12月に、ブログへのメッセージで二人の女性から話をしたいとお誘いを受けた。
一人は、統合失調症の娘を持ち、病気の波を見て良い時、悪い時、で安心したり不安になったりしていた。
70歳の精神科医が一人で町医者をやっているとことに、通院し続けていた。
70歳といえば、患者の急変には、対応できず、総合病院での精神科医の人数の総数の症例とはとても比較にならないくらい低い。
それを理由に、娘さんを総合病院に行かせ、いつ難時でも対応してもらえる安心感、症例の多さを説明して、長いあいだ時間をかけて転院して頂くよう話をした。
転院後は、安定している様子である。
またその娘さんは、働きたい意識が強くバイトを入れてしまったことに対して、否定的な意見を勝手な判断でしてしまった、やはり言い合いになったそうだ、理解していればいらない言葉。
娘さんと病院に行き、働くことを主治医に聞いたところ、娘さんにとっては良い答えをもらったようだ。
そして、親も安心してバイトに出せるという具合になった。
その後は、娘さんが言葉を荒くしても、病気だから仕方のないことだと認識して優しく答えることにより、娘さんの安心感を得ているようだ。
もう一人は、旦那さんに理解されず子供も大きくなったので、実家に戻っているという方。
その人は、昔は医師にかかっていたが今はかかっておらず、睡眠を取れないという。
うつ病である。
その場合、外に出歩くこともできず、夜にお酒を飲みおおよそ1時間程度の睡眠しか取れていなかった。
この実家も結構な複雑な家庭、とにかく睡眠をとってもらうには精神科に再度通うようにしてもらい、その手続きもご両親のどちらかにさせる必要性を考えた。
今の状態を聞くと、睡眠は取れているがパキシルが副作用として吐きげがある。
そして次回の、通院では母親の付き添いを求められたらしい、主治医は 「子供の頃の話を聞きたい」 から、らしい。
その時には、母にもしっかりとした認識を持ってその人に接して欲しいものだ。
先天的な病気は、親に愛情で抱きしめられたり、煙たがられたり多種多様だが。
後から心の病にかかった人は、何故か理解されず、愛情で抱きしめられない。
病人は、大抵が愛情を受けずに育って、他人への愛情は持っていて心から抱きしめる事が出来るのだが、他人からの愛情を知らない。
頼られることは知っていても、頼る方法がわからない、しかも、頼られている時に頼られているという認識はなく、無条件で相手を包み込む。
癒しという言葉は知っていて、癒すことは無意識下でしているが、自分が癒されるという 「癒し」 の意味がわからない。
全く不憫なものだ。
僕は、今現在も理解を得られずに、薬だけに頼り、同じ所を犬っころのように、ただただ、回り続けている。
人に会い、 「心配している」 と言われても、行動で分かってしまうから悲しさ100倍だ。
まだこれからも、同じ場所を回り続けるのだろうよ。