ぐんでしまった。


作品では、金閣炎上を起こした若手僧侶に視点をあて、彼の生い立ちから事件にいたるまでが、水上勉自身の体験から、詳細な取材を元に描かれている。
生々しい事実と彼のフィクションが交差し、ひたすら金閣寺を焼かねばならなかったかという、青年僧侶の内面に潜む動機に迫っていく、見応えのある作品である。
それを、正当に訓練された役者たちによる演技と、周到に練られた演出によって表現された舞台に、言い知れぬ充実感を味わった。
だいぶご無沙汰していたが、若い時から
よく足を運んだ青年座。
ああ、やっぱりいいものに触れることはいいものだ。
コロナで悶々としていた霧が晴れたような、喜びと嬉しさが蘇ってきた。
勿論、芝居人の端くれとして、要らぬ意見はあるが、実に充実した舞台に、大満足の公演だった。