男女平等

非常に便利なひとことです。影響力が強く拡大生産が著しい一言。

さすれば、男性も出産に挑むつもりかしらん。

 

デート時のお茶代含めた飲食費の負担がテーマになって久しく。

デートするだけの関係ならば、結婚前提を意識しない男女関係ならば、それぞれが自分の飲食費を負担してもいいと思います。そのカップルで話し合って、ルールは自由に決めたらええがな(笑)男性が負担せずとも好印象を残しているんだから。

 

ところが結婚を前提にしながらお茶代の負担すら嫌がる男性は、

自分が女性に与える印象について、考えないものかしらん。プロデュース力の差かしらん。

お茶代も負担せず夫婦の営みだけを行いたいとなれば、子種を提供する意思に焦点があたりますよ?(笑)(笑)

さすれば女性側から見た印象は、「猛獣」か「ケチ」にならぬかい。それは男性にとって得やら損やら、考える前に「男女平等」の狼煙をあげるみたいよ。

本当に男女平等の意識があるならば互いの職務を検討しそうなもので、

女性側へ一方的な、慎みや気遣いを望むことがないだろうに。

女性側に「妻らしさ」を要求したら自分側に「夫らしさ」を、女性側に「母親らしさ」を要求したら自分側に「父親らしさ」を要求せねば、平等の観点ではなくなります。弁舌の起点に立ち返ってみれば、「自分らしさ」と「相手の性別らしさ」なる自己中心的な発想によるものか。

 

 

現代は中学校の制服もジェンダー論が行き渡り、男女差が解消されつつあります。体操服もハーフパンツになり男女共通です。この制服も保護者負担であり、子供の性別にかかわらず下の子へ回すことも可能になりました。

が、男子中学生がスカート姿の制服を着用しているところを見たことがなく、女子中学生がパンツスタイルの制服を着て通学する様子は見かけます。

この現象は、いささか「男女平等」を私は感じていません。男子の選択肢が少ない印象ありますけれど、一般の男子中学生にスカートを推奨しようとも思いません。なので現状維持に、自然の成り行きに任せます。

 

この制服問題、実は私が中学生だったバブル期から提唱がありました。私の友達が常々、学ランでもいいからズボンを履いて通学したいと申しておりました。ただ、学年で彼女ともう1人の、ふたりだけから出た提案。

 

ある日、彼女とふたりだけで下校中、とつとつと理由を語りはじめて。

3人姉妹の彼女は、姉が才色兼備で妹は末っ子の特権から甘やかされおねだり上手な奔放らしく、家庭内は圧倒的に女性有利でお父さんひとりが孤軍奮闘する様子を不憫に感じていたそう。そのうちにお父さんの味方になりたく、必然的に男児役が回り小学生の頃からパンツスタイルを好むようになっていたと。それが中学に入り、思春期でもあり性別で分けられる機会が増え、自分の意思とは関係なく先生たちが女子側に含めて語り不本意であり、その原因が制服の見た目から起きていると感じたらしい。

「女子の中にもいろんな子がいるんだから、私はお姉ちゃんにも妹にもなられへんから、一個人として見て欲しい。天使はそうしてくれるから、安心して本音で話せるし、好き」

こう言われて、当時から私は「らしさ」にさほどのこだわりがないことに気づきました。きっと私自身が、男子の中から「女のくせに」って言われることが、多々あったせいです。

「女のくせに、俺ら男の上にいてウザい」こう思う男子がたくさんいた模様。これは、クラス名簿のせいですか?

彼女は、この友達は「女らしい」のか「男らしい」のか???

 

こうして詳細を考えていくと

「男女平等」の狼煙をあげる人は、先進的と時代遅れのどちらですか?

「すべきこと」をせず「したいこと」ばかり訴えたら、思慮の浅い放蕩者でしょ。いったい、その持論を展開してどんな印象を与え、何を得たいのでしょうか。