ドラマでは「研修医の謎解き診察記録」の紹介文がついた、この作品

 

 

あらすじに書かれた第1章は

大学病院に勤める講師や診断医が見抜けなかった真実を

担当医のひとりに就いた研修医の良太が探り出しました。

 

現実問題として、多数の患者を抱えて使う時間が限られていたり、

これまでの経験則による先入観で相手をカテゴライズして、

幻想を事実と誤認する人々がいます。

一般的に「想像力が足りない」なんて言われ方をしますが、

幻想であっても想像力は働いており、想像する方向性が間違っています。こうなる原因は「自分に都合よい想像」をするからであって、想像力の有無よりも、相手のことを正しく見ていないから起こります。正念の不足が原因。

 

そうした正念の不足する評論にどんな意味があるやら知らんけど、

当事者は客観的に観察した意見を述べているつもりだから、誤認やすれ違いに気づかず「相手の素直さが不足している」ことにして、自分を納得させます。さすれば自分を傷つけません。

 

なので私は医師に

「先生もやってみますか?」と問いかけたら

「いや、いいです。やりたくない」こう返事がありました。

ここまで突き詰めることで、はじめて相手の立場に我が身を置いた場合の労力が想像つくようです。

 

世の中には、「自分が最も苦労してつらい立場にいる」と潜在的に感じている、悲劇の主人公がおりますので。自らの境遇を悲劇にしたい人は、どんな話を聞いても歪曲して捉えるので、相手を認めることができません。それなのに「信頼を得たい」なる願望が強く、不可解な現象が起こります。

これはネガティブシンキングなん?妄想ではなくて?

 

かような人々は、おそらく

評論がしたくて意見を出しているのであり、

相手の身を案じたり気の毒に思うことはないのでしょう。

その評論と意見を信じる根拠は何ですか?

 

判断をするおりに、

人間味のある判断と機械的な判断では内容が異なり、

理論上の話と人道上の話は違うものだから。

この差異が、人としての格付けに影響を与えるのではないかな。

機械的な判断ならば初期型のAIもしていることで、そのAIは理論から演算をはじめて解を算出します。

このようなAIの回答はどうですか、頭がよさそうな印象になりませんか?破壊的と解釈する人が少ないから、頭脳的な印象になるでしょう。

その判断を信じ頑張った末がマッドになれば、バランスと対極を起こします。