(元記事)
https://www.rescue.org/article/kathy-trans-american-journey-refugee-camp-public-office 

Nov 10, 2017 Photo: Kathy Tran for Delegate

 

(内容)

 

 

11月7日、ベトナム難民だったKathy Tranアジア系アメリカ人女性として初の代議員(バージニア州)に選出された。暴力と迫害から逃れて来た難民としての体験をもとに、彼女は代議員に出馬し、アメリカ在住の移民にとって心地良い文化を築こうとしている。

 

「私は80年代初頭、2才の時にベトナム難民としてアメリカに来ましたロサンゼルスIRC(国際救済委員会)が私達家族を受け入れてくれたのです」とTranは言っている。

 

彼女の母親はマレーシア難民キャンプで領事館の通訳として働いていたので、他国への亡命を申請していた。しかし、彼女の両親はずっとアメリカを念頭に置いていた。

 

「両親にとって、アメリカはずっと希望・チャンス・自由を体現する国だったのです。ですから、他の国へ行く選択肢もありましたが、両親はここへ来ることにしました。申請手続きが終わるまで13ヵ月以上かかりました」

 

 

他の難民と同じように、財布は空っぽでアメリカに来たが、将来への希望に溢れていた。「IRCの難民再定住化プログラムによる支援があることを知り、ここに辿り着くことが出来たのです」と彼女は言っている。こうしたチャンスを与えてくれたことに感謝し、他の移民や難民がアメリカで生活を築く手助けをすることでキャリアを築こうとした。ルター派移民難民サービスでインターンとして働き、エリザベス拘置所で英語を教え、移民や難民が潜在能力を発揮する手助けをしようと全国移民フォーラムで働いた。さらに彼女は、ボストンのIRCでもインターンとして働き、ベトナム難民やコソボのアルバニア難民が労働する準備となる英語習得、履歴書の書き方、模擬面接などを支援した。


「ベトナム難民として生きた私の経験、そして国外脱出と再定住という家族の体験によって、公共サービスに対する関心が形作られました。もちろんアメリカ中の様々な移民・難民コミュニティで働いた体験も役に立っています」と彼女は説明する。

 

Tranは結婚してバージニア州に住むことになった。アメリカ労働省で12年働いた地です。彼女は4人目の子供が生まれた後、代議員に立候補することを決めた。偶然にも出産予定日が大統領就任式の日、1月20日だったようだ。

 

 

「選挙の後、夫と私はこの国の行方がとても心配になりました。だから、赤ちゃんの名前は私達の価値観を反映したものにしようと思いました」


その娘の名前は、Elise Minh KhanhEliseは、夫の家族が20世紀初めに反ユダヤ主義から逃れて来た「エリス島」に因んでいます。Minh Khanhは、自由の鐘に因んだ「輝くベル」のベトナム語です。

 

「私達夫婦にとって、娘の名前は「万人の為に自由の鐘を鳴らす最高のチャンス」という意味なのです。だから、彼女が生後1ヵ月を迎えた時、立候補する決心をしました。娘や将来世代の為に闘う責任を娘の肩に背負わせることはできなかったのです」

 

Tranの言う将来とは、主に移民や難民にとって暮らしやすいアメリカ文化を構築すること。「暴力やテロから逃れて来た難民達を歓迎することはアメリカにとって大事な事です。私達に必要なのは、一生懸命働いて輝かしい未来を築き、新たな故郷に恩返ししたい人に向かって大きく手と心を広げることです。こうした貢献によって私達の国や経済が潤っていることを認識しなければなりません」

 

アメリカに来る難民の若者にとって、Tranは大きな夢を抱かせてくれる。「アメリカは今もチャンスの国です。そして私達には、難民や新たな移住者を含む若い力が必要なのです。結婚して市民に加わる力。アメリカにいる多くの人が難民の若者を歓迎し、サポートしてアメリカンドリームを掴む手助けをしたいと思っていることを彼らに理解してほしいのです」

 

 

 

 

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