今井千尋騎手(23歳、今井茂雅厩舎所属)は、11月6日の第8競走をホクセイサクランボで勝利し、通算100勝を達成しました。
昨年12月10日のデビューから、332日目、773戦目での100勝達成は、金田利貴騎手の395日目(※970戦目)、島津新騎手の855戦目(※442日目)をともに更新する、帯広単独開催後の最速記録。
また、兵庫の佐々木世麗騎手(396日、870戦)が持つ記録を更新し、日本競馬における女性騎手歴代最速の通算100勝ともなりました。

帯広単独開催後、と注釈を加えましたが、四市開催時代には資料が残っていない時期も含むためであり、過去には上回る記録があった、という意味ではありません。開催日数が少なく騎手が多い時代に、これ以上の数字を残した騎手がいたとはとても考えられず、公式競技となってから七十余年の、ばんえい競馬史上最速記録と認定して差し支えないでしょう。
のみならず、平地競馬も含め、これまで約80人にも上る女性騎手の中で最速の100勝達成と、日本の競馬の歴史に名を刻む大記録です。

デビュー週を見た直後に、「これは相当に勝てるのではないか」と書きました(後出しじゃないよ笑)。
調教師の娘として生まれ、文字通り馬とともに育ってきた方がどれほどのものか、との興味も持っていました。
でも、ここまで勝つとは、誰が想像するでしょうか。
80勝を超えたくらいから史上最速を意識して見ていましたが、金田利貴の日数を更新するのは確実、どうせだったら島津新の855戦も超えてほしい、そうなれば佐々木世麗騎手の記録も上回る、と思っておりました。
べつに佐々木騎手と張り合うつもりはないのですが、NAR的には同じ女性騎手としてカテゴライズされているし、そのほうが大きな話題になると思ったもので。
決して楽なハードルではないとも思っていたのですが、その記録さえも大きく塗り変えてしまいました。とんでもない新人が現れたものです。

その今井千尋ですが、いつの頃からか御し方が以前とは明らかに変わりましたね。
どのレースだったかははっきり覚えていないのですが、夏場のある時に自宅でレースを見ていて、前と全然違うじゃん! と瞠目しました。
その後に本場へ行った際に、普段はスタンド2階から観戦する私が、今井千尋を見るためにコース近くまで下りましたもの。

以前は、勝利を重ねていたとはいえ、いかにも女の子、といった御し方でしたが、いまは全然違う。
障害は叩きながら上げていくし、下りてからも追ってアオって叩いてしゃくって、小さな体と手綱を目いっぱいに大きく使い、それでいて足元はビタッと決まっている。コウシュハハイジーで落橇しかけた時(昨年12月28日)とはまるで別人で、いつの間にこんなに変わったの、と驚嘆しましたね。もうこれだけでゼニが取れる。
平地競馬で「鞍ハマリが良い」という表現がありますが、それになぞらえるなら、橇ハマリが良い……いや、そんな言葉は聞いたことありませんけど、とにかく御し姿が格段に良くなったと感じます。
素人が何を偉そうに、と思われそうですが、誰も言わないのだから、素人が語るほかあるまい笑

上級条件戦での展開の駆け引きなどは経験が必要かもしれませんが、馬を御す、という点に関しては、年の離れた先輩騎手と比べても、なんら遜色ないと思います。まぁこれも素人見立てですが、そうでなければ、ここまで勝てないはずです。
今回の通算100勝は、日数はもとより、特筆すべきは所要レース数で、前記した他三者と比べて抜けて少ない。この新人としては驚異的な勝率こそが、技術の高さの裏打ちであると私は考えるのですがどうでしょう。

厩舎関係者と近しい方から聞いたエピソードを一つ。
ある調教師(騎手経験はない)が管理する、下級条件の4歳牝馬。デビュー戦から、ベテランと呼べる騎手がずっと手綱を取っていたが、約二年で49戦して、わずか1勝。
それが、今井千尋に手が替わった途端に、ポンポンと2連勝してしまった。
「あぁ、やっぱり『ちー』は何か違うんだな」と、その女性調教師は軽く衝撃を受けたそうな。
私は馬も騎手もわかったが、そこは伏せておきますか。


私は特段に、今井千尋を応援しているわけではない。
でもやっぱり、他の騎手に対してとは違う目で見てしまう。騎手になる以前の姿も知っているからというのが大きな理由だが、ばんえいファンなら、みんなそうかな。
騎手ではなくても、今井千尋は、ずっと前から、ばんえいにいた。

