こういうケースが問題になって久しく。

私が習い事を通して指導者たちから伺った話によれば、

その子に適切な指導であるかないかが問題であって、

正しさをひとつに絞ることは無理らしい。

 

感受性の強い子供と、鈍感な子供を、

子供もいろいろいて、

他人が叱られておれば我が身を直せる子と

他人が叱られておれば「ざまぁ」と感じる子を

一律に論じることはできません。

あなたは、またお子さまは、どちらのタイプですか?

 

感受性の強い子の場合はショックを大きく受けるので、

見ているだけで脅迫観念へ変換になります。

これが積み重なればトラウマが生じ、脅迫性障害へ発展します。

これは先の安部元首相襲撃事件のときのような伝播とも違います。

 

先の事件の際に議員間へ伝播したものは「死への恐怖」であり、

根拠として「言論の自由への侵害」を問題に掲げました。

この問題は、職務上からも日常的に大人として責任ある言動を心がけておれば解決します。また、被害者側の立場からのみ検証を始めたり、因果関係が不明の段階から捜査の行方を待たずに大声を張り上げる議員がおられました。

 

ところが子供に起こる脅迫観念は

失敗すれば威圧や恫喝に遭うという恐怖感が、ストレスにしかなりません。未熟だから練習しているのであり、大人になるためにステップの一段として指導を行うものが教育です。

教育へ、結果至上主義や勝利至上主義を持ち込んだり、指導者が承認を得るための数字を稼ぐツールに子供を利用したら、過剰な指導が起こります。これも売名行為の一種か、指導する側がマウントを取りにいくほど、何かに怯えていますか???

 

融和をはかることが、チームワークじゃないのかい(´・ω・`)?

日本語でも英語でも、どっちでもええけど語句の意味を理解することは大事よ。

 

 

コミック『不機嫌なもののけ庵』では

現世へ越境してきた物怪(モノノケ)の最終指導手段に、“威圧”が使われます。

この威圧を受けた物怪を、本来の生息域である隠世へ、強制送還もできます。現世を不用意に混乱させ、人々の生活を怪異で脅かす物怪へ使う手段が、祓い屋による威圧。

 

すべての子供が妖怪や怪異ではありません。

思い通りに動かない子供に対して、

乱暴な言葉や態度で脅かす指導者は何者ですか?

ダイヤルチャンネル時代には電波の受信が弱いテレビを叩いて直す大人がおりまして、今時やる人は珍しくないかい。子供は電化製品ではないので、慎重に扱って欲しいものです。

 

子供を冷静に見て評価する指導者と

暑苦しい指導をする大人は

いったい何が違うのでしょうね。

まぁ、感受性の強い鈍感(空気読めない)なキャラクターを標榜する人がいて何を股にかけるかしらん、コミュニケーションを取りづらい場合もあるかしらね。

でも、干渉したい人を止める方法はないのだから、自己抑制を育てるような教育が必要そうです。