もう3年以上前の話になる。
 全国の競馬場で感染症騒動による悲しき無観客開催が続く中で、再び観客を迎え入れる決断を最初にしたのは、ばんえい十勝・帯広競馬場だった。


 2020年7月11日、久々に競馬場に足を踏み入れた私が目にしたのは、マスクはもちろんのことニトリル手袋とフェイスシールドも着用したフロアスタッフ、感染防止対策を呼び掛けるプラカードを持つ警備員、券売機やイスを消毒液で拭いて回る清掃員の姿。ソーシャルディスタンスを確保するために各所に貼られたテープも、外部に頼んだのではなくスタッフの手によるものだろう。
 遊びに行くだけのこちらは、入口で検温と消毒、あとはマスク着用くらいのものだが、迎え入れる側にとっては仕事だし、ましてや帯広市が主催しているもの。開場するとなると、やはりそれなりの対策が必要となるご時世で、これはスタッフの皆様は大変だ……と思ったものだ。

 その翌週も、旭川記念が行われることもあり、私は本場へ足を運んだ。
 日曜日、スタンド一階の奥にある総合案内所へと向かう。

「余計なお節介だとは承知しているんですけど、よければ使ってください」

 そんなことを女性スタッフさんに言いながら、案内所の脇に段ボールを置いた。
 中身は、ニトリル手袋。
 需要が急増し、全世界的な品薄と価格高騰が叫ばれていた時期だが、私の勤め先では以前から日常的に扱っていたので、まだ安く入手できたものを各サイズ数箱持参して、お渡しさせていただいた。

 公営の興行なのだから、準備は十分に整えているはず。
 ニトリル手袋だって、足りなくなることはないほどのストックを抱えている、とはわかっている。
 でも、前週の様子を見て、何か協力したいと私は思ってしまったのだ。その気持ちを消化するための、言ってしまえば単なる自己満足だが、腐るようなものではないし、特段に迷惑になることもなかろう。

 対応していただいたスタッフさんは、驚いたような表情を見せた後に、丁重にお礼を言ってくださり、じゃあこれで、と思ったのだが。

「担当の職員を呼びますので、少しお待ちいただけますか?」

 そう言い、どこかへ内線電話をかけ始める。

 少し経つと、べつの女性スタッフさんが現れた。お見かけしたことは何度もある方。

「いま振興課の職員が参りますので、お待ちいただいてよろしいでしょうか? あ、お時間大丈夫ですか?」

 1レースのパドックすら始まっていなかったので、お時間はべつに問題ないのだが、渡して終わり、のつもりだったのに、意外と大ごとになってる? 逆にちょっと迷惑になってない?

 そう思いながらも所在なく待っていると、数分後にスタンドに隣接する開催本部の扉が開き、7月の暑い日でもジャケットをビシッと羽織った、見るからに要職にあるような年嵩の男性が近づいてくる。

「ばんえい振興課の○○と申します。こちら(案内所)から報告を受けまして、ご丁寧に恐れ入ります、ありがとうございます」

 渡された名刺には、[帯広市農政部 ばんえい振興課 課長]との肩書が記されていた。

「帯広にお住まいなんですか?」
「いえ、札幌からで、昨日から泊まりで来ています」

 まだステイホームという言葉が幅を利かせていたころ、多少の後ろめたさを感じながらも答えると、

「わざわざ遠くからお越しいただいたうえに、このようなお気遣いを、誠にありがとうございます」

 かえってこちらが恐縮するほど、じつに丁寧に頭を下げられてしまった。

「大変お待たせして申し訳なかったのですが、委員長(開催執務委員長。帯広市農政部参事)から預かってまいりました。今後とも、ばんえい競馬をよろしくお願いいたします」

 そう言いながら、中に何やら入っている、ばんえい十勝の文字がプリントされた紙袋を渡された。

「お名前とご連絡先をお聞きしてもよろしいですか?」

 特に問題ないので、本名と電話番号を告げ、三名が深々と礼をする姿を背に、ようやくその場を離れる。

 サラッと渡して終わりのつもりが予想外に丁寧な対応をされて、かえって汗かいたわ、と苦笑気味に紙袋を置きに一旦駐車場に戻る。

 そこで中を見てみると、2018年に発売された太田宏昭氏のばん馬写真集。
 そして、桐の箱に入った黄金色のタンブラー。底面には、「第52回ばんえい記念」との文字が刻まれていた。
 四ヵ月前に無観客で行われた大一番。本来は来場者プレゼントとして用意したものだったのだろうか。




 ばんえい十勝は、ほかの主催者と比べて、ファンへの還元キャンペーンが多い印象がある。
 本場でお茶やお菓子を配ったり、抽選会を行うだけではなく、Web上での企画も多い。私も当選して景品をいただいたことが、何度もある。

 ただ、そういったものには、これだけ還元しまっせー、ファンのこと考えてまっせー、といった、ちょっとしたスタンドプレー的なアピールも含まれていると思う。
 べつに、それが悪いというわけではもちろんなく、ファンサービスとは本来そういった意味を持つものでもあると思うので、これからも続けていってほしいし、続けるべきだ。

 だが、今回の件は、誰にも見えないところで行われたこと。
 だから、素晴らしいんだよね。

 周りからの見た目や損得勘定ではなく、しっかりとファンに対応する姿勢の表れと、私は受け取りました。
 当時ブログに書くのは、少し違うと思ったので、あえて取り上げませんでしたけど、私の心に強く残ったものでありました。

もう書いてもいいかなと思ったので、ここで世に出す(^^;