最近衝撃を受けたニュース。

ニュースというのは「知らせ」という意味も持つ。

 

昨日は、息子はいつもの部活の練習。娘は中間テストあけの学校行事で遠足。

珍しく娘にお弁当を作った。リクエストの肉巻きおにぎり。

「俺も部活の後学校で勉強してくるから弁当詰めて」と息子がいうので、

 

「お!やっと受験生らしくなってきたじゃん」と思って肉巻きおにぎりを詰めた。

 

衝撃を受けたニュースはこの3時間後にLINEできた。

娘を学校に送迎して、その後、今ちょっと勉強していることがあって、その会場に向かってPCを打ったりしていた。

休憩時間にスマホを見ると、旦那から

「息子、弁当も財布も全部忘れて部活にいった」

とのLINEをもらっていて、え~なにやってんのあんた・・・だった。

 

10時ごろ、LINE電話が鳴り、息子からの着信。ちょっといや~な予感。

応答すると、案の定、出たのは聞き覚えのない声。4月から異動してきた野球部第4顧問の声だった。

 

「お母さんですか。○○高校の××と申します。息子さんが部活動中の走塁練習のスライディングで足首をやってしまいまして、

起き上がれない状態なので救急車を呼びました。今処置していて、病院が決まったらまた連絡します。」

 

その後連絡が来て、病院に行き、検査。そのまま入院になり、来週手術になった。

脱臼しつつ骨折。案外ひどくて、3か所折れていた。入院1週間程度。全治は3~6か月。

夏の地区予選は7月10日前後。

ストレッチャーの上にのっていた息子は、案外落ち着いていたけれど、やってしまった直後は足の痛みよりも、精神的にパニックになって過呼吸になっていたらしい。

 

ここのところ地区予選1勝すらできていない、弱小校。部員はぎりぎりの11人しかいない。そんな息子のチーム。

 

 

高1の冬、左足の靭帯損傷で3か月部活ができなかったが、春の大会には間に合った。

1年前の高2の6月。当時はファーストをやっていて、薄暮の中、サードからの送球を見失い、顔面を直撃して鼻骨骨折。

夏の大会に間に合わせるために、入院なし、麻酔もしてもあんまり効かない激痛の中、日帰り手術をして夏の大会に間に合わせた。

その後の夏の終わりに一家全員流行病にり患。5キロやせた息子だけれど、登校できるようになって2日で秋の交流戦があり、なんとか出られた。

交流戦の後、高3最後のシーズンに向けて、筋力トレーニングを始めたら、腰の状態がよくなくて、見てもらったら第5腰椎分離症といわれ、春の大会も絶望かもといわれていた。2か月で治るのは2割くらいしかいないといわれていた中、その2割に入ることができて、春の大会に間に合った。その春の大会は、弱小でいつもコールド負けばかりだったうちの子供のチームが、9回までいい試合ができて、「いつもただ弱いだけのチームだけれど、今年はちょっと違う」となって、最後の夏に向けて進んでいた。

 

ずっと怪我になかされてきた。

「なんだかんだいって、俺、最後にはいつも大会で間に合ってる。(運を)持ってる男なんだ!」

とかなんとかいってきた息子。

 

あと残り50日。なんとか無事にやりきってほしい、それだけを願ってきていたんだけれど・・・。

 

誰よりも悔しいのは、本人。

でも、私も昨日は一人で車の中で泣いた。

あ~あんなにがんばってきたのに。ここでこれかよと思って。甲子園が狙えるような強豪校の選手じゃないけれど、

雨の日も強風が吹く日も、ほかの子は親の送迎がある中、一人チャリンコで往復25キロをでっかい鞄を背負ってほぼ毎日

登校して、部活で泥まみれ。そんなのだから、成績は赤点ばっかり。

去年の夏は面談で「おかーさん、これでどうするんですか?」と担任に言われたが

「どーするもこーするも、全然勝てないチームにいても、あの子の頭の中は野球で95%できているので、部活が終わらない限りどーにもなりません。」と言い返し、内心

 

「黙らんか、この!」

 

と思って一触即発の2者面談をやってきたのだけれど、息子が夏の試合で、スライディングすることはない。

 

2類から5類になったけれど、病院はまだ厳しくて、面会は週に2日、1回10分程度しかない。



入院することになり、一度自宅にもどって、荷物の準備をして、また病院にいって着替えやらなにやらを渡したけれど、本人には会えなかった。

 

昨日の夜、ベッドの布団の中で、泣いてたんだろうなあ。


旦那も、「ちょっと買い物に行ってくるわ~」といって一人ででかけていった。


帰ってきて冗談めかして「泣いてきたわ」といっていた。

泣くよね、やっぱり。

 

息子は中学からほぼ同じメンバーで5年間やってきた。


親としては中学校で野球をやらせるつもりは全くなかった。

高校受験を控えているのに、中学から野球だなんてとんでもないと思っていた。


諦めさせるために、

「野球がやりたいのなら、中高一貫に受かったらやってもいいよ」といってみた。


そうしたら「俺、受験する」といいはじめた。成績はずーっと低空飛行で、まあ受からないだろうといわれていた。


直前に一気に成績があがって「え~受かっちゃうのか?」と思ったけれど、結果は不合格。


旦那は、頑張るように「中学で使うグローブ」といってクリスマスプレゼントにグローブをプレゼントしていたけれど、

部活では使えないとなって、「残念だったけれど、お父さんと休みの日にキャッチボールをするのに使えば」といって

慰めていた。

「ねえ、毎年何人かは補欠で合格するらしいじゃん。今年はないのかな」

「ないでしょ。」

といって、第2志望だった学校の制服もつくって、できあがって取りに行こうとしていたその日に繰り上げの連絡がきて、

彼の野球人生がスタートした。

 

 

 

野球が彼に教えてくれること

 

諦めないこと

どうしようもないことが起こっても、目の前のことを一つずつやっていくこと

仲間を大切にすること

最後まで、駆け抜けること。

 

最後の夏はまだ終わってない。

 

 

 

 

 

 

 

最近衝撃を受けたニュース

 

 

 

 

 

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