「僕は、人の本心が読めるんです」というSFめいたシチュエーションで始まった、現在放映中のNHK朝の連続ドラマ「純と愛」は、わかりにくいストーリー展開や、登場人物の常軌を逸した行動などによって、「朝楽しめるドラマじゃない」とやや不評なようだ。
私も「何だかとらえどころがない、ついてゆけない」と、あまり見たくない印象を持った。
とくに他に見るものもないので、我が家もその時間はいつもそのドラマがついている。見たり見なかったりの日々だったが、最近作者の意図のような何かが見えてきたような気がする。
そもそも、「僕は、人の本心が読めるんです」という話を聞いて、「ああ、そういった超能力を軸にファンタジーを展開するのか、なにせTVドラマだから」と多くの人は思ったに違いない。その超能力でどんな事件を解決してくれるのか、どんな娯楽的な展開のドラマになるのかを期待しながら、続きを見る気になったことだろう。これは「ファンタジーの視点」だ。しかし、もし現実の世の中でそのセリフを聞いたらどう思うだろう?「こいつ頭おかしいんじゃないの」と、だれもが思うことだろう。これは「リアリズムの視点」だ。
で、最近見ていて。このドラマは「ファンタジーの視点」でも「リアリズムの視点」でもどちらから見ても成立するように注意深くドラマが描かれているのではないか、と気づいた。無抵抗の小さな子供に対し、相手が悪人であると確信して強い厳しい言葉を浴びせかける主人公は、リアリズムの視点で見れば立派な「ただの精神障害者」である。主人公の純は今のところ愛(いとし)を信じている。「ファンタジーの視点」がまだ継続中だ。いつリアリズムの視点に気付くのだろうか?・・・・そして、リアリズムの視点に立った場合、精神に障害があるのは「人の本心が読める」とのたまう愛(いとし)だけであろうか?じつは第1の主人公である純のほうも、他人の立場に立ってものが考えられない、社会性を配慮した行動をとることができない、「○○○○○症候群」の障害を持っているとしたら、・・・・入社試験での過激な言動はリアリズムの視点からはそのように説明がつく。はてさて、いつまでファンタジーを続けるのだろうか。どこかで「じつは・・・」と種明かしをされるのだろうか?半年終わってみて、「結局2人のキ○○イにつきあわされただけか」と、しらけさせられるよりは、最後までファンタジーを貫いて、視聴者をだまし続けて欲しいようにも思う。
かつて、「世にも奇妙な物語」で、戸田恵梨香が主演した「これ……見て……」というドラマがあったのを思い出した(2008年4月放映)。主人公の視点で見ていると周りの人間が皆おかしい、しかし最後にどんでん返しで実はおかしいのは主人公のほうだったと解る。おまわりさんに「私、あなたに殺されるんです」という主人公は、統○○○症患者そのものだ。