こちらのご相談を読んで、どう思いますか?
実際、近年はとても多いそうで、
後天的に幼少期から学童期に受けた教育、さまざまな機会に与えられた教育により洗脳されて、
実態が本来と「逆映し」に見える人は増えているらしい。
だから「小さい人」を「大きな人」と錯覚したり、
「女々しい男性」を「男らしく強い男性」と錯覚したり、
DVに遭遇する方へ惹かれていくようにもなります。
コメントにも書きましたけれど、
私はこちらのお母様が、相談者のおっしゃるほど完璧な人には見えません。
おっさんタイプに見えるし、義母に任せっぱなしならもしかすると「子供部屋おじさん」かもしれません。
だいたいが母性豊かな女性てあれば子供が気になるし、
子供を気にかける女性が弱いとも私は思いません。
気にかかりすぎれば弱さにもなるけれど、乳幼児の心情を気にかけることは彼らが未熟ゆえでしょう。それをいちいち理屈で考えたりしないし、本能的に察して行動へ移るから間に合う一面もあります。
なので、こちらの相談者は自分で思うほど、劣ってないはずだけど。
我を張る力、我を押し通す力の強いお母様と
自我を抑える力、相手を思いやる強さ、幼子へ配慮を考える力と
双方はものさしが違っており、比較することは無意味です。優しい人はどっちだい。
どちらが戦争へつながり、どちらが平和へつながるやら
みなさん、ちょっと考えてみて。
だいたいに於いて、自信に満ちた人はお母様のような前者が多いもので、後者が洗脳を受けやすいのではありませんか?
地球時計が終末期を示す素因でもありそう。
コメントに書いたように、
私の母は「子供の世話をする」幼子と共に過ごす時間よりも
「お金を稼ぐ」自由に生きられる自分の時間を大事にします。
これをパラサイトとは認めないし、子供を預ける先がない不幸を嘆き自己憐憫に浸っておりました。沼から上がろうとしない母。
「子供の世話」に時間を使う叔母たちを嘲り見下し、家事一切を任される裕福な分業家庭を羨み、自分のポジションを憐れみ人手不足を憤る母。父方の叔母たちにいたっては、頼むメリットよりデメリットが上回るからと言って、母には声をかけません。
それでも、自分が子育てした意識は強く、尊敬と感謝を望み孝行者のよその子供を褒め称えて、再び我が身の不幸を嘆きます。
母の心中で悲劇が止まない工程。好きなこと、楽しいことができなければ猛毒を吐き散らす、火炎竜リザードンか凶悪竜ギャラドスか電撃ボールなビリリダマのごとし危険があります。
実際「元気なときは自由にやるから、困ったときだけ(助けに)来てくれたらいい」、こう言いました。世話したくなくても、世話になることへの抵抗なし。
記憶って、自己欺瞞により書き換えられるようです。
記録なら改竄であっても、記憶は個人のメモリーですから自意識が働き事実に対して融通がつきます。自己視界の範囲内だけをメモリーに保存するので、見たいものだけを残しておける便利なツール。
きっと、
相談者のお母様も自分の喜びや楽しみを基準にして周囲へ同調圧力をかける、
その末に「無視」の形に表して相手へ変化を促すのではないかしらん。
かくして、私には「気が強い」というよりも「自分が悪いと思うことはない」こういう人柄になって「気が荒れている」印象。ゆえに責任転嫁も起こします。この心理により、自己正当性を主張して声が大きくなるし、恨みも生じるのではありませんか。
相談内容には「母と娘」のみが書いてあるもので、
父と娘を預かる祖母の心情はわかりかねまして、
祖母はどのような心境で孫の世話をなさったのかしら。
相談者様は母性豊かにお育ちなようですから、日常を一緒に過ごしたおばあ様も母性豊かな女性だったかと、私は想像します。