初めてツィッターに掲載されたのは、いつだったかしらん。
未だに続いており大きな社会問題となり、主体になったバイトくんは厳重注意や解雇など甘い処分ではなく法的責任を問われるようにもなっています。けれども、なくならない事実。
これについて番組や紙上ではコメンテーターとか有識者とかが
「人生を棒に振るほど価値のある行いか?」と首を傾げながら論じる大人もよく見かけます。
たしかにこの議論は正しいけれども、
バイトテロをする彼らにはその発想すらない点に思い至らない模様。
若者が「人生を棒に振る可能性」を知るためには、先輩や地位が上の人と話す中で教えられたり気づいたりする子供は多く、その環境すらない若者がいることを知らないからでしょう。
さて、これはどちらに想像力が足りないでしょうか?
賢そうに話すコメンテーターを見ながら、私は首を傾げてしまいます。
個人主義の台頭と雇用の多様化の相乗効果により、社会の格差はかなり広がって、論点のズレた議論も増えました。論点がズレている自覚すらないことが多く、不可解さばかりを伝えて救済しようともせずに、立派な方々が増えました。
企業は業務についての教育を行っており、コメンテーターが話すような人生論や倫理観の教育は行いません。それを知らないかしらん。
バイトテロは、
企業のコストダウンが生んだ闇ではないのかな???