先日、浦和の埼玉会館で、心震えるダンス公演を観に行った。

それは、フランスの振付家マギー・マランの「MayB」

かつてジャズダンス公演で舞台監督をして以来の懐かしい劇場には、開場前から多くのダンスファンが集まっていた。



マギー・マランは、1970年代後半、ヌーヴェル・ダンスの旗手として、社会的政治的視点に立って、衝撃作を発表。
モーリス・ベジャールのバレエ団で活躍後、退団。1981年に20世紀のヨーロッパ演劇界に革新の波を起こしたサミュエル・ベケットの不条理劇を基に創作したのが、この作品である。



白い泥のようなもので全身を覆ったダンサーたち。年齢不詳、殆どがダンサーには似つかわしくない老人のようだ。彼らは目的地を見いだせずにさ迷っている。が、他者との存在に絶望せず必死に生き、最後はそれぞれが旅立っていく。
彼女がベケットの作品から気づいたのは、
「バレエの技術が多くの人々をダンスから遠ざけている」ということだったと言う。
若者も老人も、背格好の好い人も悪い人も、痩せた人も太った人も、ダンスはあらゆる年齢、身体、そして民族の表現であるはずである。つきつめれば、ハンデキャップを越えたところにあるダンスが存在する。
彼女がこうした思想の基に創作したのが、この「MayB」なのだ。


世の中すべて格好良さだけを求めている。
スマートで美しい人が持て囃されている。
縁の下で汗を流してカッコ悪い姿で生きてる人などに、目を向けない。
最近ふと思う。
「なぜ、見映えがよくなきゃならならないのか」
「なぜ、ポイント還元されなきゃならないのか」
「なぜ、リモートじゃなきゃならないのか」
そして、
「なぜ、ミュージカルは格好よくなきゃならないのか」(これは独り言)
価値ある創作は、多くのことを気づかせてくれる。
浦和まで足を運んだ甲斐があった。