金山明彦調教師(72歳)は、5月12日の第12競走をサクラヤマトで勝利し、通算1000勝を達成しました。
通算1000勝は、現役20人目、史上29人目。2000年4月の初出走以来、開業25年目、9590戦目での大台到達となりました。
重賞では、フジダイビクトリーで制した2015年度(16年3月)のばんえい記念など、これまで18勝を挙げています。

かつての岩見沢競馬場や旭川競馬場で、勝負服を身に纏いソリに乗る “ミスターばんえい” の姿を見たことも、一応はあります。
今ほどばんえい競馬に興味がなかったころなので、その御しぶりについて語ることはできないのですけど、馬券検討をしている段階において、出走表の中にある「金山」の文字が大きく見えたことは、おぼろげながらも記憶しています。(俺、馬券を買える年齢だったかな)
現在の中央競馬だと、カタカナで書かれた騎手名に目が引かれてしまう方も多いでしょうが、何しろ二十数年前ですから、それと似ているようで、少し違う感覚。あえて言えば、「岡部」に近かったかもしれません。

その騎手時代の数字を改めて見直しますと、1969年のデビューから1999年の引退までで、通算19712戦3299勝(切り良く3300勝にして引退するつもりだったのが、勝てると思っていた馬で勝ち損なって3299になった、と何かで見たような記憶があります)。
重賞88勝、当時の農林水産大臣賞典、すなわち現在のばんえい記念では過去最多の6勝を挙げており、1973年に22歳にして初めて就いたリーディングジョッキーの座は、合計18回獲得したとの記録が残っています。(ネット等で掻き集めた情報ゆえ、誤りがあった際にはご容赦ください)
引退当時に歴代トップだった通算勝利数を、のちに超えた騎手は現時点で四名(藤本匠、大河原和雄、藤野俊一、鈴木恵介)いますが、金山明彦の31年間で19712戦というのは、リーディング上位騎手だと年間1000戦以上となる現代からすると、少なく映りませんか。
当時は12月でシーズンが終了となることがほとんどでしたし、今よりも騎手が多いうえに、騎乗制限数も厳しかった(一日6回までだったとか)と聞いております。
年間で約150日開催があり、一日8回までソリに乗れる現代であれば、どれだけ勝ったのか……とは意味のない仮定ですが、生涯勝率16.74%とは、ちょっと信じ難い。
蛇足ですが、昨季終了時点での恵介は、20634戦3443勝で勝率16.69%となっています。

調教師に転身してからは、開業3年目の2002年11月に、当時あった2歳重賞のホクレン賞をサダエリコで勝利し、重賞初制覇。恵介の初重賞としても知られていますが、同馬は明け8歳で引退するまでに重賞13勝を挙げました。
その後、前述のようにフジダイビクトリーでばんえい記念を制しましたが、前任調教師の突然の引退によって転厩してきた馬で、翌季も重賞3勝したとはいえ、のちに他厩舎へと移りました。
思い入れという点では、サダエリコのほうが強いのではないかと勝手に想像しますが、自身が一から育てた馬で、また頂点に挑みたいという思いも持っていることでしょう。

現在の管理頭数はそれほど多くないため、近年は勝利数で言えばリーディング中位以下にとどまっていますが、勝率および連対率は高い水準をキープしており、馬券検討上では注目を要する厩舎となります。
最近の騎手起用は、1000勝達成のレースでも手綱を取っていた渡来と西将が主戦格ですが、若手の中村や今井を配してきた際も、狙い時となるかもしれません。

年齢的には調教師としても古参の部類に入ってきましたが、「金山」の名は重い。まだまだばんえいの大きな力となってくれるはずです。今後の活躍も期待しております。タカナミどこかで上がるんかなー


めっちゃ余談ですが。
1947年10月16日、旭川市の近文競馬場で、ばんえい競馬が公式競技として初めて行われたと伝わっています。
それゆえ私は、10月16日を「ばんえい競馬の日」と定めるべきではないかと、ひっそりと思っております(^^;

そんなことを一人で勝手に言っていたのですが……
金山先生が1951年10月16日生まれと知った時には、背筋がゾクリとしましたね。

10月16日に旭川でばんえい競馬が始まり、その四年後の10月16日に、旭川で金山明彦が生まれたのです。

良いネタ持ってるっしょ笑