野田首相が、大飯原発の再起動の方針を明確にした。予想されていたこととはいえ、多くの国民の反対の声を押し切っての厚顔ぶりには改めて腹が立つ。

そもそも日本は被爆国として原子力そのものに対して強いアレルギーがあったはずだ。しかし中曽根首相の時に「平和利用」の名のもとに原子力の導入に踏み切った。今にして思えば、当時、右寄りのあの首相は、本当は原爆すら所有したかったに違いない。しかし何とか国民にうまく言いくるめて保持できたのは「平和利用」の美名のもとでの「原発」だけだった。原子力を持てることで大喜びだったのではないか?そもそも当時は電力のために原子力を使うことすら電力会社は疑念を持っており、乗り気ではなかった。しかし様々な優遇政策を示され原発導入に踏み切った。つまるところ国策だったのだ。
 原子爆弾は、使われなくとも保有しているだけで、持たない国への畏怖感を与え、戦争の抑止力になると、うまい話がまかり通っていた。
 原子力発電でも、その技術はすぐに原爆に転用できるものなので、間接的に他国に対する威嚇効果=「抑止力」と考えている人もいて、昨年からの脱原発論への反対意見として、その見解を述べている人もいたくらいだ。公的な見解としては大きな声では言えないが、この「平和利用であっても原子力技術を保有していること自体が大きな抑止力の保有になる」との考えで脱原発に抵抗する・・・政府や官僚の中の原発推進の隠れた理由だと、私には思われる。
。。。。「恥を知れ!!」。。。。

原発保持で、持たざる国々に対して優越感を持ったり、恐怖感を与えたりすることができるどころか・・・原発を保持し続けることによって、「いつか何かあったら、ここにも住めなくなるかもしれない。」という心配や恐怖感を全国民に背負わせ続けることになるのだ。

悪魔に魂を売ってしまった政治家よ。去れ! 消えろ!    そこの、おまえだ!