よりよく

よりよく

ブログのここを読まれているという事は初めまして、バンデルと申します。
このブログはタイトル通り「よりよく」生きるをテーマにしてます。
「よりよく」なる為にした事や見た事や気付いた事などを綴ってます。
人生は放っておいても過ぎていますが、それは嫌なのです。

まとまった時間がとれないので少しずつ本を読んでいます。



現在読書中→「解決のための面接技法」

ごみの集積所は思いの集積所

 

曜日違いのごみは思いの無い思い

そのごみに張られた手製の警告の付箋は青いまっすぐな思い

集積所に掲げられた野良猫の餌付けを禁じる張り札は倒錯した優しさへの社会の軋轢

 

私は

今日の自分のごみを出し

ただ

仕事に向かう

 

空は青い

AIの無かった時代を思い、

SNSの無かった時代を思い、

インターネットの無かった時代を思い、

テレビの無かった時代を思い、

ラジオの無かった時代を思い、

新聞の無かった時代を思う。

 

新聞の無かった時代のように、

AIの時代を生きたい。

「コロナの前に戻りたい」という思考はストレスを溜めやすい。

 

コロナに限った話ではありませんが、

過ぎたものは追わない。

 

だって、どうにもなんないから。

 

だったら「今」どうすれば楽しくなるかを考える。

だったら「今」何をしなければならないかを考える。

 

手を洗おう。

換気をしよう。

テレビを消そう。

音楽を聴こう。

本を読もう。

よく食べよう。

よく寝よう。

 

無駄に過ごしてる時間なんてない!

街中で

N95マスク(こういうの)つけて

目を血走らせて歩いている人を見た。

 

怖くてしかたないんでしょう。

 

でも新型コロナウイルスは空気感染しないので、

あの人のあのN95マスクは街中では意味ない。

 

私たち一般市民にとって

今回のコロナ禍でマスクが有用なのは

誰かに感染させないために用いる時。

 

まったくもぅ。

頭使えよ、頭。

トラウマってのがあります。

日本語では「心的外傷」と訳されます。

日本語は解りやすいですね。

心に受けた傷のことです。

 

時間軸に沿った話で言えば「過去」に受けた傷で「現在」苦しんでいるということになります。

 

よく言われるのは「過去は過ぎたことだから、もう手放しなさい」というセリフではないでしょうか。

 

そして、これを言われた方としたら「それができないから苦しんでるんでしょう!」となるのではないでしょうか。

 

言うは易し、行うは難し。

 

私が思うに、このアドバイスはそもそもの前提が違っています。

「トラウマを受けた過去」があった事を事実として「それを忘れなさい」というから無理が生じているように思います。

 

過去も、更に言えば現在も、単に夢を見ているだけで本来存在していないとしたら。

本当の「私」は別のどこかで眠っていると考えたらどうでしょう。

 

この観点でトラウマを眺めれば、過去に起きた「原因となるアクシデント」も夢なので存在しませんし、現在「悩んでいる私」も夢を見て、夢の中でもがいているだけとなります。

 

夢の中で「夢」を本物とする保証はどこ?

それは起きたあとに「夢だった」と思うことにあります。

ひるがえって、今のこの世界を本物とする保証はどこ?

 

さて、この世は本当なんでしょうか?

なんでみんなこんなにもこの世に信頼を置いているのでしょう?

ただ、本当だと思い込んでいるだけのこの世界で、どうして悩む必要がありますか?

 

そもそも、土台となるこの世界を疑うのも一つの手なんだと、私は強く思います。

 

いま幸せな人は結局「この世の物」や「この世の関係性」において幸せなだけだから「死」が怖いでしょう?

いま不幸せな人は「この世の物」や「この世の関係性」において不幸せなだけだから「死」が楽しみでしょう?

 

どっちも表裏一体のコインなんです。

そんなコインなんて存在しないのに。

 

さて、されじゃあ「本当の私」はどこ?

それは「ここではないどこか」でいいじゃないですか!

きっとそこはハッピーなとこなんでしょう。

 

そして大事なことは、ユングのいう「シンクロニシティー」とはなんだろうと丁寧に考えることにあると思います。