物語はそろそろ佳境でしょうか、簒奪者が溢れているこの作品

 

粛々と日々を営む龍ノ原で後継者争いに敗れた不津王は、隣接する南国の国主の下へ妻とふたりで居候に行きました。この復活劇は後程。

 

まず、龍ノ原北に隣接する領土は、当時元服前の少年が病死した父の跡を継ぎ、商家出の側室だった母が後見人に就く少年国主の和気。民衆からは歓迎されており、港湾整備をはじめとした流通網を法と共に改革したので領土外との交易が増え、異国の商人の支持も高まりました。ところがこれらは後見する母が主導しており、頭脳明晰な和気は世間知らずを理由にした茅の外に置かれ、かねてより悩みがあります。

ある人との出会いにより悩みの内容が明確になった和気は、ある日母に告げます。

「母上は私の質問に返事をしない。自分の話しかしない」

この母、自分が興に乗ったことしか喋らないので、誰と会話しても

・したいこと

・して欲しいこと

・自分が悲しいこと

・自分が嫌なこと

ばかりを口から吐きだします。なので、出世の足がかりに関係を持った情夫すら「怖い女」と呼びます。

この場合は、“後が”怖い女=執念深い女、かような意味。

しかし処世術によって世を統べる母にはこれが常態につき和気の意図がわからず、思春期特有の反抗期として片付ける日常。そのことに堪忍袋の緒が切れた和気は傀儡扱いを受ける屈辱が極まり、

「国主の権を奪う者」として母の処刑を命じました。この時点になってようやく外部の情報が脳に届いた母は理解が到底追いつかずに、「親の愛ゆえ」を材料に和気を説得しますが臣下共々冷ややかな空気を醸すのみ。頭脳明晰ゆえに親の意思を察せられる和気は母を理解しようと努めるあまりに、以後も陰りを帯びた青年へと成長しつつ周囲の理解と支持を得て国を盛りたてていきます。

 

子供を餌にして自分が輝こうとするほどこの母と同じ思考になりがちやし、

現実にも和気のように感じる人はいて、私もある男性医師に訊きました。

「さっきの質問の答えは、まだですか?」返答は

「ぼく、さっき言いましたよね?」詳しく聞いてみたら、質問以後の話に盛り込んで答えたそう。

曰く「俺の(私の)話を聞けぇぇぇ!」状態に

これが「俺が訊いたことに、ちゃんと答えろ」とセットになったら、この人はいつ自分の頭でモノを考えますか?逆走しても察せられない人になりそうよ。

相手には話の内容から回答を探しだす労をかけながら、自分はピックアップせず直接的な回答を望み、優しいかい???思いやりあるかい???自己矛盾に気づかなければ、ラクをしたい本心に意識も向きません。でも現実に処刑を受けることは、処刑自体が廃止傾向の現代ではファンタジー。

 

さらに思いだしたことは、以前に職場の管理職についてこう話した同僚がいます。

「あの人に質問しても、いつも一番簡単なパターンだけ説明して、こっちが本当に困っているパターンの解決方法は教えませんよね。だから、さっき天使さんが質問してくれて、めっちゃ嬉しかった」

私は管理職に「それは私もできるんやけど、こんな場合は?」と実際の困り事を伝えたら「それなぁ、俺もいつも悩むんやけど」と言いながらボソボソと説明して。

居合わせたご婦人方は同僚の発言で一斉に頷き、これまではどんな風に質問すればいいやらわからなかったそう。それを見た男性が

「男なら遠慮して訊かれへんけど、天使さんやからあっちも素直に聞けるんやで」らしくて。これでは私が天然のようで失敬な。

 

そうして、第1巻では後継者候補となり主人公の日織とライバルになった不津王。山篠のおじさまの1人息子な不津王は、日織サイドで起きた不祥事の真相に気づき

「すでに根回しも済んでおり、不祥事の詳細が表沙汰になれば日織の不適格もあきらかになるのだから、今のうちに退け」と交渉に入ります。が、捨て身の日織妻な月白が刺し違える覚悟を持っていたために不津王は条件反射して月白を刺し殺したので聖域を穢した罪を負い、また争いの課題を就任後に回すつもりだったために修めておらず敗北を喫しました。

 

いやはや似た者親子、宿題を後回しにしても問題を感じない極めっぷり。しかし現実では、かように野心があり威風堂々として恰幅がよい覇気に満ちた男性を「男らしくカッコイイ」と感じる女性は多いもの。後に“悠花”の名を改めた“悠火”や夏井王の方がカッコイイと思う私に「趣味が変わってる」って言う人と、たくさん出会うはずです(笑)

私には、不津王が精力的な印象ならあります。比べて悠火や夏井王は惰性的にも映り、目立つ動き方や斬新な話し方をしないので、物静かな佇まいになります。夏井王も建国神話にまつわる龍の齟齬を発見していますが不津王とはベクトルがまったく違い、おおよその回答まで近づいて龍の悲しみを思う優しさや、相手の心を慮る気遣いあるパーソナリティ。

最北の領土を治める有間も不津王と同じく精力的な印象はありまして、有間には日頃から自分の気持ちを見つめ因果関係を探る習慣を持ち落としどころを見つける癖もあり、不津王より深い思考ができます。

 

不津王は居候中の南国でも「俺こそが皇尊に相応しい、俺が皇尊に就くべきだ」と言い続け、南国の都が深夜でも明るく活況に満ち、人がざわめく様子を好ましく眺めています。「俺は海賊王になる!」な少年みたいに夢がある。

不津王には祖国をこの都のように改革する意志があり、活気に満ち人と物で溢れる国を作るために民衆の意識改革と経済発展につながる法整備を行う所存。執着が凝り固まって夢を諦められない。

それを受けるパリピな南国国主の目戸はサイコパス。こちらも不津王から連絡があった直後に先の国主が崩御し、1人息子に代替わりしました。不津王の支援を申し出る若い国主は自らが懐刀となる宣言をし、将として軍勢を率いることで不津王のリベンジを促します。そうして龍ノ原へ不津王を旗頭にしつつ丸腰のまま進軍を開始。傲慢マンがサイコパスに呑まれる展開へ、懐刀が自らの意志を発現し主の意向と違っても気にせず、まことの刀剣乱舞がはじまります。マッドサイエンティストもかくやな目戸の思考回路を知る機会が、不津王にやっと訪れます。しかも、龍ノ原へ侵寇後は足がかりに使い、増援軍と共に北へも攻め入ります。

 

第6巻で復活した不津王のモノローグは、

な~ぜじゃ~、どうしてじゃ~

ばかりになって現状に納得できず、目戸にいろいろな質問をぶつけますが回答はなく「心配召さるな」と告げられるのみ。「大丈夫」と言いたいらしく、不津王が皇尊に就くことは約束しています。ここにきて、ようやく“傀儡”では希望が叶わぬことに気づく不津王は祖国を憂いはじめました。

だんだん14歳の思春期真っ只中を生きる、龍ノ原北に隣接する国主が置かれたポジションへ、39歳の不津王が近づいてないかい?!

 

目戸は誘い受けが非常に巧そうなので、俺様攻の不津王とBL展開できないかと考えます。古いかもしれないけれど、かようなパターンの作品がありましたでしょ(´・ω・`)?

熱烈なファンからお叱りを受けそうな気がするけど。

 

いったい、国とは、どうあるべきか―

どのような人が政治を行えば日々が安定し、民衆は安寧の暮らしを行えるものか―

非常に悩ましい問題です。