小学生が馬の行き先を案じる映像を見たことがある。グリーンチャンネルで放送されたドキュメンタリーも見た。パドックで馬を引く姿など何度見たことか。コースの奥で「ブーちゃーん!」(ブチオ)と叫んでいた。本場の常連客と「今井んトコの、いつ受かるんだい」と会話をした。
一年前のクインカップでは、黄色のヘルメットとジャンパー姿で、サクラヒメの口取りに加わっていたっけな。

あの嬢ちゃんが、まさか日本競馬の歴史を変えてしまうとはねぇ。
本当に、立派になったなぁ!
ただ外から眺めているだけなのに、思わず涙腺が緩む。

どこに出しても恥ずかしくない、ばんえい自慢の娘、でございます。

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以下は余談だが。

率直に言って、今回の記録の価値と、達成前の盛り上がりには、大きな落差があったと、やはり思う。
実際、ばんえいファンであっても、前日の日曜終了時点で、ばんえい史上最速の100勝にあと3勝と迫っていると認識していた方は、決して多くなかったはずだ。

今回の記録は、いきなり「達成しました」「更新しました」と、過去形で伝えればOK、というような軽いものではない。
現在進行形で達成に近づいていく過程から注目を集めたうえで、達成の瞬間を迎えるべき記録だったと思う。

ただそれにしては、ばんえい側のアピールが、あまりにもなさ過ぎた。

もっと取り上げなくていいんですか?
100勝してしまいますよ?
ばんえい史上最速ですよ?
日本の女性騎手の最速ですよ?
こんな新人、二度と現れませんよ?

不躾ながらも、少し前に本場へ行った際に、ばんえい十勝の広報担当者にご意見させていただいた。
「ありがとうございます」と、サラリと大人の対応をしていただいた。
きちんと数字を示して文章にまとめた紙でも手渡すべきだったか、という個人的反省はあるが、それで何か変わったものでもなかろう。

私が目にした限りでは、公式Xで「#あと6勝で100勝達成」と付けられたハッシュタグが、今回の記録に関する主催者側の唯一の事前アナウンス。もちろん「最速」の文字などない。
それも、今井千尋の誕生日を知らせるポスト内でのもので、そこに誕生日がなかったら、完全スルーだったということか。

本当に細かく厳密に言えば、一人の騎手ばかりにフォーカスを当てるのは、主催者の立場としては好ましくないのかもしれない。本来は、マスコミが取り上げるべき話題なのかもしれない。
ただ、中央じゃないんだから、それに期待できるはずもなく、ある程度は自らアピールしなければ始まらない。
ってか、だったら最初からポスターやCMに起用するなよ、という話である。
ちょっと前にデビューしたばかりの、当時は言うなれば半人前の騎手を、可愛い女の子で見栄えが良いからと、都合の良い時だけ特別扱いしておいて、騎手として真に特別な存在になろうかという時にスルーは筋が通らない。

それが、主催者はもとより、近くにいるはずのライターなども含めて、緘口令が出ているのかと思えるほどに、記録達成まで誰も何も取り上げなかった。
これが不思議で仕方ない。まったく腑に落ちない。

私は外から見ているだけの単なる一ファンだが、陰ながらばんえいの発展を願っているつもりだ。
かつてのホクショウマサルもそうだが、こういった記録は、主催者が望んだところで生まれるものではない。
それが、日本競馬の歴史に名を刻めるほどの不世出の大型新人が、中央競馬でも、他の地方競馬でもなく、ばんえい十勝に現れたのだ。
売上の成長鈍化も見込まれる中で、次の一手がほしいばんえいにとって、これ以上ないほどの話題。

これを僥倖って言うんだろうね。いやー、今井の娘のおかげだよ、ありがとありがと。他の主催者さん、ごめんなさいねぇ、ウチはこんな美味しいネタ持ってるんで、大いに使わせていただきますね~。
さぁこれで、ばんえい競馬の今井千尋、今井千尋のいるばんえい競馬が、どれだけ世に知れ渡るか、と心躍らせていた。
「ばんえいに凄い女の子いるんだね」なんて言われた日にゃあ、引かれるほど語りまくってやるぞ任せとけ、くらいに思っていたのに。

 

たくさんの人に見てもらえるような競馬になったらいいな。自分の力だけじゃどうにもならないけど、自分にできることは、頑張ってやろうと思っている

そう語る今井千尋が、頑張って頑張って、周りの協力も得て成し遂げた、これ以上のことは誰にもできない大記録。
だが、その歴史的勝利の瞬間を、さして大きな注目を集めることもなく、じつに淡々と迎えてしまった。
もっと多くの祝福と感謝があふれる瞬間であって、ほしかった。
なんと悲しく、悔しいことか。