正直、自分ってなんで生きているんだろうか?って思うことありません?
あ、希死念慮の方じゃないですよ。どんなメカニズムで「生きてる」って思うんだろうって。心臓が動いてたら?それとも脳が動いていたら?これ考え出すとキリがないですよね。
カリオストロの城なんて思い出したら、あれは「生きてる」ってことなのかなんて思いますよね。でも、無性生殖的に考えたらあれは生きているってことになる。いやむしろ、個体が「生きている」ってのもそもそも変な話で代謝とともにある時間帯の非自己に自己は塗り替えられていく。じゃあアイデンティティってなんだっけ?って話になる。寝ている間に世界が入れ替わっていることは誰も否定できない、そんなはななし。
ここで、自然科学らしくないと多分みんな批判を送ってくることだろう。だが、所詮物理学も近似でしかない。そもそも、数学で0が発見されてまだちょっとしかたって居ない。「進化」や「病気」の話をするとき、人の進化の遅さを指摘する学者はなぜ、僕たちの学問の変化の遅さも理解しないのだろうか。文化変容は早い。しかし、それを受け止める脳細胞の進化も遅いことについてはなぜか思考放棄される。所詮僕たちはまだ猿だし、旧石器時代で半パンで過ごしてたあの生活に慣れている体で、車に乗ったり服きたり変な恋愛をしたりしている。
僕らにできることは本当にまだちっぽけだ。だって、所詮「生物」なんだから。そして、この「生物」という概念も「人間」という特殊な「観測点」によってのみ定義される。虫から見たら鉱物の会話が聞こえているのかもしれない。だって、風化だって立派なダイナミクスだ。所詮生物も死ぬし、石だって砂になる。何が違うのか。もしかしたら、原核生物から見た僕たちの姿はそこら辺の岩と変わらないかもしれない。個別の死があるのだから。
唯一違うのは有性生殖によってまた新たな個体が生まれることかもしれない。だけど、それも疑問視されつつある。「それが正解か?」「子供を産みたがらない女性たち?」「おひとり様満喫?」僕たちは結局戻るのだろうか。いやそもそも意思から始まったわけではないかもしれないが、神話の中で僕たちは土塊から生まれた。そういうことかもしれない。その中で神に近く火を与えられた。誰も理解できない。しかし火は不浄の象徴。
日本神話では火によって夫婦の契りは裂かれた。そして息子殺しの話まで生まれた。タバコは息を吸い込みながら火をつける。回帰なのかもしれない。赤子の乳をねだる反芻運動と同時に火を入れる行為。とても宗教的だ。だから儀式で使われたそんなことだと思う。
なんの話だっけ?そうだ、僕たちは生きているのか。答えはない。いや、わからないのだ。なぜなら、明日の自分は本当に細胞がある程度入れ替わっている。「俺にはあいつの血が流れている。」そんなことない。その血も一ヶ月で入れ替わる。「あの人の孫だから」そんなことない。常に僕たちは変異にさらされて、体に起こった変異と独立して生殖細胞に起こった変異が子供に伝えられる。つまり、体が受け止めている変異と子供が受け止める変異は実は違うかもしれない。さて、君は一体どこに生きている。「心?」心って結局純粋な脳のシナプス形成だけなのだろうか。否。僕らはダメなところまで手を出し始めた。だけど、わからねばならない。臓器移植はヒント?
まあ、こんなに思想が巡ったのは久しぶりです。とりあえず、せっかく思ったことなので、何かに残さなきゃと思ったので、書いて居ますが、最終的に何が言いたいんだ?って話でしたね。
僕たちが、受け止めている世界は実は何秒後からしいんです。つまり、視覚情報を受け取って脳処理している間に実はかなり時間が経っている。だけど、触った瞬間と、視覚情報が一致してるじゃん??って。それ実は脳で処理しているだけらしいんです。つまり、僕たちが見ている世界よりも早く時は動いている可能性がある?
「僕たちは世界をちゃんと知覚できているのか。」
