『Sora』が生成した子犬が雪の中で戯れるデモ映像を見てから、blenderを立ち上げる気がしなくなった。
ライフワークが一つ無くなったような喪失感。
だがひょっとして既存の3Dデータを使って自動的にボーン入れてそれらしく動くというような日が来るのかもしれない。
いつの世も新しいテクノロジーが登場すると否定的なことを言い出す人が湧く。
インターネットの発達やらスマホの普及やら。
追跡してコメント見るとまた新しい文句言ってる・・^^;
文句言うのを生きがいにする人はいつの時代でも居るもんだ。
今や状況を見て最適な行動を能動的に行う。
つまり自律的に動いて人が介在する必要が無い。
確かに『アームを上げるにはこのモーターを回す』みたいな基本的な指示は要るが、そういうのは議論の範疇では無い気がする。
数年後には人間を超えると言われている。
全ての仕事が奪われると断言する人も居るが、奪われない可能性があると目されているのが責任を問われる職業。
実務はAIとかに任せて責任を取るためだけの職業が生まれるかもしれない。
『何をもって責任を取る、というのか?』議論になる時が来るかも。
もしベーシックインカムが導入されたとしたら、殆どが働かないのだろうか?
そうは思わない。
長く入院したことがある人は心当たりある人が居ると思うけど、1週間も経てば退屈してくる。
そりゃ一定割合で働かない人も出てくるでしょうが。
『他人よりいいものを持ちたい』『他人よりいいものを食べたい』といった欲望にいつまでも抗し切れるものではない。
『働くのがイヤ』というより『タテ社会がイヤ』ではないだろうか。
人手をAIやロボットなんかで補うのは否定しないけど、それらは消費や納税はしない。
働かなくても生きていける世界で、働いてでも手に入れたいモノしか作る価値はない。
それ以外はすべて安ければ安いほどいいので尚のこと人手を必要としない生産方法になる。
税もどこからどう補充するのか、今から考えておいたほうが良い。
ついでに言うと『何をもってオリジナリティというのか?』も議論を呼びそうな気がする。
パクるつもりはなくても、幼少期に見たテレビ番組などの影響が出ているのかもしれない。
京アニの放火犯じゃないけど、ありがちなシチュエーションで独自性を言い張るやつが湧くかもしれない。
この文章も生成したものかもしれない。
もはやリアルタイムで応答できるようになっている。
つまり画面を通してみるものすべて、フェイクの可能性がある。